花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

国立西洋美術館「ウルビーノのヴィーナス展」(5)

2008-04-13 01:35:49 | 展覧会
ポツダムのサンスーシ絵画館にあるカラヴァッジョ《聖トマスの不信》を観た時、その黄金に輝く光のオーラに圧倒されてしまったが、同じようにアンニバレ・カラッチ《ヴィーナスとサテュロス、小サテュロス、プットー》も黄金のオーラが立ち込め、観る者は後姿のヴィーナスに魅了されることになる。そこには初期バロックを切り開いた画家たちのビルトゥオーゾが断固存在する。


アンニバレ・カラッチ《ヴィーナスとサテュロス、小サテュロス、プットー》(1588年)→拡大はここ

「パルマ展」の感想でも触れたが、アンニバレ・カラッチはコレッジョとティツィアーノから多くを学んだ。元々カラッチ一族はクレモナ出身だから、父親からロンバルディアの自然主義を受け継いでいたかもしれない。カラッチ一族の中でも抜きん出た才能を見せたアンニバレだが、それを支えたのは画業への情熱と飽くなき研鑽だったと思う。

今回の《ヴィーナスとサテュロス、小サテュロス、プットー》は一昨年のボローニャ「アンニバレ・カラッチ展」でもウフィッツィから出展されていた代表作のひとつである。美しい横顔と結い上げられた黄金の髪(ティツィアーノの影響を見てしまった)、滑らかな背中からふくよかな臀部へ、観る者の目は女神の裸身をうっとりと眺めることになる。輝く裸体を隠す白布と紅色のクッションのコントラストが女神の美しさを華やかな色彩で際立たせ、ああ、アンニバレって器用で上手いなぁと感嘆してしまう。

好色そうなサチュロスから身を守るヴィーナス仕草は「恥じらいのヴィーナス」の系譜を想起させ、危ないところだわ、と、一瞬の緊張感が画面にドラマ性を創出する。男性的見地からするときっとそそられるんだろうなぁ(笑)。この作品が官能的と言われる由縁かも。女神の頭上にいるプットーはサテュロスの角を押さえ、「これこれ、いけませんよ」と何気に牽制し、一方、女神の太ももに抱きつき舌をだしている小サテュロスはお下品(笑)で、両者のいかにもの対比が面白い。

さて、この画面を斜めに横切る構図やヴィーナスの後ろ姿の臀部など、どうしてもコレッジョの影響の大きさを想い出させる。コレッジョ《ユピテルとイオ》をどうしても想起せざるを得ない。それと、今回の展覧会でも出展されていたティツィアーノ《ヴィーナスとアドニス》もだ。


コレッジョ《ユピテルとイオ》(1531-32)


  ティツィアーノ《ヴィーナストアドニス》(1550年ごろ?)

しみじみ、アンニバレ・カラッチがコレッジョやティツィアーノをリスペクトしていることがよくわかるのだよね。