花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

北イタリア旅行記(4)

2005-12-04 23:33:56 | 海外旅行
まだ絵画に目覚めていない頃、どうしてティツィアーノの絶筆を観るためにアカデミア美術館に行ったのかと言うと、当時、辻邦生の短編集「十二の肖像画による十二の物語」(文藝春秋・刊)を読んだからだ。
http://www2.nagano.ac.jp/sasaki/portrait.htm (参照)
第三の物語「怖れ」はティツィアーノの絶筆を扱っていた。しかし、小説の中で描いていた作品はどう考えてもナショナル・ギャラリーの《思慮深さの寓意》(マルコ・オラッツィオ・ティツィアーノ)であり
http://www.nationalgallery.org.uk/cgi-bin/WebObjects.dll/CollectionPublisher.woa/wa/largeImage?workNumber=NG6376&collectionPublisherSection=work
実際のティツィアーノの絶筆は《ピエタ》になる。
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/t/tiziano/5religio/pieta.html

そんな知識さえ無かった当時の私はアカデミアの《ピエタ》の前で当惑してしまった。暗くて何を描いているのかよくわからない…と。本当に無知ということは恐ろしい(^^;;;

しかし、《思慮深さの寓意》も《ピエタ》もティツィアーノの祈りであることに変わりは無い。《思慮深さの寓意》のモデル、右の若者は甥のマルコ、中央の壮年の男は息子のオラッツィオ、そして左の老人はティツィアーノ自身。それぞれにヴィッチェリオ家の繁栄を祈る画家の想いが伝わってくるようだ。
更に凄いのが《ピエタ》である。1576年、ペスト大流行末期に描かれたこの絵にはティツィアーノ自身が聖ヒエロニムスに扮して登場する。死せるキリトを哀しみ、そして、すがるような老人姿で…。老人の右に獅子(ライオン)の恐ろしげな彫像が描かれているが、その下に絵馬が置いてあるのだが、何と、それは息子オラッツィオの健康と長生を祈る絵馬なのだ!この《ピエタ》からは父ティツィアーノの愛情の深さが切ないほど伝わって来る。自らの墓標用にと死を予期していたかのような《ピエタ》は絶筆となり、弟子のパルマ・イル・ジョーヴァネが完成させたという。

ところで、この《ピエタ》の筆致は晩年に見られる斑点描法とも言うべきタッチであり、色彩も画家自身が言っているように黒白赤によってモノトーン的画面を創出している。初期のヴァネツィア派特有の色彩の美しさ、絵肌の輝き、質感の写実…それがこの晩年作品では内面の相克を表出するような濃い明暗の錯綜する暗く激しいタッチへと変わっている。天使の松明に照らされる光と影...渾然としたタッチは時に指で塗り込むほどに。エルミタージュ美術館で観た《聖セバスティアヌス》にも見られたタッチだ。

実は不思議だが、この《ピエタ》を再見しながらレンブラントを想起したのだ。レンブラント晩年期作品の醸し出す世界と通じるものがある。レンブラントがティツィアーノから影響を受けていたことは今更の話だが、画家晩年につきまとう不幸と自らに向かい合う厳しさの点においてもまた似ているかもしれない。

構図的には廟所を背景に中央にミケランジェロのピエタを想起させる聖母とキリスト、激しい悲しみを表現するマグダラのマリアとすがる聖ヒエロニムス。天使の持つ松明に照らし出される両端に屹立する古代彫刻の左はピエトロ・イン・ビンコーリ教会のモーゼ像に似ている。パノフスキー曰く、ティツィアーノ最晩年にして、相対するライバルでもあったミケランジェロに対するオマージュではなかったかと…。なるほど…と頷くものがあった。ティツィアーノはミケランジェロに会見したことがある。ミケランジェロはティツィアーノは素描が描けないと批評したほど両者の芸術観は違う。しかしティツィアーノにはミケランジェロ風筋肉たくましい聖者たちが時々観られるのだ。先人へのリスペクト…そうしながら画家は新しい自分の世界を切り開いて行くのだろう。