Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

ガイアの夜更け 【Because of You】

2010年04月01日 | 大阪chouchou(キタ・新地・茶屋町)

 


Ne-Yo - Because Of You



  みんなと離れて次の合流地点、梅田に向かう。
  天気予報は夜半に雨と風がつよくなるとのこと。友人もそのとおりに言ってた
  ので、車  で向かう。

  都島通から東梅田にとびこみ、新御堂筋にぶつかったところで南に。
  残念ながら空いている場所がなかったので、新地を通りぬけ、淀屋橋をさけて
  四ツ橋通にまわろうとしたころ。

  ぼくの乗っていたガイアの横を大型バイクが通り抜ける。
  その騒々しい音は、若者の騒々しさではなくって重厚感のあるもの…のように
  思えたけれど、中にまじるカラカラという不安げな音がぼくに(このまま音楽を
  聴いてていいのか  )と思わせる。

  そのちょっとした不安が、なぜかだんだん大きくなっていく。音楽を消しても
  バイクが過ぎてもその暴走音は消えない。
  2号線を越えて、ヒルトンの手前で右折。今思えば不安感もあってここで
  曲がったのかもしれないけれど、地下駐車場の入口を兼ねるここは1車線
  だった。マルビルと駅前第一ビルの間の信号で赤が青になるのを待つ。

  ところが…

   エンジンは止まってしまった 

   焦りから何度もキーを右に回すけれど、キュルキュルとお腹がすいたような
   音がするばかりで(お腹がすいてもそんな音はぼくはでないけれど)
   故障したんだとしか考えようがなくなってしまう。

  場所が場所だけにかなりパニクったぼくは、とりあえず後ろで数台待つ
  タクシーに事情を告げてJAFに電話した

  JAFのお姉さんは冷静に、でもちょっと突き放したような丁寧口調で
  (それはまあ初対面だからしようがないのかもしれない 
  そこはどこですか? と質問する。
  場所を説明すると、交差点に標識はでていますか? と続けて質問。

      梅田一です 

  ここが梅田一丁目という、すごくきりのいい交差点だというのは生まれて
  初めて知ったけれど、こんなこととセットならば一生知らずにいてもなんら
  人生をやすらかに暮らすのに問題のないような情報をお姉さんに伝えたら
  お姉さんは、それ以上はぶちぶち聴かないで、それでも

   ではあと30分後に救援車到着します 

  と告げる。  30分後  
  
   ええ、できるだけ急ぎますが…
   ちょっと申し訳なさそうな声色で(でもきっとそういうのはちゃんとマニュアル
   にあるんだと思う。お客様の反応に応じてこういうときはマニュアルの
   20番の応対でするんですよ、的な感じ)
   電話を終了した。

   ぼくは途方に暮れて、交差点で30分も待っているとあと何度、後続の車に
   頭を下げているんだろうと思っていると、後ろに女性が運転するいかつい車
   が止まった。助手席からすこしこわそうな(でもぼくはちょっとメジャーにいた
   吉井投手を思い起こしていた)おじさんが降りてきた。

   ぼくはすっかりどなられるのか、殴られるのかと思っていたら

   止まったんですか?安全なところに脇に寄せて
   おいたほうがいいでしょ?
   押すの手伝いますよ    
   

   ぼくは本当に本当に恐縮して、感謝しながらマルビル側に左折して
   乗客待ちのタクシーの後方にまで車を移動することができた。

   ぼくは何度もお礼を言っても足りないくらいで、実際何度もお礼をいった
   のに、おじさんとその女性はなんでもなかったようにいいよいいよと言って
   車に乗っていった。

   真夜中の梅田にだって、いい人はちゃんといるのだ 

    

  友人には、ちょっと合流できなくなった旨伝えるとかなりびっくりしていた。
  まあびっくりしない人はあまりいないように思うので、ぼくもきにせずしょんぼり
  と状況をそのまま伝えて詫びた。

             

  続けて、週末にお花見をする予定だった友人たちにメールして週末は時間が
  ないし足もなくなったことを伝える。

  メールを送信すると、動かなくなった車の向こうに桜がきれいに咲いている
  のに気付く。

     夜桜をみて感じるものを知りたい。

  ぼくの、そんな思いつきはこうして12時すぎの梅田一丁目の一本の桜で
  実現される。そのわびしさとしょぼい状況に、ため息をつくしかないような
  感じがした。
  
  こうして、少しばかり予定していたぼくのささやかな彩りが失われていき、
  ぼくの週末はなんだかモノクロになっていく。
                                        
        

  想像より少し早く、20分すぎでJAFはやってきた。
  おじさんは丁寧で仕事はきっちりしていた。気のいい寡黙なおじさん、という
  感じだった。
  ぼくの車をゆわいつけると、どうぞ前にのってくださいと言われて助手席に
  小さくなって座った。

  住所を告げるとおじさんはカーナビに入力しながら
    あ、ここならうちの事務所に近いからわかりますよ。一方通行が
     いっぱいあるでしょ?

  とにこやかに語ってくれた。たしかにぼくの家のまわりは複雑な一方通行で
  (それは上海にある、ぼくの好きな仙霞路とか天山路くらいまでの通行規制の
  仕方を想起させる  )それを告げながら、2台連結でおじさんは走れるだろう
  か?というぼくの心配を打ち消してくれて、少し楽になった。

       

  JAFのおじさんは後ろもみずに器用にちゃんと、ぼくの車を引っ張ってくれた。
  都島通にはいり天六をすぎたころ、最近なかよしになった仕事仲間のえり
  ちゃんがメールをしてきた。
  彼女はガンバフリークで、磐田スタジアムまでいったのに逆転負けをしたこと
  をまだぷりぷり怒っていた。毎年スタートの遅いガンバだけにこの季節は
  とくにこんなものなのかもしれない。けれど今年は調子が悪そうなので、
  もしかするとずっとこうなるのかもしれない。

  メールの最後に、ぼくは何をしているの?と書いてあるので

    JAFの車の助手席に乗って、梅田でエンジンが止まってしまった、
   困った車を引っ張ってもらってるんだ。 


  と書いた後に、そうだ。そもそも今夜は夜半に雨と風が強くなるって天気予報
  で言っていたから電車で来なかったんだと思いだす。
  助手席の前の窓から空の上を眺めると、雨はまだ降っておらず風もない
  いったいぼくはなんでこうなったんだと思う?

  とそのことも付け足して送ってみた。
  彼女はそれでバカ受けしたようで、 ガンバの不振の不機嫌はなんだかまし
  になりました。  とお礼がきた
   かきPさんってホントに不思議な人生送ってますね
  とも書いてあった。

  感謝されるほどの笑い話なんだろうか?そして「不思議な人生」という言葉の
  もつなんだかのんびりゆるゆるな状況と、現時点の状況はかなり開きがある
  んだけどなあと苦笑しながら、考えた。

  いま日本で、夜中の1時前にJAFの車の助手席に乗って自分の車を運んで
  もらっている43歳の男性がいたら友達になりたいとおもった。

   

  家の前について、動かない車を押したり引いたりしながらなんとか駐車の
  スペースに押しこむと、15km以内なので0円というレシートを切っておじさんは
  帰って行った。押したり引いたりしている最後のほうで、ようやく雨が降って
  きた  JAFのおじさんを見送りながら、風も吹いてきたその空を見上げ
  ながら、ぼくは「おはよう朝日です」の正木さんを少しうらんでいた。

 



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