Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

ロケットは遙か遠くへ・・・

2007年08月16日 | 日本つれづれ。
大学生のころ、遊ぶ場所は難波でした。
「梅田はハイカラでいいけど、本当におしゃれなのはミナミだよ。キタは
夜も早いし、ミナミなら朝まで遊べる。これからは鰻谷だよ」

なつかしい・・鰻谷・・いまや東心斎橋と名前を変えてしまった通り。
あのころはマーブルやギャラリーサイドバーやTABAC、そしてKシリーズ。
Be inなんて店もあったなあ・・

合コンするとき、デートのとき。。待ち合わせはいつもロケット広場でした。
キタの待ち合わせはBIG MAN。大きな人形があるわけでなく、アストロ
ビジョンに名前がついている紀伊国屋書店の横。それに比べ、ミナミの
わかりやすいこと。。
ロケットがそびえる南海なんば駅下。

あのとき、ロケットは上をいつも向いていた。いや、たいていそうなんだ
けど。あのロケットはヒューストンから運んだのか、実は飛べないしろもの
なのか、事実は知らないけれど、常に僕を含めたいろんな人をひきあわ
せる役目を果たしていた足元で、いったい何をめざしてたんだろう?

まさかこの年、この月に取り外されて壊されちゃうのかは知っていなかっ
ただろうに。。

いまやすっかり、そこで待ち合わせしなくなった僕と同じように、そこで
待ち合わせする人は減ってしまったということでしょうか。ロケットでは
夢が運べなくなったのだろうか。そんな重そうな夢をもってる人は最近
見ないんだけど。。単に待ち合わせ場所が変わっただけかもしれない。
たぶんそっちでしょうけどね

南海電鉄でも、引き取り手を探していたそうですが、結局名乗り出る
人も会社もいないまま、期日が来てしまった。。そして今日のニュース

2007年08月11日08時10分(asahi.comの記事より転載)
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大阪・ミナミのロケット広場を撤去へ 「思い出」を掲示

 初めてのデート、旧友との再会、切ない別れ……。大阪・ミナミで約30年間、
さまざまな人生が交錯してきた名物スポットがもうすぐ消える。南海なんば駅
そばの「ロケット広場」。
インターネット上などで撤去を惜しむ声が上がる中、南海電鉄グループが広場に
まつわる「思い出」を募っている。寄せられた中から十数点を選び、撤去工事の
フェンスに掲示するという。

広場のロケット(全長33メートル、ステンレス製)は78年に設置された。日本初の実用
衛星「N1ロケット」のレプリカで、設計は宇宙開発事業団(当時)が監修。当時、南海
電鉄社員だった小川洋(ひろし)さん(58)=現南海都市創造常務=は「21世紀への
期待感が込められていた」と振り返る。

 広場にロケットという意外な組み合わせに加えて、地下鉄や近鉄、JRの各駅にも近い
という利便性から、恋人や友人との待ち合わせ場所として定着した。

 だが、ポケベルや携帯電話の普及で利用者が徐々に減少。同駅に隣接する商業施設
「なんばCITY」のテナントなどから「ロケットは役割を終えた」との声が出始めた。南海側
は今年5月、ロケットを撤去したうえで、09年秋に広場を「ウェルカムロビー(仮称)」として
全面改装することを発表した。

 この直後からネット上で「保存してほしい」などの声が上がるようになったが、計画を
白紙に戻すわけにはいかない南海側はひそかに引き取り手が見つかることを願っていた。
結局、名乗りを上げる個人や団体はなく、広場にまつわる「思い出」をホームページに
寄せてもらうことにした。

 10~24日の撤去工事期間中に「思い出」を選び、フェンスに掲げる。ロケットは広場で
6分割され、金属ごみとして処分されるという。

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少なくとも今の僕の夢をのせるには、ロケットでは大きすぎて遠すぎる。
過去の思い出に浸ることもない。もっと近いところに夢はあって思い出
はもっと遠いかもしれない。
そう、時代には乗れなかったのだ。ロケットが上を向いているうちに
左右が変わってしまった。

それでも、6分割のスクラップになるにはあまりに悲しい。
いつかまた思い出すだろうけれど。。


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