珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットにまつわるあれこれ18

2018-09-29 | ネットにまつわるあれこれ
ある身障者の知人から聞いた話。

その身障者の人は子どもの頃から、戦闘キャラのヒーローものが大好きで、本当は子どもの頃から人と闘ったり、争いごとがしたくてたまらなかった。
だけど身体が不遇だったためそれが叶わないまま大人になり、ちょうどその頃インターネットが普及し始めた。
彼はネットの言論戦というものを知った時、その言い争いが快感で、おもしろくてたまらなくなった。
全国の奴らと心ゆくまで闘えるのがたまらなくて、chに書き込みを続けたそうである。

ふうん。
ネットになると急にデカいことを言い出す人の心理は、改めて様々と思った次第である。

一方でかるーい気持ちで書いている人もいる。

先日、chにおける「おまえ××だろう?」に当たる「××乙!」のようないい方は、
それほど真剣に言っているわけじゃなくて、「おまえ××ぽいよな」くらいの、いわば合いの手のようなもので真に受けるものではない
という意味であることを知った。

これもナルホドと私には新鮮な話だった。
バーチャルの世界のことはあまり深入りせず、話半分という意味では、妙に感心というか安心した話といおうか。

一体、画面の向こうの人間は、どのくらいの本気度で文字を綴っているのだろうか。
ネットなんて書くにも読むにも、そこまで精神を消耗するもんじゃないと改めて思う。
だから私は基本、大袈裟な話や、お涙頂戴もの、憎しみの塊のような濃いものは敬遠したいと思ってるし、ネットでそれらを好むような人とも距離を置きたいと思っている。

何度もいうように匿名の世界など、どれだけ大人の距離感をもっているかが大事と思う。
ピュアだとか、子どものような無邪気さなんてものは全くもって自慢にならないわなと、自分にもよく言い聞かせている。
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ネットにまつわるあれこれ17

2018-09-29 | ネットにまつわるあれこれ
自分のシンパを前にすると、話がスムーズで温厚。
思いやりのある紳士、淑女なのは当たり前である。
でもここで「いい人だなあ」と思うのは早計と思う。

アンチを前にした時、紳士淑女が、イジワル爺さん婆さんに豹変するのは、ネットでもリアルでも同じこと。
それがダメというより、簡単に「いい人です」とのぼせ上がってしまうのがよくないのである。
自分が知り得ることなんて、ほんのほんの一部なのに。

「いい人です」と言ってしまうと後に引けなくなる。
傍から見ると、苦しい擁護をずっと続けてしまうことになる。

厄介なのはそっちの方に見える。
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