珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

マニュアル外

2018-08-31 | 思うこと
子どもが生まれた時、育児書を片手に
「まっさらな子どもは、これからの教育の仕方で思い通りにもなる」
なんて言葉にワクワクした私は、のちにいろんな局面でそれらはぶち壊されることになる。
全ての子が、マニュアルに沿うとは限らなかったからである。

それは人による。

マニュアルがあるとすれば、これが唯一有難く、心に響いたものであろうか。

ドカベンの岩鬼を見よ。
家庭環境なんてどこ吹く風という顔をしている。

どう考えてもまっすぐに、優等生に育つはずの環境に育った夫が
「なんでいつもつまらない顔してるの?」と言われ続けて、ふざけた学生生活を送った一方、
グレてもおかしくない家庭で育った私が、くったくなく笑いながら、不良のふの字もなく、健全すぎる友達と図書館通いしてたりね(笑)

何不自由なく育った女の子が、ややこしい「心の傷」だの「闇」を抱えてカウンセリングを求める一方で、とんでもない事件に遭った娘が、カウンセラーなんか大袈裟でめんどくさいと言う。

100人のマニュアル人間を知っているとして、自分のまわりにもこれしかいないとしても、それは一人の例外を「知らない」だけの話。

マニュアルに当てはまない人間はいる。
そういう人間はマニュアルに閉じ込められると、殊更うっとうしく思う。

「逃れられない」とか「決まっている」とか「でもこうすれば変えられる(こうしないと変えられない)とか
その手のマニュアルにゲンナリした人間には、再び聞くこのような言葉を聞くと、どうしてこの人は幾たびも信じられるのか不思議でたまらない。

めでたくマニュアルに収まった人間なんだろうかと思う。
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マインドコントロールより…2

2018-08-30 | S教団関係
カルト教団=マインドコントロールと、今やすっかり定着した言葉がある。
権威のある学者がもっともなことを説明してるし、なるほどと思わせることが書いてあるし、反発する理由もない。

だけど宇宙法則の如く、絶対的な「これありき」前提で話されると、決してひねくれ者や天邪鬼でもない、むしろそんな人を苦手とする私が、何となく違和感を感じるのは事実。
そうすると「素直じゃない」とか「我見」とか「無理に意地になってる」とか、かつて耳にした「ナンタラ根性」と言われたことがよぎるのも事実。
「経典に書いてある」が「立派な学者が定義している」に変わっただけに感じるのも、事実。


「自分ではそんな意識はなかったよ」
というとニヤリと得意に笑って
だから、自分では操られてるって意識がないのがMCなんだって
と、印籠のように畳みこまれるのも事実。


自分に意識がないなら、そう言ってる人たちもそれが実感ではなくて、100%「定義されている文献から得た知識」から言っているに違いなく。
決して、自分の感覚から言っている言葉ではないのである。

「学術的根拠」なんて聞き飽きた。
釈迦だのゲーテだの権威ある人の引用も、私にはよくわからない。
正しいとか間違っているも、よくわからない。
これが正しいとピンとこないのに、パブロフの犬のようにあてがわれて従うこともわからない。

あくまで個人的に。

どこの誰が何を言おうと、本に書いてあろうと、自分の感覚で感じられないものを信じたくない私に
「感じられないものがMCなんだ」と、感じてない人が「したり顔」でいう。
その違和感って、一体どこにもっていけばいいのさ?


私は、そんなややこしい学者のいっている理屈よりも、
スポーツ観戦で大勢でつるんだ後に、渋谷のスクランブル交差点で大発生する若者たちとか、ネットの書き込みに夢中なる大勢に、もっと単純なものを感じる。

集団になると、暗示にかかりやすくなって、思考パターンが単純になる。
やたら、まわりにやたら影響されやすくなる。
モラルが低下する。
情緒的、感情的、衝動的になりやすくなる。
ただの愚痴や呟きくらいで、自分が大きな力をもっていると錯覚する。
共通の敵がモチベーションをめちゃ高める。

皆と同じという安心感から、ワルふざけ、ワル乗りが起こる。
だけど実際そういうこと起こっても、殆どが見て見ぬふりをしてしまう。
誰か言ってやれよー。
自分は身のために関わらない故、傍観者となった集団が、結果暴走をエスカレートさせる…


ごくごく身近かな集団心理をちょっとくぐれば、このくらいのことはまとめられている。

私には感覚として伝わる、この方が、だよね~、そだね~ってな感じである。
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今なら、の話

2018-08-29 | 娘と夫の話
結婚はしていたけど、子どもがいなかった時代。(けっこう長い)
中学生の一人娘をもつ、シングルマザーのお母さんの悩みを聞いた。

娘にもう彼氏ができて、同じ中学生ながら、それがよりよって札付きの不良。
娘の携帯を見たら、相手の男の子が「やらせろ」と書いてあった。
24時間娘を監視しているわけにもいかず、どうしたらいいだろうと。

全く見当がつかなくて、なんとなく、こんなことは男の方が斬新な意見がくるかもしれないと思って夫にメールで訊いてみた。
そしたら、わりにすぐに返信がきた。
「『やらせろ』って言い方が気に入らないな。せめて『やらせてください』とお願いするべきだ」

こいつに言っても無駄だと思って、会社の昼休みに、いつも携帯ばかりいじってるおとなしい若い男の子と、二人の子持ちのおじさんに訊いてみた。
若い男の子は
「女の子は最近生理もきて、妊娠でもしたらどうしようとお母さんが心配してるんだよね」
と言っただけで真っ赤になってタジタジになった。
おじさんの方もよく覚えていないので、たいしたことは言わなかったように思う。

いやこんな話は、男って頼りにならないんだと知った。
後に関西から来た女の子が、
「うちはお母さんがおっそろしい性病の写真を見せつけて、そんなものはトラウマになるくらい恐ろしくてビビってビビってそんな気なんかずっと起きなかった」
と言った。
関西のオカンは強烈と思った。

うちみたい色気のない子はまずそんな心配はないけど、今中学生を持つ親になった今、私なら直接その子に会うかな。
どこかの婦人部に負けない、突撃アポなし訪問で(笑)
どうでもいい話だけど、突然思い出した話である。
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マインドコントロールより…

2018-08-29 | S教団関係
「カルト」と呼ばれる新興宗教などからこの言葉が浸透し始めたと思うけど、そんなことは日常に仕組まれている、という人もいる。

でも私はこれにはあまり興味がなくて、どっちかというと単純な
「思い込み」とか「ヒステリー」とか、「集団心理」とか「プラシーボ効果」とか「ハロー効果」とか
(それもマインドコントロールなのかな?ようわからん)
そっちの方に興味がいく。
別に誰の作為に仕組まれるでもない、人が本来もっているあたりまえの心理の方に納得がいくというか。

「騙されるのはカルトだけじゃないよー!!皆んなーー!気をつけてーー!!」
「人は何に限らず、感情であっさりコントロールされてしまいます。自分も気をつけたいと思います!!」


と四角く絶叫する、
自称MCから解放された人が、
「あばたもエクボ」に目をキラキラさせて、「素敵すぎて倒れて涙がでます!!」と叫ぶとか
オーラが見えると言い出すとか
ノンアルコールビールで酔っぱらうとか
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎くなって」、めちゃくちゃ偏った意見をシラフで演説するのを見ると
簡単に影響されるんだなあと。

単純に、この穿った目線が不思議でしょうがない。
ある意味、宗教信者と変わらない。シラフでなんでここまでぶっとべるのか、ある意味うらやましいくらいである(笑)
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閑話休題(ラザリスさん)Robin Thicke - Morning Sun (Lyric)

2018-08-28 | 閑話休題
Robin Thicke - Morning Sun (Lyric)



秋が近づくと、ジャズとソウルが聴きたくなります。
ロビン シックは、リック アストリーと同じく、ブルーアイド ソウルのイカしたシンガーです。
エルビス プレスリーの全盛期に近い、男前です。
ファルセットも、めちゃ綺麗ですね。

今年は九州もやはり、異様な暑さです。
早朝にウォーキングをしていますが、いまだにTシャツ一枚と短パンで寒くないです。
涼しい秋が待ちどうしいですね。







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ネットの正義

2018-08-28 | 日記
クリニックで女性週刊誌を見ていたら、こんな感じの記事があったので、帰ってから似たような記事を検索してみました。
興味がある方は、探して読んでみてください。

以下、記事より私が考えさせられた言葉を紹介します。
赤は私の言葉。

ぼくが今の社会で息苦しく感じるのは、 過剰なまでに正義を求める人たちの存在だ。
正直にいおう、悪はごく少数だし、最初から悪だとわかっているので、かんたんに避けられる。実際にはさして怖くない。


うんうん、そう思う。
それほどのもん?って私は思ってる。
>かんたんに避けられる。実際にはさして怖くない。

私個人は、こういう誇大にしない、ありのままの言葉が大好きですね(笑)


怖いのはいつの時代も正義で、とくになんらかの刺激でプライドを傷つけられた正しさだ。
自分が正義のサイドにあると信じる人たちの、執拗さと復讐ほど恐ろしいものはない。


恐ろしいというより、めんどくさいというか。
個人の性格によっては、確かに大袈裟と思います。
デリカシーがないと言われるので(ないけど)、毎度言いにくんですが。


考えてみると、次男が窃盗で起訴猶予になった司会者とか、暴力団関係者とのつきあいにより引退したコメディアンとか、夫がいない留守に別な男を自宅に連れこんだ女性タレントとか、「傷つけられた正義」によって裁かれた人たちが無数にいる。マスコミは集団リンチのように仕事を辞めるまでつつきまわす。
はじめは興味があった論争も、内輪ノリが強まって、なんだかどっちもどっちだな、と思って離れてしまう……。


うんうん…

正しさや正義感は陶酔をもたらし、一体感を生む。
この一体感こそが曲者です。
ほんとうはみんな個人で思っていることが違うのに、集団の論理や言葉が優先されていく。
これを僕は『正義という病』と呼んでいます。
いまの社会のいろんなところに転がっているじゃないですか。


>ほんとうはみんな個人で思っていることが違うのに
 これはすごく思います。


本気で信じている『正しい歴史』があるのでしょう。
本気でやっているから、まったくぶれない。
正しさを主張する集団に、自分のアイデンティティーを重ねて、自己肯定感を得る。
一体感の快楽に酔いしれるために暴力をふるうのです。

「正しさ」を求心力につながる一体感。
そこから生まれるのは高揚と自分たちは絶対に間違っていない、という感覚だ。
自分たちは本当に正しいのか。
少しでも疑問を挟むと、一体感はなくなる。
ならば、間違っていないと信じたほうがいい。


そうそう、嘘は言ってないし、本当の気持ちなんですよね。
でもそれは「自分たち」とか一体感は抜きで、一人で言った方がいい気がする。
この「一体感」っていうのが、経験上厄介と思う。


人を傷つけるものを、なんとか止めたい。あるいは、差別に傷ついた人同士が、苦しみを共有し、立ち向かう。
その姿に共感するのは当然でしょう。
けれど、批判する相手の間違いが明白なあまり、自分たちの行動に一切の誤りはないと信じ込み始めたら……
そこで、すでに正義の落とし穴にはまっている。
一体感が優先されていって、自分たちを批判する者はすべて許せなくなる。
差別批判以外についてもあたかも声が一つであるかのようになる。
本当はそれぞれの考えがあるはずだろうに。


そう。ロクでもないと思ってるくらいでちょうどいい。
実際、許せないなんてロクでもないですよ。
一切の誤りはないなんて、よほど危険と思います…


「自分たちの正しさを認めさせようとすると、100か0かしか選択肢がなくなる。
正しさを証明することが自己目的化していく。
例えば9割の達成でも、0になる。でも、本当にそれがいいんですか?
100と0の間に、切り捨てられる1から99がある。
それがあたかも、はじめから選択肢にすらないかのようになる。
より先鋭化すると、100もしくは0以外は敵だという選別が働く。
一度掲げた「正しい言葉」に自分たちも気づかないうちにがんじがらめになっていく。

正しさに規定されなければ、もっと自由に考えられるはずで、選択肢はたくさんあるってことなんです。
がんじがらめになると、なにかを話しているのに、個人の言葉じゃないように聞こえてくる。
運動の言葉、集団の言葉が優先されて、その人が本当に自分の言葉で語っているようには聞こえてこなくなるんです。


がんじがらめって本当に息苦しい。
私はこんなに上手には書けないけど、「がんじがらめ」と「個人の言葉に聞こえない」という違和感には、常に敏感でいたいなあと思いました。
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その差って…

2018-08-27 | 思うこと
かつて私は、信者が会ったこともない教祖に、そこまで入れ込めるのが不思議でしょうがなかった。
だって、その人の書いた書物しか読んでないんでしょう?
それも個人的に貰った手紙とかじゃなくて、不特定多数に送っている言葉で人生の師匠と思う???

それが理解できなかったけど、ネットで似たようなものを見た。

実際に会ったこともない。
個人的に名乗り合って、メールをやりとりしたとかじゃない。
ただ「山本伸一」のような匿名の書き込みで、恋に落ちたり、ストーカーしたり、病んだり、妬んだり、殺人事件まで起こるならイマジネーションとはそういうもの。
そんなの仮装空間と距離をとれる人と、精神を消耗する2タイプの人がいる。

この差が「先生!!」と陶酔できた人と、そうじゃなかった人の差なのだろうか。
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習い事

2018-08-27 | 娘と夫の話
娘が起きるなり、かったるそうに「2学期の初日からプールがあるの」とボヤいていた。
夏休み中、ほんのつかの間の愚痴聞きから解放されていたのに、またこの日々かとうんざりする。
初日からプールなんて最高じゃんと思いながら、そういえばこのためにスイミング教室に通わせたことを思い出した。

小学校の時、ママ友の情報によると
「学校の体育程度じゃ、泳げるようになんて親切な指導はないよ。そんなのはご家庭でお願いしますって感じ。
でも中学に行ったら体育の授業で、ふつうに25メートル泳いでくださいってテストがあるから、それで皆スイミング習わすのよ」


そうなの?!と私は焦って、なるほど、殆どの親が通わせている教室に我が子も入れた。安くない月謝を払って。
しかし今の子は何でも到り尽せりだなあ。
私が子どもの頃は、泳ぐのに親がかりとかお金がかかるなんて考えたこともなかった。
習い事なんかしなくても、水泳なんて自転車に乗るように、いつのまにかできるようになるもんだと思っていた。
そう思いこんでいたから、本当にそうなった。
思い込みほど頼もしいものはないのである。

スイミングだけじゃなくて、体操にバレエに習字にテニスとさせてみた。
誘われてタレント事務所にいれたこともあった。
人並みに親バカな期待も抱いてみたけど、意味があったのかはさっぱりわからない。
これもいつか役に立つのだろうか? 

娘に訊いてみたら、書道教室で学んだことは、先生(おばちゃん)は電話になると声色がびっくりするほど若返ること。鉛筆は左でも、筆は右で書けることに気づいたこと。
テニスでは、ラケットは右だとわかったこと。
あとはよくわからない、と言った。

私はその貴重な発見のために、汗水たらして働いたのである。
感謝である。
人生は日々修行と発見なりヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)ノ 
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先を行く人

2018-08-26 | 思うこと
圧倒的多数が「そう」言っていた時、逆らうのがめんどうくさくて、はいはいと言っておいた。
倒的多数が安心と、波風を立てて注目されるが嫌なばかりに。

でも、そんなものどこ吹く風と自分はこう思うを言っている人はいた。

そういう人は「激しく同意」も「ああ私だけじゃなかった~」も、心底どうでもいいことなんだと思う。
誰が賛同しようが反発しようが、そんなもの知ったことじゃない。

後に、当時は誰も言ってなかった、その人が言っていたことが圧倒的多数となった時。
それに激しく同意しても波風が立たなくなった時。
 

途端それらのシンパはドッと押し寄せる。

ああ、あの人の言っていたのはこれか!!
圧倒的多数に囲まれてやっとそう思った時、あの人はもういない。

そんな人は、とっくにそこを去っていて、またどこ吹く風で好きなことをしているんだと思う。

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幾つもの事実

2018-08-26 | S教団関係
シンパがアンチになった途端、突然増えるのがスキャンダルである。
誰かと誰かが不倫していたとか、誰がお金に汚いとかDVだったとか、今まですっとぼけていたことを暴露しだすからである。
しかも同じ出来事が、その時の感情で、別モノのように内容が変わる。

シンパの時は「いいように、いいように」「肩入れして」「できるだけ穏便に」したものが、
アンチになると「ことさら刺激的に」「悪意をこめて」「センセーショナルに吹聴する」

そしてそれらは立場によって、いくらでもニュアンスを変えられる。

シンパの時は、人を深くわかろうとする気持ち、事情を汲もうとする気持ちから。
アンチになってからは、それは悪口ではなく、しょうもないことを告発することで「目を覚ましてね」という思いやりからの気持ちから。

気に入らない場合には、軽蔑をこめて隠蔽体質と呼ぶ。

感情次第でいかようにも語れる、幾つもの「事実」があるんだなと思う。
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ネットにまつわるあれこれ14

2018-08-25 | ネットにまつわるあれこれ
気になるブログがある。
コメント欄も設けてある。
ならば言いたいことがあるなら、直接本人に言えばいいのになぜかそれはしない。

裏サイトを立てたり、よそのブログへ行ったりして、必ず別の場所で
「あれはおかしいよねえ」「あれって誰?」「笑っちゃうよねー」
と騒ぐ。
いかにも強気な評論を並べながら、直接本人に、ではなく。

口では「言っても無駄」とか「関わりたくない」というけど、本当に無関心で関わりたくなければ読むわけがない。
わざわざ読んで感想文まで書くということは、並々ならぬ強い関心があるということである。
言っても無駄なのではなく、言っても無駄のような相手に工夫して、主張と返信を展開するメンタルを己が供えていないということである。

そういう人に限って、同じことをされると激怒して
「おい!!直接自分に言え!!」と大騒ぎする。
自分はそうしないのに、相手にはそうしてほしい(笑)
きっと「直接言っても無駄。でも一言言いたい」と、半端なことを思われているのかもしれない。
あなたと同じように。

たかがネット上の人物に、無関心なら話題にせず、言いたいことがあるなら本人に言う。
ではなく、
その中間のめんどくさいことを、ごちゃごちゃするのが大好き。

リアルでもネットでも、めんどくさい人というのは変わらないもんである。
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自由研究

2018-08-24 | 娘と夫の話
夏休みの終わりのカウントダウンが始まっている。
宿題が苦痛で苦痛で、先延ばしに先延ばしにしていた娘の情緒が不安定になり、それを目の当たりにしている私も苛々が募り、家の空気は台風の如く、荒れ模様である。

「理科の自由研究って何?私、何も実験したくないし、観察したくない!!」
と娘がわめき散らす。
そういうことが好きなはずの夫が、こんな時にはクソの役にも立たずに
「嫌ならやらなくていいじゃん。俺なんて夏休みの宿題なんかやったことないよ」
と現実離れしたことを言い、私は一切が面倒くさくて
「ネットで適当に調べれば?」
とあっさり投げる。
やりたくないことをやらされる…となると、忍耐に欠ける我が家は、全員がこのように一斉に病むのである。

娘がPCを叩きながら呟く。
「これにしようかな。10円玉、タバスコでキレイになるんだって」

私の人生でタバスコで10円玉を磨いたこともないし、これから磨くこともないだろうけど、人生に無駄はない。
きっといつか役に立つんだろうと思う。
他にケチャップとマヨネーズと酢でも試すそうである。
好きにやってくれ、と思う。

学校も職場も世間も常に我々にストレスを与えて、それをいかにクールに処理するか。
人生はつまるところ、これなのかもしれない。
そんな自由研究はホントに面倒くさいんだけど、これは経験上一生続くぞv('▽^*)♪






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無反応2

2018-08-23 | 日記
先日、道を歩きながら、ふと娘の事件のことを思い出したら、加害者の名前が全く思い出せないことに気づいた。
あれ?何だっけな?と。
あんなに頭にきていたはずなのに、すっかり忘れてしまった。
いやいや確かにここのところ、テレビに出てる人の名前とか娘の友達とか、例に漏れず「アレアレ…」になってるけれども、これっていいのか悪いのか?

世の中にはどんなネガティブなことも、いやネガティブだからこそ「風化させてはいけない」とか「語り継がないといけない」ことがあると聞く。

それはそうなのである。
でも、薄情なくらい忘れてしまうのも事実である。


忘れられてしまう…或いはこの方が冷たいのかもしれないが。
でもこんなケースもあるという、これも参考までの話である。
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閑話休題(ラザリスさん)“Dancing in the mood” performed by H ZETTRIO 【Official MV】

2018-08-23 | 閑話休題
“Dancing in the mood” performed by H ZETTRIO 【Official MV】



台風19号と20号に挟まれています。
台風も、この号数までくると、そろそろ秋の気配を感じます。
夜になると、外の草むらで鈴虫やコオロギが鳴き始めました。
秋には、やはりジャズが聴きたくなります。
このバンドのピアニストの方、初期の「東京事変」に参加されていたみたいで、かなり有名なミュージシャンのようです。
ピアノはもちろん、リズムセクションも超絶テクニックですね。

動画に出てくる風景は、横浜かと思ってましたが、神戸みたいです。
こんなおしゃれな街を散歩してみたいですね。
山に囲まれて生活しているので、港町に憧れます。







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自分の言葉

2018-08-23 | 日記
何の知識も先入観もない娘に
「生まれ変わりってあると思う?」
と訊いてみたら、「ない」と返ってきた。
「死んだら終わり?」
「うん、終わり」
理屈も根拠も知らない。
ただ自分はそう思うのだと。

タイムマシーンに乗って、気の遠くなるような昔に行ったら存在するのか、誰も見たことのない
「あの人が言うから」「言ってないから」
を言いたがる人。
「自分にはわからない」より、「自分はこう思う」より、大人は「とてつもなく偉大なあの人の答え」がほしくなるのだろうか。

どんな偉い人や圧倒的多数の声が自信たっぷりを言おうと、自分の素直な「わからない」の方が響くことってあると思うのだが。
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