珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

2019年総括6

2019-12-31 | 日記
一つの意見に対して、すべての人から賛同など無理。
賛同どころか、アンチが付くこともある。

アンチにもレベルがあって、ただの反対意見を超える場合もある。
「細かい言動を逐一チェックして何とかして足をひっぱりたい」とか、
「相手が自分の思うようにならないと、精神的なダメージを与えて黙らせようとする」ようなアンチである。
それを日課にするレベルのアンチである。

好きも嫌いも熱狂レベルになると、医者では直せない病のようなもの。

でもよくいえば人を酔わせるというのかな。
酔うことのない人生などつまらないと思うゾ。
どうせ酔うなら更なる美酒で ヽ(*^O^*)_□

ということで、大晦日も元旦も私は仕事だけど、皆さまよいお年を。
今年もたくさんの方がお付き合いくださり、まことに有難う存じました。


年末年始は義兄の都合で、家族三人で静かに年越しすることになりました。
こんなのんびりしたお正月は、夫と出会って以来(結婚前から夫の実家で過ごしていた)初めてと思う。
気が向いたらまた書きます。ではでは。
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雑煮あれこれ

2019-12-30 | 日記
娘の家庭科の宿題で「雑煮をつくる」というものがある。
で、娘は家庭科の先生から「ダシは鰹節」と習ったようだけど、それがそうでもないんだよね。
私の実家のそれは鰹節のダシだったけど、嫁いだ先の雑煮のダシは「鶏ガラ」だった。
根本から違った。

これは偏見かもしれないけど、男って「お母さんの味」のそれこそ信者というか、殊更この雑煮に関しては譲れないものがあるようで、夫もお正月は断固これが食べたいようである。

私が食に関してはオールグランドで、多様性を理解できるのはめっけもんだったと思うゾ( ̄∇ ̄)
※美味しければ何でもOK。
地球の端から端の文化まで許容したるわ、という自信がある。

というわけで、我が家のお雑煮はこの時期にはスーパーでも必ず売っている冷凍の鶏足を買ってきて、ネギと一緒に延々煮込む。
いってみればラーメン屋のスープ作りを想像してほしい。
でも私はそんな何日も煮込まないので、市販の「鶏ガラスープの素」も足すけどね。
これの仕上げに塩と醤油を足して、ささみを細かく切ったものを入れる。
具材はナルトと、ネギの白い部分を細かい短冊切り(あれば三つ葉)のみ。
これにカリッと焼いた餅と組み合わせて完成。
あっさりしていてとても美味しい。
酒にも合うぞ。

実家のそれとは何もかも違ったけど、私はこれがかなり気に入って、今はひそかに義母より義姉より上手いと思っている。

皆さまも多様なるお雑煮を楽しんでくだされ。
幸せを感じるものに、これだけが正当なんてないのである。
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2019年総括5

2019-12-29 | 日記
たまには繁華街にショッピングにでも、と最近できた話題のショッピングモールに出かけてみた。
娘は友達と遊ぶ用事があって、夫と行くつもりが「やっぱり面倒くさい」と言われたので一人で。
アメリカ航空宇宙局NASAの科学的見地による「男が女の買い物の付き合うと、戦場に行く同等のストレス」でも感じたのであろう( ̄∇ ̄)

結果、何も買わずに帰ってきて、改めて自分の物欲のなさをしみじみ思い知った。
好きなはずの何を見ても、欲しいという湧き上がるような情熱がこない。
食事処もどこも人混みで、お茶一杯飲む気にならない。
強いて言えば仕事で着るエプロンが目に留まったけど、まあ今のもまだ使えるし、と「出かけた」という雰囲気だけ味わって帰ってきた。

魅かれるものが明らかにシフトしたんだなあ…

何であれ、ある時突然、これまで夢中だったはずのものが、遠い遠い過去のようになっていることに気づく瞬間がある。
そんなことは普通はいちいち意識しないのかもしれないけど、私はそれを生々しく感じ取った感覚をいくつか思い出せる。

それはあくまで個人的な感覚なんだけど「書いているから」かもしれない。
なんで書くとそうなるのかは知らない。
私にとって書くことは、息を吸うようにあたりまえすぎて説明もできない。

ネットで発信なんてこそ10年にも満たない新参者だけど、ただ「くだらないことを書く」ということなら私は11歳から書いている。
たいした人生でもないけど、単純に書き続けた年月だけなら長いかもなあ…
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ネットにまつわるあれこれ40

2019-12-29 | ネットにまつわるあれこれ
例えばショップに売っている本やCDなら、いいなあと思えば買うしつまらなければ買わない。
テレビも面白ければ見るけど、つまらないなら見ない。
歌や芝居や映画のチケットを買うのもそれは同じである。
結果、「売れているものはファンから愛されているもの」とずっと思っていた。

が、ネットになるとこれが違ったりする。

ネットには嫌いで批判したくてワルグチを書き込みたいから見るという、独特の文化?がある。
そういう需要がある。

 従って例えば再生回数が上がるほど収益も上がる動画配信などは、仮に低評価が高評価をはるかに上回っても、再生回数があれば評価に関係なく儲かる。
わざわざ低評価のボタンを押して罵倒や嘲笑や文句を書き込むために見たいという人相手に「売れる」という不思議な現象が起こるのである。

愛されて売れるのではなくて、嫌われて売れる。
まあ炎上商法ですね。

自分が嫌われて信用を失っても、その代わりにお金が入ってくる。
人を貶めて嘲笑いたいという感情と、金との取引というのかな。

こんな世の中が来るなんて、私は子どもの時習わなかったし想像もしなかった。
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納得した言葉6

2019-12-28 | 思うこと
学術とか権威とか論文とか、私などがわかるわけもない彼方の別世界のようなものが、例えばネットのウィキとか、人気ユーチューバーとか、果ては誰ともわからない書き込みで知ったかぶりされる昨今、
その学術的な論文で、世界的に権威のある賞を受賞した学術者が書かれた文章を紹介する。
以下、ブログ「アメリカ大学教員の日記」より引用

まず、日本人(に限らないが)の多くの人(というかほとんどに人)は科学論文なんてまともに書いた事もないのが普通である。いや、書くどころか読んだ事すらないのが普通である。
そんな人がまず知る必要があることを一つ。それは
いわゆる理系分野(私はこの理系とか文系という言葉は極力使いたくないのだが、ここでは便宜上使う事にする)では、基本的に
ほぼ全ての論文が(学問の歴史の中で見れば)ゴミ程度の価値しかない
ということである。

おそらく世間に出回る論文の99.99パーセントぐらいはゴミのような論文である。私は数学が専攻だが、数学のような厳密な学問であったとしても例外ではない。実験系科学になればなおさらであることが容易に分かる。

このことは世界的に最も権威があるとされる論文雑誌(Natureとか)に載るような論文でもその例に漏れないのだ。

もちろん私が今までに書いた論文もそうである。

ましてや博士論文などになればゴミの中のカスぐらいといったところが普通である。(さらに修士論文ぐらいになれば、目にも見えない塵ぐらいである。)

そして、論文一本一本の重箱の隅をつつけば、いくらでも問題点は見つかるものなのである。不完全なものもあるし、不備もある。あやしい点も見つかるかもしれない。ミスだってあるし、書き間違えもある。

数学のような学問であっても、一本一本の論文をよく調べれば、

この論文にあるこの定理の証明ちょっと怪しいんじゃないか?
とか
こんなの、当たり前のことじゃん。なんでこんなくだらないことを論文にする必要があるんだ?
とか
この論文の内容、間違えでは無いけどだからどうしたの?
とかいった感じで首を傾げたくなるようなものも沢山あるし、さらには
この論文に書いてあることって、基本的に間違えじゃん
ってな場合だってあるのだ。もちろん、世界的に権威のあるジャーナルに出版されているような論文であってもである。

それもそのはずで、上に書いたように分野を問わず99.99パーセントの論文はゴミだからである。

とりわけ、現代においては学者間の競争も激しい上に、学問も細分化されており、各分野の最先端の論文を理解できる人間など世界中に数人といないかもしれないのが普通である。

そのような状況で、研究者(特に若手)の多くは少しでも良質の論文を少しでも早くかつ多く排出することを迫られるのだ。

そのことが、論文一本一本の「ゴミさ加減」をさらに増すことになる。が、

実はそれで良いのである!!

ゴミのような論文が大量に排出され、ゴミの上にゴミが積もり、巨大なゴミの山ができる。が、これが不思議なもので、いつしかそんなゴミの山の中から小さなダイヤの原石(残りの0.01パーセントの論文)が生まれるのだ。そして、そんなダイヤの原石に磨きをかけようとして、さらにゴミのような論文が大量に重なり、初めは小さなダイヤの原石も少しずつ大きくなり、磨きがかけられる。このようなプロセスが長い年月に渡り行われ、いつしか『まばゆい光を放つ大粒のダイヤ(後世に残る大理論)』が出来上がるのだ。そして、この時点になるともやはそのダイヤがいったい誰の功績なのかすら分からなくなっているのである。

そのため、論文一本一本はある程度時間が経てば、誰も読まないものになるのだ。数学で言えば、まぁ、どんな価値のある歴史的論文でも半世紀以上経てば、ほとんど読まれなくなる。

ちなみに(いわゆる)文科系の学問と理科系の学問の相違点の一つはこのような点にもある。哲学を志す人であれば誰でもプラトンやアリストテレスの著作を(ある程度は)読む必要がある。これらは2000年以上も前に書かれたものである。が、数学を志す人は別にガウスやオイラーの書いた論文なんて読む必要は全くないのである。相対性理論を学ぶのにアインシュタインの書いた現物を読む必要等もない。それどころか、そんな昔のものを読んだらかえって理解の妨げになるし、時間の無駄でもある。

結局、数学や自然科学は「ゴミの積み重ね」によって発展していく学問であり、一本一本の論文(つまり単なるゴミ)を取り上げて、その不備や不完全生を指摘することがいかに馬鹿げた事か理解する必要がある。
 (引用ここまで)


私にこんな文章をジャッジできるような知識も経験もないけれど、この方は、以前騒がれたスタップ細胞をめぐる騒動に、
「マスゴミだけでなくブロガーなどのネットメディアまでもがこぞってこの陰湿なイジメに加担している。
 件の女性科学者に関して、科学の研究や論文のこともろくに知らずに個人攻撃をしているそこのあなた、恥を知りなさい!」

と言及されていた。
私はこの「科学の研究や論文のこともろくに知らないないのに」「恥を知りなさい!」
という二つの言葉にただ納得した。

そして
「ゴミのような論文が大量に排出され、ゴミの上にゴミが積もり、巨大なゴミの山ができる。が、これが不思議なもので、いつしかそんなゴミの山の中から小さなダイヤの原石(残りの0.01パーセントの論文)が生まれるのだ。そして、そんなダイヤの原石に磨きをかけようとして、さらにゴミのような論文が大量に重なり、初めは小さなダイヤの原石も少しずつ大きくなり、磨きがかけられる。このようなプロセスが長い年月に渡り行われ、いつしか『まばゆい光を放つ大粒のダイヤ(後世に残る大理論)』が出来上がる」
という言葉が響いた。
そうなんだろうなと思った。
この言葉に論争の余地はないと思った。

これ以上の言葉も足しません。
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夫の仕事

2019-12-28 | 仕事の話
大掃除をやりたくないために、12月に入ったら普段の掃除にちょっとだけあちこちの片付けをプラスする。
あとはカーテンを洗って、グラスを全部ハイターに漬けて、換気扇だけはプロにお願いする。
たいしたことはしないけど、これでなんとなく年を越せる気分になる。

ホントたいしたことしないし、ユルユルの次男の嫁ですよ~( ̄∇ ̄)

今年は夫がめずらしく27日が仕事納めだった。
いつもはもっと撮影が押すのに今年はうまくいったようである。
そういえば今年のキーワードに「働き方改革」ってありましたね。
が、そんなものは勤め人の話で、夫のような立場は全然関係ナシ。

ついでだから一般の人にはなかなか知られていない、夫の働く業界の話を書きましょうか。
私がやっていることではないので、あくまで「妻の立場として聞いて知っている範囲」と了承して頂きたく。

会社勤めの人は、年間の休みが計画的に立てられると思うけど、こういう仕事は本当にわからない。
というのは例えば、「連続ドラマ」にしても「単発ドラマ」にしても「映画」にしても、撮影が始まると台本と仕事のスケジュール表が渡されるんだけど、そのスケジュール表に関していうと
「その予定はだいたいが一週間くらいのものが細切れで渡されるため、休みなどはその単位でしかわからない」
つまり、子どもの運動会がいつというのがとっくに分かっているとしても、夫の休みがいつかんてことは一週間前でないとわからないので、予め予定など立てられないのである。
(立ったとしても、悪天候や震災や、役者がインフルエンザにかかった、スキャンダルで降板などいろいろある)

仕事の話をすると、例えば2時間ドラマ一本を撮る時の撮影期間は、だいたい2週間くらいかかる。
テレビではほんの一瞬で流れて終わるシーンに、何時間もかけられているんですよね。

昼を夜にしたり、夜を昼にしたり、夕暮れや雷の明かりを作ったり(そんなことができるんですよ)、明かり一つもいろんな機材や技術を使って全部、当たり前だけど「考えられて、人間関係の軋轢や重労働を乗り越えて、制作されている」
雨や雪もホンモノを使う場合もあるけど、「作って」降らせたりもする。
それによってたった一言の芝居も変わってしまうんだよね。
男性のメイクや服を整えるだけで人によっては一時間くらいかかる。


そんなこんなで、朝は新聞配達員より早く起きて、帰宅は深夜が何日も続いたりする日程になったりする。
効果音や音楽一つにもその道のプロが練り上げて作るものであり、そもそもの脚本も、思い付きや勢いなんてものではなくて、生み出している作品なんですよね。

まあ昨今は、動画といえば誰でも簡単に撮影して世界配信なんてできる時代で、まずかったら即削除、なーんて世界だけど、そういうものは根本的に別物というか、プロが作っている作品ってそういうものである。

そんな堅い話は置いといて、役者の「生の芝居」を見ている夫が私には単純にうらやましい(;゚∇゚)
打ち上げで歌もやっている役者さんの「生の歌」を聴けるのがうらやましい(;゚∇゚)

でも……聞いた話なんて所詮この程度だよね~
私のリアルはカーテンを洗ったり床の雑巾がけをすること。
やはり「実体験は強し」だと思う。
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2019年総括4

2019-12-27 | 思うこと
実家が資産家というわけではなくて、父親は成人する前に他界した境遇ながら、強い志を持ち、異国で先のこともわからないまま人知れず必死で努力して、一歩一歩地位を築いていった人がいる。
十数年後にグリーンカードを取得してマイホームも持って、日本人では初めてのなるその界隈での名誉ある称号まで取った。
本人はそんな側面は露ほども見せずに、柔らかい笑顔と語り口で笑わせるけど、歩いてきた重みが違うんでしょうね。

何て強い人なんだ……
強い人って限りなく優しくて、めちゃくちゃ面白い。
つまらない不幸自慢を、ウダウダウダウダ語り聞かせはしないんだろうね。

私も苦労話など、詳細に書こうとも語ろうとも思わない。

心に入ってくるものと入ってこないものは、「今の自分のレベル」なんだろうなあと思った2019年だった。
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スゴい力

2019-12-26 | 娘と夫の話
「ママ、CAゲットしたってどういうこと?」
 「キャビンアテンダントと仲良くなったってことじゃない?なんで?」
「『おととい合コンでCAゲットした』って文章読んだから」
「母に聞くならもっとこう、文豪の銘文とかもってこい…( ̄▽ ̄;)」

しょうもない質問に答えているうちに、娘も最近はほぼほぼ私が何を知っていて、何をさっぱり知らないかを理解するようになった。
が、まだ完璧ではない。

私が答えたい質問は何かをわかってほしいけど、でも「人に教える」ってめちゃくちゃ難しいよね。
説得力だけではない、聞いて貰える何かが要る…

娘の家庭教師が来年3月で、正職に就くためサヨナラする。
学校の、どんなにいい先生が親身になってもなかなか人になつかなかった娘が「卒業式より悲しい」と言った。
私はとっくに関与はやめて、玄関での出迎えも見送りも娘一人に任せて、月謝を渡す以外は何の口も挟んでいない。

娘は最初の日から全く変わらない態度で、帰りには玄関で「ありがとうございました」と四角い挨拶をしてお辞儀をしている。
そんな一見、堅い距離感の中で、心には強く響いているものがあるんだと思う。
男の子もワンワン泣いた卒業式で、そんな同級生をチラチラ見ながら困惑していた娘であるが。

人を惹き付けて説得できるって、それだけでどんだけスゴイ力があるのかと思う。
ただの正論とも違う、この力は侮れない。
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どこにでもある声4

2019-12-26 | S教団関係
「信者はどうやってもダメ。話しても動画を見せてもダメ」

これはS界隈とは全く無関係のサイトでの、ため息まじりに繰り返された言葉である。
この意味の信者とは、とても強く支持しているシンパ、これは正しいと思い込んでいる人たち、という意味ね。

なぜというならばその人いわく
「フィルターを通して観る以上ダメですね。
それにもう想像を超えて、はるかに超えて、不都合はびっくりするほど、完全にスルーするんです。
頑なに目を背けるんでしょうかね?」

そして
「どんなカードを切ろうが、どんな懐刀を出そうが無理。愛してしまったら正当化される」

どうですか?
Sシャッターなんて特別なものはないでしょう?
マインドコントロールだのカルトだのじゃなくて、人はこうだと強く思っていることは、他人がどんな明快な言葉で噛んで含めて話したところでわからないし、わかろうとしないし、変えないんですよ。

S脳、S脳とそんな特別なものがあるかのように、一旦それを信じ込んでしまえばそれも同じ。
「そんなものは誰でもあります」と言ったところで、やめたら違う、一般人は違う、それはS会員だけの思考という一点張りも私も散々見た。

まあ「よくあること」と思えばラクになるのかな。
いや、特別なんだ、殊更深刻なんだとあくまで、特別がいい、特別扱いじゃないと嫌だというなら言っても無駄と思うけど。
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2019年総括3

2019-12-25 | 思うこと
今年の私の、ネットでの予想していなかった出来事はYouTubeの知らなかった世界を垣間見たことだった。

今でこそネットで誰でも好きなことが発信できるけど、昔は自分の主張が活字や映像になって世に配信されるなんて「それにふさわしい力量をもった人」しか与えられない特権のようなものだった。
少なくとも私はそう思っていた。
しかしながら、そんなプロであり機会がありながらにして、信ぴょう性がない作り話や「おもしろおかしければ」と、下世話な駄文を書く。
これを真っ向から斬って、マスコミのデタラメがどんなふうにもっともらしく書かれるのか、それらが人にどう印象操作されて信じられてしまうのかなど、具体的に解説しておられたのがメンタリストのDaiGoさんだった。

私はこれが非常に興味深くて、関心のある分野だけチョイスして動画配信を見ていたら、ある時そこに異常なアンチが現れた。
本当に呆気にとられるようなアンチだった。

正直アンチって見慣れていたし、醜い論争など浴びるほど見慣れていた私もこれにはびっくりした。
朝起きた瞬間からネットストーカーを開始して、それが一日中続く。
いったい自分が何されたのか知らないけど、まるで人生を狂わされたみたいな憎悪と嘲笑を隠しもしないで、何日も何日も口汚く罵しり続ける。
他にすることがないのか、逐一隈なく言動をチェックして
「放っといたら間違った情報に影響される人が出て危険だからね。ずっと監視して粘着してないと」
と言ったその人は、それまで知らなかったけど「えらてん」さんという人だった。

画面から「俺、おかしいだろ?」と爬虫類みたいな目で問いかけていたので、思わず「うん、そう思う」と頷いた。

その方はN国政党のアンチもやられているようで、それでその界隈の他の配信動画を見たら、松田優作ばりのなんじゃこりゃーー(・・;)???という世界だった。
S界隈の論争が可愛く見えたほど、そこは揚げ足取りと小競り合いの巣窟だったわ( ̄_ ̄ i)

そんな中で「はぐれ哲学者さん」というアメリカ在住の大学の先生が、唯一面白かった。
私は政党には興味がないんだけど、ただこの人の言動というか、キャラがめちゃくちゃツボだった。
この方も変わった方に違いないんだろうけど、私は好きになった。
少なからず、人をゾッとさせる憎悪の眼では見なかったし、この人には心の優しさを感じた。
それは今も感じている。

自分が魅かれるというのは、その時の自分に必要ってことなんだろうね。
人生のどんな時も「今の自分」に合うものに魅かれる。

それがいつか変わったとしたら「騙された」という人がいるけど、私はそうは思わない。
誰もが、ただその時その時に必要な、大事なものがあるのはないかと思う。
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2019年総括2

2019-12-25 | 日記
今年の話。
以前「嫌われる勇気」に書いてある、人は物事を過去の原因より今の目的をもって成す、という考え方が私には非常に納得だったと書いた。
これは今までの「因果」とか「トラウマ」という理屈がしっくりこなかった私には、非常に腑に落ちたものだったと。
そして、他責や言い訳のしない意味で厳しく感じる人もいるかもしれないけど、私にとってはフカフカのベッドのように感じたと。
そしたら速攻で
アドラー信者!!という声が飛んできた。
(信者って言葉好きだよね(笑))

つくづく思う。
世の中には、これいいなあと言うと即「信者」「心酔」「騙される」とはやしたてたくてたまらなくて待ち構えている人がいるんだよねえ。
(何かトラウマでもあるの( ̄∇ ̄)?)
じゃあその理屈でいうと、それって
「これいいなあと言うと即『信者』『心酔』『騙される』とはやしたてたくてたまらなくなって待ち構えている教の信者」?

「気の合う仲間で集まって語りましょうか。会員制で」
例えばこの程度の話くらいで、そういう人たちは異様に興奮して飛びつく。
信者!!危険!!騙される!!
いやいや、それほどのもん?(笑)

ファンクラブってそんなもんじゃないかなあ?
私も昔、「××のファンクラブに入る」ってすごく憧れたわ。
お金がなくて指を加えて見ていたけど、スゴクうらやましかった。
あれ「胡散臭い大人に騙される会」だったんだろうか( ̄∇ ̄)

そんなこんなで2019年総括、まだ続きます。
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本質を書くと

2019-12-24 | S教団関係
今年もなんだかんだでS問題関わるブログを読んでいたけど、問題の本質はいい加減明らかと思う。
明らかなんだけど、面と向かっては言えない同調圧の壁はベルリンの壁より厚いというべきか…( ̄▽ ̄;)

まず二世問題。
これは本質はサクッと言ってSにあるというより、親子関係にある。
そんなものは宗教であれ、家業であれ何であれ、挙げれば無数にある。

「毒親」とか「親離れ子離れ」とか言葉にすると陳腐だけど、家族になると尊重って難しいのだろうか。
親孝行という絶対的な印籠の前に、はがいじめにされる子どもは多いというのかな。

でもそれに闘いを挑む子どももいるし、親だってそうきたら応えるのである。
娘も日夜、どうしたら私を倒せるか、ない頭を使って押したり引いたり奮闘しているゾ。

その調子だ、親なんて倒してナンボよ。簡単に引き下がってはいけない( ̄∇ ̄)

それはきっと、この先の恋愛とか世の中の理不尽とか一点張りとか、きっとそんな得体のしれない「何か」に役立つと思う。

人の間に立ちはだかるのは一言でいえば「価値観」なのかな?
肉親であれ恋人であれ親友であれ、この壁を越えて、最後には親愛を結べることを祈る。
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2019年総括

2019-12-23 | 日記
2019年。
やっぱりちゃんと今年を総括しよう。

年々図太くなってきたのだろうか。
個人的に私は
アポなし訪問、選挙のお願い、ポストに何やら投函やら郵送、宗教やセミナー等の勧誘、各種セールスマンorウーマン、借金の申し込み、独善の押しつけ
などなどは全然ヘッチャラである。
笑顔できっぱり断れるし、且つ(ここ重要)そんなことをされたからといってその後、その人へのしこりも恨みつらみも全く持たない自信がある。

じゃんじゃん持ってきなはれ( ̄∇ ̄)

なぜって、私の好きなユーチューバーさんが仰っていた
(ドラクエの)はぐれメタルに呪文を唱えるようなものだから。
(これ、めちゃくちゃ笑いました(≧▽≦))

そう、それらに過敏になるのは、それに過剰な恐怖を抱いているからと思う。

まず、要らないチラシやパンフを送られたくらい痛くも痒くもないじゃない?
そりゃ煮ても焼いても喰えない、時限爆弾や毒物なら怖いけどさ。
要らないきれいな紙なら、天ぷらの時使えるよね。(貴重)

 あー私も来年はこれがレベルアップして、ラベルの低いワルグチや、うざったいストーカーにも無痛になっていけばいいなあ。

私はまだ「自分のデタラメを拡散される」のは無痛になれない。
これは難しいかな。
だって世の中にはそれを真に受けて拡散する人がいるからね。
今年もこれをやられたんだよね。

というわけで、感想はOKだけどデタラメを書かれたら今後も買ったるわ~~-y( ̄▽ ̄*)と、残念ながら喧嘩っ早いのは今年も直らなかった海でした。
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やりたくなかったらやってない2

2019-12-23 | 日記
「バズる」という言葉を知った。
今更?(笑)
何なら夏頃には「陰キャ」を知って、これは気に入ったわ。
ネットでよく見る一部の人たちの形容を、前にオタクと書いたことがあったけど、ちょっと違うなあ、何と言えばいいのかずっとひっかかっていた。
そうそう「陰キャ」というネーミングが何とも可愛らしくて、ぴったりくるわ~(* ̄▽ ̄*)ノ"

今年も駆け足で過ぎていく2019年を総括しようと思ったら、この程度でスカスカのようである。
でもまあ好きなことをやって過ぎたかな。

今までだって好きなことをやってきたと思う。
生まれ持った親や家庭に選択肢がなかったという人もいるけど、そうかな?と私は思うけどね。
少なくとも、
「そんな親や家庭が嫌で反発する」という選択と「反発して摩擦が起きるのが怖くて耐えて従う」という選択と
「真ん中をとって折り合いをつける」という選択肢があったはず。
それでも不幸だったという人には、「嫌なことは忘れる」という自由と
「わざわざ思い出して繰り返して言語化する」という自由がある。

やりたくなかったらやっていない。
皆やりたいことをやっていると思うんだけどね。

そういうわけで2019年もスカスカながらも、残り一週間ほど好きなことを書いていきたいと思うv('▽^*)♪
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その時感じたこと

2019-12-22 | 日記
書こうかどうか迷ったけれど、できるだけあっさりと書こうと思う。
以前、娘が事件に巻き込まれた時、加害者は未成年であり、重度の発達障害があった。

こう告げられて詳しい資料も目の当たりにした時、私の中であった震えるような怒りが、和らいだというのは違うけど、何か別の感情に変化したのは事実と思う。
少なくとも「そんなことは関係あるかい!!」とか「知ったことじゃない」とかそんなふうには思わなかった。
正面からは責められないような、ストレートな感情が行き場を失ったような感じだろうか。

発達障害というのは度合も症状も様々で、昨今は度合いによっては、それも個性とか差別はいけないとか盛んに言う人もいる気がする。
私も生まれ持ってのものを差別して見下すような感覚は持ちたくない。

だけど何かトラブルがあった時、姑息な悪意と、自分では物理的に制御が困難なことを「平等に」扱うことは違うと思う。
理解すべきものがあると思う。
それは別に理性を保とうとしたとかじゃなくて、実際にその場に立たされた時に正直に湧いた感情だった。

私はそこには立ち会っていないのでこれは聞いた話だけど、加害者の裁判で
「被害者の両親はどんな人でしたか?」の質問に、先方の父親が
「障害に理解のある人でした」と答えたそうである。

ただ私は加害者の両親の前で、どこから見ても決してご立派で冷静な態度などしなかったんだけどね。
 (夫は冷静だったけど、私は出方次第でテーブルをひっくり返していたかも( ̄▽ ̄;))
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