珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

叩き方講座

2018-09-15 | S教団関係
私は以前、極が付くアンチブログを書いていたので、批判記事のいやらしい書き方を知っている。

基本はものは言いようと袈裟である。
例えば「××にどのくらいお金と時間を使ったか?」と訴えたい時は、「使った」ではなく奪われたとかカモられたと書く。
このように単語一つにも、神経を逆なでするように工夫が必要である。
そっと置手紙をされた程度のことは、張り付いたとかストーカー行為、ゾンビのようだと犯罪者かオカルトのように演出する。
時には情に訴えたり、ユーモラスにしたり、読み手を引きこませるように、かつリアリティを感じさせるように「やや」ドラマチックに書くのがよい。

それから自分の都合のいいように書き換えられる過去の記憶は、さかのぼるだけさかのぼって、広大な範囲で拾うべし。
記憶違いなんてゴミみたいことである。

殺し文句は何といっても信者と教祖とマンセー。
これは何も宗教団体に限らず、それをよく思わないアンチはもちろん、何相手にでも使える。
「仲良し」も「穏やか」も「平和」も「同意」も、最終的に気持ち悪い信者と教祖の一言でねじ伏せることができる。
他にも、MCとか思考停止とか、幾つかの印籠はあるが、紋切り型とかワンパターンというのは意外に好まれるのである。
個人的には、飽き飽きで欠伸がでるが。

信者ではなくてあくまで「ただのファン」と見られるためには、タイガースファンのように、時々外野から汚いヤジを飛ばすとよいとされる。
私は頷く一方ではなく、おかしいことはおかしいと言いますよ、と。
でも、そうなったら憎し、支離滅裂、ブレてる、揉めたとか叩きのめすキーワードはいくらでも用意されている。
このように批判なんて、どこからでもどうやっても起こせるのである。

「ものは言いよう」と「大袈裟」
これを武器に、叩きたい人は今日もがんばろう!!
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学校事情4

2018-09-15 | 娘と夫の話
中学の校長が、4月のPTAの挨拶で言っておられた。
「今の子はスマホから24時間、友達を背負っています。
私たちの時代は学校から帰ったら、友達とは一旦離れて一人になれた。
でも今の子はそのまま持ち帰るんです。そういうストレスも一緒に」
 

ふうん、そんなもんなのか。
スマホだのラインだのに一線を置いている私には、確かに娘の行動が奇妙に思える時がある。

「わー、気がついたら60件も来てるー」
「何なんそれ?そんなに友達いないでしょ?」
「ううん、グループだから私宛ってわけじゃないよ」
「一体何話してるの?」
「今日部活ないんだー、私筋肉痛、それな~、りょ、ワラワラ、スタンプだけとか…」
私にはよくわからん世界である。
面倒くさくないの?と聞いたら、テキトーにスルーして、しゃべる子決まってるし…と軽くやっているようである。

トイレにまでくっついていく友達がいる方が、もっとややこしいかも。
今の子、今の子っていうけど、そんなたいしたことやってないように見えるけどね。

逆に、ああこれは便利と思ったのは、部活で使うバッグを買った時。
色が被らないようにラインに写真を載せ合って、欲しいメーカーと色を探して購入した。
「この色、一年生では誰も持ってない。ありがとう!!」と久しぶりに娘の機嫌のいい顔を見て、よし、プレビューでも書いたろうかなと、私も中学生みたいにウキウキした次第である。
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仕事の話2

2018-09-15 | 仕事の話
物騒な事件が起こって犯人が捕まる度、たいていが「無職」とか自称ナンタラで、実際はろくに働いていないということがよくある。
仕事って、お金を稼ぐ以上のものがあるのだと思う。

別にお金を稼ぐ=仕事とも思わないが、要するに、健康な心身を持ちながらすることなくて遊んでいるのは精神衛生上よろしくない。
これはたいした人生経験もない上での、強い実感である。

私の義母はいわゆる専業主婦だったけど、夫が健在の多くの来客や付き合いのあった頃の話を聞くと、そのきめ細かい対処や気遣いや苦労に驚くことばかりだった。
それをアピールするような人では決してないけど、だらしない恰好で考えのない言葉使い、なんてことは家族の品位を下げるという意識があったんだと思う。

真剣に働いている人は美しい。

道を歩いていても、車が走っていても、ああ今日も誰かが働いている。それが誰かの役に立って、誰かの生活が支えられていると思うとうれしくなる。

働かなくてもいいのが幸せなのではなくて、健康で働けることが幸せと思う私は、ただの貧乏性なのか昭和な女なのかもしれないが。






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