珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットにまつわるあれこれ4

2018-05-31 | ネットにまつわるあれこれ
昔、T協会という教団をやめた人が、ある席でたまたま隣に座った時、意を決したように言った。
「私…信仰をやめたの…」
その人にとっては、重い重い、天と地がひっくり返るような重大な告白だったのかもしれないけど、聞いた方は「あっそー」てなもんである。
申し訳ないけど、何てリアクションしてよいやら、ゴミみたいな話である。
はっきり言ってしまえば、皆がとっくに相手にしていないインチキを、世紀の大発見のように「しってる?」と打ち明けられたようなようなもん。

そういえば熱心に教えを語られたこともあったし、教祖様の本が送られてきたこともあったけど、そんなもの自分が思うほど相手に刺さっていないよ。

しかし当人はこの世の一大事件のように考えている。
本が10冊ほど書けるほどの騒ぎである。
どのくらい大騒ぎかというと、どっから見てもふつうのおばちゃんを、ゾンビだと恐れて「警察呼ぶわよ!!」と脅えているほど。

落ち着いてーーー!!ただのおばちゃんやーーーん!!

圧倒的なロム者の中の、スパークして発言している0.000%の刺激的な話がすべてのように読まれる。
ネットとはそういうもの。



クールにいきまひょ…
コメント (5)

白か黒

2018-05-30 | 思うこと

ものごとの白黒は、あまりはっきりさせない方がいい。 

グレーにしておいた方がスムーズにく。

わかってますがな …

それはよくよく、知ってますけれども…

そんな時、私がやるのがこれである。 

リバーシゲーム!! 

オセロですね。

 

白か黒の二極しか見なくていい世界。 

いや、それしか考えちゃいけない世界。

答えがはっきり出るところがいいのか、時間がかからずに、すぐ決着するとことが好きなのか、実は私の暗い趣味の一つです。

将棋と同じで、コンピュータにも作った人の癖というか戦法パターンがあって面白い。 

心ゆくまで白黒はっきりしたい時は、ぜひリバーシゲームで\(^▽^)/

 

中級レベル

http://www.afsgames.com/reversi.htm

 

 

 

コメント

文章の話

2018-05-30 | 思うこと
私の夫は作文を書くことと、人前で流暢にスピーチをすることがこの世でいちばん苦手のようである。
友人に送るちょっとしたメールに、3日も悩んで書いている姿を見て吹き出してしまうことがあるが、苦手とはこういうもの。
私にももちろん苦手はある。

しかし血を分けた義兄はその両方の玄人で、再販されるような本まで出版している。
兄弟でも全然違うものなんだなあ、とつくづく不思議に思う。
(ちなみに私が唯一ハマった、韓流ドラマの「兄嫁は19歳」という話に出てくる兄弟がそれとそっくりで笑ってしまった)

ところで紙で書く(書籍で書く)文章と、webの文章は、その基本が違うそうである。
どちらにしても文章がうまくなりたければ、ただたくさん書くのではなくて、基礎をしっかりと勉強してから書かないと全く上達しないと聞いた。
しかしながらwebの文章上達のセミナーはごくごく少ないそうで、でもブログなど書く人は興味を持っていい話だと思った。
勉強だのセミナーだのがそれこそ苦手で大嫌いな私も、これは受けてみたいなあと思っている昨今である。

すみません、また前置きが長くなりました。

先日、ブログを書いたことがある友人と、文章について話していた時のこと。
「どんな文章が好きか嫌いか」という話をしていたら、こんな意見があった。
「私はクサイ文章が嫌い」
例えば
「『彼女を見て大変だったなあ』と書けばいいだけのことを、『私は彼女を見て嗚咽が止まらなかった』なんて書く人がこっ恥ずかしくて読んでいられない」

笑った。
私は偉い先生もセミナー講師も知らないし、勉強したこともないけど、頷けた。
これが感覚というもの。

ネットって、ただでさえ万事が実態より大袈裟に伝わりがちで、読む方も何というか真に受けて熱くなりすぎてしまう。

感覚の鋭い人は、セミナーなんか受けなくていいよね。
うらやましいと思ったな。
コメント

或る国語の授業2

2018-05-30 | 日記
小学校の時、教材が「物語」場合、先生は決まってこのパターンを言った。
「読んだあと、疑問に思うことを書きなさい」
その後、クラスの子全員の疑問を話の順番に並べて皆で考えていく、私はこの授業が好きだった。

覚えているのが「ごんぎつね」「めもあある美術館」「大造じいさんとガン」の三つがある。

私は「ごんぎつね」を読んでわからなかったのがこの一点。
ごんぎつねが兵十の採った魚を盗んだ時、「兵十は追いかけてこなかった」という一文を読んで、
「なぜ追いかけなかったのか?」
これが不思議でならず、皆も不思議に思ったにちがいない!と思っていた。
そしたら、そこは
「だって狐なんて足が速いし、追いかけても間に合うはずないじゃん」
という一人の発言であっさり終わってしまった。

そうなんだ…これは国語というより生物学を理解していたらわかる問題だったかもしれない。
私は反省した。

その代わり、親友だった頭のいい女子の
「兵十はごんぎつねを火縄銃で打ってしまった時、どんな気持ちだったのだろう?」
「それから彼はどんな気持ちで生きていったのだろう?」

という質問が、わざわざプリントに刷られて配られた。
す、すごい…こんなふうに書けばいいんだ…
私は感心した。
感心しすぎて結局、兵十はどんな気持ちだったのかは覚えてない。

「めもあある美術館」というのは、自分が生まれてから印象に残ったいろんな出来事が、男から案内された不思議な美術館に並んでいたというお話。
これは断然、これしかないだろう!と思った疑問がこれ。
「他の絵は全部美術館にあったのに、どうしておばあちゃんの絵だけ古道具屋にあったのか?」
(物語はそこから始まる。少年が「おばあちゃんだ!」と驚いてその絵を見ていたら、そこに現れた見知らぬ男がその絵を買って、美術館に案内するという話)
でもそれは
「人物の心情を読んでもわからない」という部類に入れられて、私の疑問は解決されなかった。

最後の「大造じいさんとガン」は速攻で、
「なんで残雪(ガンの名前)は鳥なのにあんなに頭がよかったのか?」
と書いて提出したら
「それは頭がよかったからだよ」と笑われて、何か文章そのものに疑問はないのか?と言われた。
え?だからなんでそこまで頭がよかったのか不思議なんだけど、それ以外で???
時間ギリギリまで考えたけど、それ以外別にわからないことはなかった。
仕方なく「別にありません」と書いて提出した。

「疑問、疑問」ってなんで先生はそんなに疑問を言わせたかったんだろう?
疑問をもつほど、成績がよくなるみたいな感じだった。
そして私の疑問はほとんど相手にされなかった。
実際、私の国語の成績は全然よくなかったし、作文も上手い人はいっぱいいた。

ちなみに「ごんぎつね」は時を超えて、娘も習った。
私に比べたらほんの数年前の話なのに、娘はよく覚えていないという。
「ああそういえば、ごんぎつねの地図を描いたよ。私は巣の近くに神社とコンビニを描いた」
神社はわかるけどコンビニ?!

彼女も将来、暇つぶしのブログくらいは書くかもしれないな(笑)
コメント

ネットにまつわるあれこれ3

2018-05-28 | ネットにまつわるあれこれ
アイドルタレントの事件の影響と思うけど、酒を飲むというだけで冷たい目で見られる昨今。

私は喫煙者では全くないが、マナーがきちんとしている人に文句を言ったことは、ただの一度もない。
そんなこと言ったら砂糖だって中毒性と快楽がある。

私は根からの自由人である。
ケーキバイキングなんて私は行ったこともないけど、嗜好なんてとことん自由なんじゃないの?

嗜好をもたない人って何を楽しみに生きてんのさ?

「酒に飲まれて人様に迷惑」なんてことは、私にはない。
そこら辺の奴よりは強いと思う。
でもそれは酒豪なのではなくて、抜けるのが早い体質とか、鍛え方とか、律し方とか、楽しみ方とか、いろいろあると思う。
私と飲んだこともないくせに、簡単にかるーい言葉で「アル中」なんて書き込むのがネット。
会ったこともない奴にアルコール依存症なんて簡単に言う人こそネット依存症なんじゃないの?って何度も思った。

でもそれがネット。
時代を理由に威張り腐って、調子に乗ってるのがネット。
かるーいのがネット。
全部じゃないよ。
決して全てではないけど、そんな側面があるとは思う。
たかが数年書き込みしただけの感想だけど、違うかな?

そんな中で病まず、ひるまず、健全に書くブロガーがいてもいいんじゃないか、と思う。
コメント (2)

公開・非公開

2018-05-28 | 日記
管理人をしていると、これでたまに悩む。
私が公開しない方がいいな、というコメントもある一方で、相手方から公開しないでと希望されるコメントもある。

以前、やたら非公開のメントを送ってこられるのがおられた。
 「先のコメントは削除してください」などの事務的な内容ではなくて、思いをびっしり書いてこられる。
そしてあくまでも「※非公開でお願いします」と注文する。
非公開ということは私にだけ言いたいんだと思うけど、正直これは面倒くさかった。

例えばそこに、無視できないレベルの事実と違う思い込みがあったとしても、本人の中ではそれで完結している。
「それは違うよ」と訂正したくても、非公開と言われれば何も返せない。
こちらとしては、決めつけられた内容を一方的に読まされるだけで、フラストレーションがたまっていく。
一言、二言返しても、他の人にとっては意味が解らずやめてほしいだけである。

私にだけ話したいのなら、個人的なメールのやりとりをすればいいと思うけど、
それは嫌。
自分の個人情報は教えたくないし、返信されたくない。
返信は不要だけど、自分の言いたいことは、遠慮なく思い切りぶちまけたい。
非公開ならではで。


個人情報を教えるのは嫌というのは理解できるけど、ならばそういう公開したくないようなコメントを一方的に送るのはフェアじゃないのでは?
こういう人は、自分の言いたいことだけはとことん主張する。
でも反論を言われるのは、疲れるし揉めるし消耗するから嫌だと言って受け付けないのである。

その方の最後のコメントは、やはり返信不要の非公開で長々ときた。
ざっと読んだら、
「なぜ、返信不要にするか?
それは、言い合うことを望んでないからなんです」

という主張の総括のようなものだった。

自分が話す分、相手の話も聞くというエネルギーと忍耐の要る「言い合い」は嫌だけど、一方的には言いたい。
何と勝手な、と思うのは私だけだろうか。
コメント (3)

二つ知っている

2018-05-28 | S教団関係
以前、
「アンチというものは、シンパだった頃とアンチの、真逆の二つ知っているから説得力がある」
「どちらか一つに盲信している者より、二つ知っているものは説得力がちがう」
「一つしか知らない人は、二つ知っている人の話のを謙虚に聞くべきだ」
とよく主張していた。

後に私は
撲滅させたいという執着をもって叩かずにいられない
ことと
どうでもよくなって、まるで何も感じない
ということを二つ知った。

結果、「何も感じなくなる」方で全く違う世界を見た。
これがベストと思っていたことが別にベストでも何でもなく、むしろ「面倒くさくてややこしくて精神を消耗すること」かもしれなかった。
もっと別の、或いは全然簡単な方法があったのにと思った。

二つ知っているものは一つしか知らない者より、説得力がある。
一つしか知らない人は二つ知っている人の話のを謙虚に聞くべきでは?
なんて、幼稚な主張は相変わらずなんだけどね(笑)

「やってみないと」答えは出せないものがあると思う。
「やってみないのに」批判するよりは。
コメント

それは幻だった

2018-05-27 | 日記
ここのところ、ずっと精神科医の先生の話を聞いていて腑に落ちたことがあった。

以前、ブログを書いていたら「本気じゃないと人の心は動かせない」というアドバイスを貰ったことがあった。
その時はそうなんだと思って聞いたけど、今は「本気で人の心を動かす」なんて止めた方がいいと思っている。
理由は簡単。
人を変えるのは、時間も労力もストレスがかかる上、ヘトヘトに消耗した結果「ほぼ」不可能だから。

要は誰かに気に入らないところがあるとして、その人がそのままでゼーンゼン変わらなくても、自分がそれを癇に触らなくなれば同じこと。

おーーー!!なんてわかりやすい!!
書いてみても、なんて単純な理屈なんだろうか。

過去にブログのコメント者同士で意見が別れた時、「何としても相手の考えを変えてやろう!」と挑んだ人が、相手のピクリとも変わらないことに消耗して
「疲れました…」
と去っていくのを何度も見た。
そりゃ疲れるよね。
相手が変わるんて幻をうっかり信じたばかりに。

「私の熱いと思いと適格な言葉によって、相手が変わる。変わった」なんて幻想。
 変わったとしたら、理由は「その人本人が自分で気づいて変わった」だなと思う。


それはいつか訪れる。
いつかはわからないけど、少なくとも自分が「相手を変えよう」と思わなくなった時だろうか。
コメント

四年三組のはた

2018-05-27 | 思うこと

http://www.dailymotion.com/video/x5mn1pp

小学校の時、当時の文部省推薦?だったのか、学校で上映されて見た映画である(「猫は生きている」の反戦映画みたいなもの?) 

この映画を知っている人がいたら嬉しいな。

私の好きなシーンは、クラスですごくおとなしい女の子に初めて友達ができて、その友達から「家に遊びにいく」と言われた時。

女の子はそれが嬉しくてたまらず、授業中にその友達に自分の家の地図を書いていた。

担任はそれを見ていて、ニッコリ笑って注意しなかった。(注意したら不良になったと思う)

その女の子の家は印刷所を経営していて、両親とも忙しかった上に兄弟も多くて、小学生ながら女の子は晩御飯を作っていた。

担任は、その女の子がクラスで一番「雑巾を絞ることが上手」ということも見逃していなかった。

 

「カレーを作る時、具剤をバターで炒めると美味しくなる。贅沢なんだけどね」

という彼女の言葉は、今も私が大切にして実行している言葉だよ。

 

大人になってから、この映画がCSの「日本映画専門チャンネル」で放送されたことがあった。

懐かしかったなあ。

  

コメント

美容院にて

2018-05-27 | 日記
美容院で芸能週刊誌を読んでいたら、フランスでシングルファザーをされている男の人が書いているコラムに
「ここではイクメンなんていうのは当たり前すぎて、そんな言葉も概念もない」というようなことが書かれてあった。
夫が仕事帰りに子どもを迎えに行ったり、スーパーに寄って買い物するなんてのも普通だと。
フランスの夫にできて、日本の男にできないわけはないと。

それを読みながら、私の髪を切っているのは独身女性を聞いたら、朝9時に出社して、夜の9時まで拘束されると言っていた。
今は事情があって実家から通っているので通勤にもすごく時間がかっかてしまう。家に就くのは11時くらいだと言っていた。
休みは週に一日だけ。
連休なんかあり得ないと。

じゃあこういうカップルが結婚して子どもを持ったら、どうやって夫婦平等に育児をするのか?と思う。
おそらく奥さんがパートに切り替えても夫がフルタイムのままか、仮に逆でも、二人ともが同じように育児はできない。

そんなこといってもできない職種がある。以上。

フランスにはないのだろうか??????
コメント

凡人の意見(改定)

2018-05-26 | 思うこと

スポーツ新聞でも、希望すれば朝ふつうに配達されることをご存じだろうか?
その場合、エッチな部分は載っていないものが配達されるよ。

思い出したくないけど、神戸でサカキバラ事件があった時、何気なく投書したことが思わずスポーツ誌に掲載されたことがあった。
ざっくりしか覚えていないけど
彼が事件を起こしたのは、誰のせい?
とかいうテーマだったような。

その時は誰のせいでもないよ。本人の問題という内容をサラサラッと短文で書いたと思う。
(当時買ったばかりのFAXがあって、使ってみたかったんだよね)

そんなことを言うなら、私は教科書のいうところの全然よろしくない家庭環境に育ったと思うし、その後もまあチンケな冒険もしたけれど、全然グレなければ、ヤンキー指数も闇も狂気もない、ごくごくつまらない人間である。
卑下でも誇張でもなく、そうとしか言いようがない。
世の中に「何か」を発信したい人には、多かれ少なかれ足りない残念な凡人と思う。

ネットで心を壊されたなんて書いている人の、ただひねくれただけの投書を見る時、これがふつうなのか私がおかしいのかわからなくなる時がある。

わからないし専門家じゃないから間違ってるかもしれないけど、私はそういう人に同情的ではなくて、
甘ったれてんじゃねーーー!ちゃんちゃら可笑しいわ!!
と軽く思うことにしている。

やさしく言うと、真に受けずスルーするようにしている。

冷たいのではなくネットの心構えと思う。

少なからず、リアルを知らない人にはそう思うことにしている。

これはその人の何を知っているわけでもないのに、過去に涙するほど同情してしまった結果、

私の何を知っている?!などと逆に、相当に恨まれた経験があるからである。

そういう人って簡単じゃないんだ。


ネットなど、わかるはずもない人の人格に踏み込むべきではないな、とつくづく思う。

コメント

ブログ紹介

2018-05-25 | 日記

今日はめちゃくちゃ忙しくて遅くに帰宅しました。 

記事を書く元気がないので、最近読んでいるブログをご紹介します。 

最後に動画が出てきますが、クリックするとこの他にもいろいろ出てきます。

私は参考になりました。

http://kabasawa3.com/blog/socialmedia/there-are-no-multiple-personality

http://kabasawa3.com/blog/

ではよい週末を!!

コメント (4)

捨てると現れる女神2

2018-05-25 | 娘と夫の話
娘が言う。
「ママ知ってる?新しい友達ができると、でも失うの」
「今までの友達もそのままで、新しい子とも仲良くすればいいじゃない」
失うっててっきり、それまでの友達かと思ってそう言ったら、そうとは限らないという。

「友達じゃなくて、例えばオセロが下手になったりとか鉄棒ができなくなったりとか…そういう気がつかないこと」
「気がつかないこと?」
「そう、なかなか気づかないんだけど、何かを得ると何かを失ってる」
「それは絶対?」
「うん、絶対」
「それ、誰かに教わったの?」
「ううん、ただ気づいた」
 
私が大人になってから知識で知ったようなことを、感覚でわかるタイプがいるんだなあと思う。

捨てると現れる女神ならぬ、現れると消える女神もあり。

得ると嬉しいばかりを考えていたけど、気づかないうちに何を失っているのか?
「なかなか気づかないこと」で。
たまに微妙なことをもってこられる。
コメント

お願いでございます

2018-05-24 | 思うこと
昔、ある仕事仲間に聞いた話。
その女性は活発で社交的なタイプで、学生時代に学園祭でバンドを組んでステージに立つような人だった。
ある時、ギターのメンバーが都合がわるくなって、代わりを緊急募集することになった。
その時、学内でもいるかいないかみたいなおとなしい子が演奏できることがわかって、急遽その子に頼むことになった。
その子は練習の時もすごくおとなしくて、話しかけても小さな声でやっと返事をする程度。
ところが本番当日、その子は腕にタトゥーを入れて、ものすごくぶっ飛んだ衣装で現れて、皆を驚かせた。
ステージはノリノリだったそうである。

何が言いたいかというと、ネットの人格の印象なんてものは、こんなふうにその人のごくごくごく一部でしかないということ。
むしろ想像と全くちがう場合がある。
オフ会も経験した立場からも見ても、それは強く強く思う。

私自身、数年のネットの書き込みで、その人の意見について話すべきところを、よくもわるくも人格に触れてしまったことが多々あって、それは猛省するところである。
それ以上に私自身に「あなたの性格は云々…」と言われることが多くて、正直これは好きではない。

この際だから言うと、
世の中には一般ではなく、特定の個人の心理や性格を分析したり眺めまわしたり、深読みするが好きな人もいるんでしょうが、私は嫌いである。

記事には人がどうしたこうしたなんて書いているけど、どっちかというと見たままを書いている。

私は毒舌文が好きなのでストレートな文章を書くけど、これは音楽でいえばハードロックが好きみたいなもん。
実際の自分は、文章のまま攻撃的な人間かというとそうではないと思う。
書くことを離れてしまえば、うるさくもなければ、間違ってもステージに上がるような人間ではないし、グループのリーダーになるタイプでもないし、大勢とにぎやかにキャンキャンなんてもっての他。

嘘だと思うなら、私とオフ会した人に聞いてみたらいいと思う。

ある意味ネットなんて仮想空間。
海というHNが、自分のごく一部を書くことのみでやっていることを、全く知らない人間から、リアルを投影したかのような言い方をされると、何というかいい気はしない。
実際にあったことについてならわかるけど、文章から受ける印象のみで、あなたはこうですね、ああですねというコメントはどうかどうかお控えください。
というかシャレの範囲で(笑える範囲で)お願いします。
それ以上は、心の中で好きなだけ思ってください(笑)
私も以降、気をつけますので。
コメント (6)

そんな時もあるでしょ

2018-05-23 | 日記
今夜(も)ボヤくぞ、ボヤきたい、ボヤく時、ボヤけば、ボヤけ…

私もかつては、ブログの言葉一つにやたら過敏になった。
まあ思想系のブログなんか読み書きしていたせいもあるけど、最近は本当にどうでもよくなった。
散々敏感でいて今更だけど、言葉一つで死ぬわけじゃなし。

ブログなんてそんな真剣に読むもの?ましてこんなブログなんて斜めにテキトーに読んでくれ~!!
説教なんていらんわ。どうでもいい駄文にムキになってもしょうがないでしょ。
何の栄養もないわ。

はい、感謝してます。
読んでくれてありがとう。
でも内容薄いです。
ていうか、ほぼほぼないでしょ。
スッカスカです。
ブログの最初に「文章も作品です」とか書いた気もするけど、こんなもんです。

栄養のあるものなんてむしろ今、受付けないんです。
むしろその方が調子がいい。
そんな時もあるでしょ。
コメント (5)