昨今の注射騒動を、これは前代未聞の怖いウイルスが世界的に蔓延したホンモノのパンデミックであり、
政治家や分科会の人たちは、国民が感染症に罹らないために必死の対策をしているのであり、
そのために効果があるとされるワクチンを、人にここまで薦めるからには当然、自らが打っていないはずはなく、
旗を振っている国会議員が打っていないなどというデマは信じられない。
デマに付き合うほどの精神的余裕は自分にはないので。
「打ってない」というなら納得できるような明瞭な根拠を出してほしい。
と主張する人がおられる。
私は最初はある程度の説明はしてみたものの、信じるという人の前には何を並べても無理だと思った。
どんな動かぬ証拠を出そうと、そんなものは何とでも言える、トリックでも作れると理屈を並べて、絶対に受け入れないからである。
S教団の本部職員が財務を「末端会員にはいろんな詭弁を使って煽りながら自分たちは2万しか出していない」というのは、Sアンチの中では常識であり、真実とされている。
私もそういうもんだろうな思うし、別に驚くことでも疑うこととも思わない。
アンチはその根拠を「これがデマなら、多くの本部職員からクレームのコメントが来てもおかしくないはずだ。 ウソなら公式な否定する証拠や証言が現れない以上、この言説の信ぴょう性は高まってく」と言う。
ならば、国会議員も厚労省職員も、国民には「努力義務」とまで煽りに煽ってながら、自分たちが打ってないという話が、反ワクが都合のいいようにデッチあげたウソであるなら
「それに対するクレームのコメントが来てもおかしくないし、 ウソなら公式な否定する証拠や証言が現れるはず。でもない以上、この言説の信ぴょう性は高まっていく」
全く同じ理屈が成り立つけどね。
内部告発や暴露本なども然りである。
内部告発や暴露があったから事実なのではなくて、信じるから内部告発や暴露本が本当のことを言っていると思うのである。
実際、注射騒動でも内部告発や暴露など幾らでもあるけど、信じない人は「金儲けや売名行為のデマだ」など相手にしない。
信じるというのはそういうことである。
「国会議員も厚労省職員も接種なんかしていない」なんてというデマという人は、じゃあ仮に全員の名簿と接種証明書のような厳然たる証拠を出せば信じるのだろうか。
いいえ、出したところで、今度は「そんなものは幾らでも偽造できるしトリックでも再現できる」とか言い出すでしょうね。
一方で、たった一人のネットの匿名が書き込んだ「本部職員は2万しか出していない」は、職員全員の振り込み明細を確認したわけでも何でもないのに、それは「ウソと思えない人柄が文面から伝わった」とか「多くの人たちの心に刺さった」ゆえ、信ぴょう性があるものだと思う。
「何をもってデマとするか?」
これは、よく説明できる言説とか、より多くの人が納得する言説などではない。
どんな奇想天外なことでも統合性がないことでも、信じる時は信じる。
デマと判断して信じないものは信じない。
理屈など関係ない。
「より多くの人が受け入れるか」なんて、大勢とか少数も関係ない。
信じることは心を預けることで、デマと思うことは心が受け付けないことを見ると、どうやらその正体は感覚、感情のようなものではないかと私は思う。
信じることの不可思議を私はずっと考えている。