珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットにまつわるあれこれ25

2018-12-31 | ネットにまつわるあれこれ
ネットで知り合った方々と話をしていて、書くスタンスもそれぞれだなあと思うこともしばしば。
ある人は書いては書き直し、削り、悩み、一日使ったことなんてザラと仰っていたが、
ある人は1つの記事に10分もかけていないぐらい>(^_-)-☆
私も後者である。

記事は、よくもわるくもこねくり回さず、思ったことをお喋りするように書いている。
それでご飯食べてるプロじゃないんだから、下手でも未熟でも独りよがりでも、そっちの方がいいかなと思っている。
流れるように言葉が出てこない日は書かない。
レコーデングよりライブというか、小学校卒業の時恩師から書かれた
「貴女は、考えるより先に行動」
は直らないもんである(笑)
(ちなみに当時私は「貴女」という漢字が読めず、「先生、キジョって何ですか」?と訊いたら、「知らないの?キチガイの女ことだよ」と、シレッと答えた国語が専門M先生であるw)

それからブログは、
公共の場で演説が、いやおうなしに耳に入ってヤジや賞賛がとぶものではない、
と私は考える。
タダといえど、ピンポンと他人家のドアを押して自分が「好き好んで行動を起こして見るもの」と思う。
読んで「不快になるも愉快になる」もあくまで自責。
「不快になったのはオマエのせい」ではなく、嫌なら読まなきゃいいのである。

そんなこんなで、自分が好きで書いてきたこの一年。
仲良しも喧嘩相手も、この日ばかりは全員にこの言葉を贈ります。

よいお年をーーーーv('▽^*)




これから料理(;゚∇゚)
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自由を思う4

2018-12-30 | 思うこと
以前にも書いたが、私は18歳で実家を出て以来、一人で生計を立ててきた。
だからってさ、調子に乗って、自称「自由」なんて偉そうなことを語っているけどね。

でも、今中学一年生でとっくに自我の目覚めた、娘の髪型一つの自由も認めたくないような支配したい気持ちがムラムラ湧いてくる時くらいあるのよ、これでもしょっちゅう。
そしてそれらを強引に奪い取ろうとする時に、どんな痛みや悲劇や争いが起こるか、これでも日々闘い、解かろうとするもの。

自由を気取るなら、他人こその自由を認めてられてナンボなのにね。

「思想なんて自由」といったら、「騙されるのも自由なのか?」と簡単に返す人もいるけど、
そんなのあったりまえでね。

滑稽でも、見っともなくても、恥ずかしくても、情けなくても、理解できなくても、じれったくても悔しくても叫びたくても、割って入って力尽くでもぎ取りたくても、笑って見られてやっと自由になれるのさ。

甘くはないないない、自由。
自分の遠い日を忘れているだけ。
自分の自由を叫ぶのは安かったけどね。




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簡単なことなのに

2018-12-29 | 仕事の話
今日、或るマンションの清掃に行ったら、忘年会の帰りだったのかな?
立派なエントランスに派手に吐いた土砂物が( ̄▽ ̄;)、大量に三箇所にあった。

それはしょうがないとして、
大の大人が自分のやったことぐらい自分で責任持てよーーー!!

ダストボックスにはクリスマスツリーが捨てられていたが、長くて袋に入りきらないからと袋を閉じないため、細かい枝葉が散乱していた。

「んなもん掃除のオバハンか、ゴミ収集業者が適当にやれよ。金貰ってんだろ」とか思ってるのかな?

こういう人は、職場では仕事ができるのかもしれない。
偉そうなウンチクを言ってるのかもしれん。
皆が見てる前ではええかっこしをするのかもしれん。
だが誰かわからず「それワタシじゃないしー」となると、本当の姿が出るんじゃないだろうか。

木でできたツリーなんてちょっと折れば簡単に細かくなる。
それをキチンと袋に詰めて、口を結べば済むことである。
こんな簡単なことがなぜできないのか、私にはそれがわからない。

よくあることだけど、いらなくなった傘もそのままダストボックスにツッコむ人が多いのが常々不思議なことの一つ。
ただ布と金属をハサミでチョンチョンと切って、分別することくらいが「思考停止してできない」んだろうか?
やっちゃいけないマインドコントロールにもかけられてるのか?

「これは私がやりました」
名前がわからないと、人は簡単に責任を放り投げる。

責任なんてメンドクサイことなんて知らないねー。
甘く楽しい自由しか要らないしー。

そういう人は本当の自由を知らないまま死んでいくんだと思う、今年の年末である。




今年もお世話になりました(^^)
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謎のスピーチ

2018-12-27 | 思うこと
「××について一言発言してください」
と言われている場で、関係ない私事や自分語りを長々と話す人をかつてよく見た。

関係ない話や自分語りがいけないのでは決してなくて、今ここで言う話?ってことである。
そういう話は、そういう話が歓迎される場所で、個人的にでやってくださいと思う。

誤解を受けるかもしれないが、だいたいが一部のおばちゃんだった。
なぜテーマは××で一言という簡単な日本語が理解できないのか、不思議でしょうがなかった。

こういう悪気がないことは、確かに面と向かって言いにくい。
結果、言わないから直らないのか、言っても無駄なのか、迂闊に言うとヘソを曲げられて面倒なことになるのか、その全部なのか、そういうおばちゃんは直らなかった。

これも「自分で気づく」しかないと思うが。
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叩かれ方講座

2018-12-26 | 思うこと
企業のトップが不祥事を起こしたりすると、末端は「知らなかった」「隠蔽体質」「慣れあい」と非難する。
隠蔽…でも悪の権化のようなそれの、対局のような指摘や暴露がきれいな正義というとまた違う。

そういう人が、いざ身内やお仲間やシンパ相手にそれを見た時には、その勢いはどこへやら。
「言いにくい」「とても言えない」「居場所と居心地よさを失う」をケロッ通過して言える人の方がはるかに少ない。
何でもそうだけど、自分がそんな立場にならないとわからないもんである。

「隠蔽」「慣れあい」と批判する人も、言ったら言ったで
「事実としても、何でもペラペラしゃべる信用のおけない奴」「手の平返し」「家族が可哀想」「売名行為」…また新たな批判を言ってくる。
追求すると「粘着」で、忘れると「甘い」

叩かれ方講座。

何を言っても賛否。
殊更ネットってそういうもの。
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お歳暮

2018-12-25 | 日記

6月に漬けた梅酒の一部をお歳暮に贈った。 

(※6/5「梅酒作り」参照 https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/d/20180605

私のレシピはが砂糖が控えめなので本当は一年待ってほしいのだが、私も毎年お正月に味見をする。

御屠蘇代わりにショットグラスで頂く、楽しいひと時である。

去年はそれをお世話になった人に宅配で送ろうとして、複数を自転車に積んだ途端、転倒して瓶が見事に割れて、その後 ガラスの破片で手をざっくり切って大変な思いをした。

おそらくどこかに、私に隙というか、惰弱な部分があったんだと思う。

寒い日に、ズキズキと痛む傷を我慢しながら、半泣きで新しい瓶と梱包材を買いに行って、梱包し直して、送り状をボールペンで必死に書き直して、自分用にとっておいた分を贈り直したっけ(笑)

あれから一年…幸せに贈答できたことに感謝である。

 

2018年は私にとって忘れられない一年になった。(とか言ってすぐ忘れるが(笑))

ネットで書き込みをしてからこんなに考えさせられて、価値観の変わった年はなかった。

 

本当に強い人とはどんな人?

これをつくづくと思い知った一年だった。

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比較されなかった

2018-12-24 | 娘と夫の話
女の子たった一人を育てながら、私はいつも怒鳴りまくっていると言うと、男の子を持つママはたいてい
「男の子はそんなもんじゃないわよ」
と慰めてくれる。

しかし身近に、男の子二人を育てながら、
「母親がヒステリックに怒鳴るとか、キーキー喚きながら説教なんて全く経験ない」
とあっさり言ってのける男がいる。
夫である。
この男を前に、まして今よりもっと未熟なはずの時代を怒鳴らずに過ごしたとは、あまりにもツワ者な母よo(T^T)o
同じ男を前にして、なんでこうも差が出るのか?
今年も謎のままに一年が終わろうとしているが、いつか解けるのであろうか?

「この話、信じられる?」
と娘に訊いたら
「それはパパがいい子だったんじゃなくて、おばあちゃまが心が広かったんだよ。300年に一人くらいの」
300年に一人なら、諦めもつくけどね…( ;∀;)

だが一つ感謝しているのは、夫はそんな母親と私を比較して、どっちがどうなどとは一切言わなかったことである。
これも母親が
よそや人と比較して、どっちが上だとか下というような価値観を子どもに教えなかったからだと思う。

私にはこういうことは、教えられたことはあっても「教えられなかった」ことはなかった。
常にため息と好奇な視線で、誰と比べて誰がいいだのわるいだの、羨ましいだの妬ましいだの比較し合うような世界で、夫の家族は新鮮だった。

以前「絶対的幸福」なんていい言葉を習ったが、単語だけ得意に語って、常に周りを眺めまわしながら、優越感と劣等感をくりかえす人たちはいっぱい見た。

そんな言葉は知らなくても、何の呪文を唱えなくても、人と比べない人はいることを知るべしである。





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マインドコントロールより…5

2018-12-22 | S教団関係
クリスマスムードに浮かれた街を、娘と一緒にほっつき歩いてきた。
基本出不精の私も、買い物はネットショッピング一辺倒では味気なくて、この時期だけは少々肌で感じたいと思う。
今日はそこで、思わぬ路上のジャズライブが聴けてよかった。
やはり生で実際に歩くと、バーチャルではできない体験ができるものである。

ところで年末のお掃除などは、皆さまはどうされてるだろうか?
私は溜まったそれを、一日とか半日かけてやるなんて集中力はとてもなくて、常に「小出し」にしている。
だから特別に大掃除なんてものはしなくても、それだけは無事に回っている気がする。
(普段できなくても、数日前から「今日は冷蔵庫」「今日はカーテンを洗う」「今日は捨てる日」「今日は床のクリーニング」と決めればラクですよ)

掃除とは関係ないかもしれないけど、
違和感を感じながらも呑み込んで、見ないふりして 溜めたりなんかすると、後々とんでもないことが起こるのは周知の通りである。

ところで率直に、その自分が「溜めた」ことまでがマインドコントロールだろうか?
中傷のビラを配ったのもMCなら、違和感を溜め込んだのもMCによるもの。
一体どこまでMC尽しなのよ?

単純に、自分の周りの大勢が言うと安心していたとか
アンチも大勢になって市民権を得たらやっとなびくとか
逆らうのが怖くて面倒くさかったとか
一人になるのが嫌とか
コミュニケーション障害まで、全部が
だってマインドコントロールされていたから。
マインドコントロールって怖いですねえ。


これで賛同されるとしたら、お偉い学者さんの言葉にぶら下がるってなんて便利なんだろうと思う。

以上、
「深く心を傷つけているかもしれぬ対話参加者を、萎縮させるような海の思考は非常に危険で、このような精神構造の人間とかかわるとろくなことはないだろう」
という意見もあるので(笑)、毎度のことだが話半分で読まれたし。
それ以前に、そこまで憂いながら、自ら好き好んでクリックしているのが不思議であるが。
ロクなことないゾw

誰もこれが絶対で唯一正しい」などとは言ってないので、Are you OK? v('▽^*)♪
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無反応3

2018-12-21 | 娘と夫の話
夫は「ラッスンゴレライ」も「35億」も「ペンパイナッポーアッポーペン」も、何のことか知らないまま通過した男である。
自分のやった作品以外は地上波放送を殆ど見ないし、タレントにもゴシップにも興味がない。

先日も産後復帰したばかりの有名女優さんと仕事をした後、呟いていた。
「なんかさ、現場でミャーミャー鳴いている動画をさかんに見せてるから、てっきり猫でも飼ってるのかと思ってたら子ども産んだの?」
(いや猫ちがう、人間だってば( ;∀;))

興味がない人にとってはこんなもんである。

ネットでわざわざ意見を書く人は、それに特化した興味のある「大好き」の一割と「大嫌い」の一割の二極と言われている。

それが全てじゃないことを忘れるたびに思い出す、夫はそんな存在でもある。



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自由を思う3

2018-12-20 | 日記
私は高校を卒業してすぐ、はるか遠くの田舎から、単独で上京した。
都会は全くの未知の世界で、電車の乗り方も「さっぱりわからない」中、どこで何して働こう?から始めた。
できたのは日本語が話せることくらいだったけど、日本語が通じればなんとかなった。
とにかく働いた。
着の身着のままで、常に空腹で、暑くて寒くて…だったと思うけど、そんな感傷に浸る暇もなくとにかく働いた。
働かないと生きていけない。
病気にもなれない。
仕事を失ったら、一日も遊んでいられる余裕なんてない。
単純にそれしか頭になかった。

8ヵ月後、私は6畳一間だけど、女の子専用のアパートに引っ越せた。
日当たりがよく、下に大家さんがいて安心な上に、道路を挟んだ真向かいに銭湯があった。
それが嬉しくてたまらなかった。
一円たりとも誰にもお金を借りず、せっせと働いて貯めた自分で借りたお城だった。
最初は布団しかなかった部屋から、テーブルを買って、茶わんや箸やコップ、やかんを揃えて、冷蔵庫を買って、ガスレンジを買った。
自分でお湯を沸かして温かいものを口にできるって、なんて幸せなんだろうとしみじみ思った。
それから鏡を買って、タンスを買って、やがてテレビも映って、欲しかった電話もひけた。(当時はこの権利が高額だった)

そんな暮らしの中でも、私は一年目になけなしのお金の中から1万円の寄付をして、二年目には10万円の寄付をした。

自分だけのためじゃなく、自分以外の人のためにお金を出せることが、私は素直にうれしかった。
その翌年は二十歳の記念で、20万を。
その翌年も、自分の歳の数だけ寄付をした。
僅かの間にそんなことができるようになるなんて、上京したばかりの頃は想像もできなかった。

それが上京して4年後に夫と出会うまでの、寄付の思い出である。
(夫と出会ってからは、結婚資金を貯めたくてそれは止めた)

夫はすでに「親から買ってもらったマンション」に住んでる身分だった。
私が無一文で出てきて、一から一人でやって、貯金もこれだけあるよと言ったら、夫は呆気にとられていた。

どれもこれも私にとっては、「その時」にはやりたくてやった、かけがえのないことである。
嫌々やったことなど何もない。
私はいつも自由だった。



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好きなことなら

2018-12-20 | 日記
先日、娘の大量の漫画本を押し入れにぶち込んだら、奥の方から私が買ってあげた数冊の本が出てきた。
隅に追いやられて全然傷んでいないそれは、遠い昔、私が何度も何度も読んで大切にした本である。
図書館から何回も借りて、くり返し読みふけった本が、歳月を超えてピカピカの新書で自分のものになったというのに、全く価値を見出されていない悲しさよo(T^T)o

そういえば夫は「伝記なんて一冊も読んだことない」と言っていた。
娘は私から無理やり読まされた、たった一冊のヘレンケラーに、
「感想別にない」と言った( ̄▽ ̄;)
(言い訳するわけではないが、家庭教師も同じことを言っていた)

伝記は人の胸を打ち、ためになり、生き方に影響を与える、とは限らない。
人による。

人は自分の中で「これだ!!」とピンとくるものでないと、入らないんだと思う。
無理やり詰め込まれたものなんて、いつか放り投げる日がくる。

ちなみに私が小学校の時、伝記より夢中になったものは
江戸川乱歩の「怪人20面相シリーズ」と、佐藤さとるさんの「コロボックルシリーズ」だった。

誰からも読めなんて言われたわけじゃない。
自分が勝手に興味を持って、一人で読みふけっていただけである。

あれから何十年もたって、いろんな「強いられた価値」は捨てたのに、自分から興味を持ったものは今も大好きで、鮮やかに残っているもんだなあと思う。




ずっとコンビを組んでらした、村上勉さんの絵も好きだったんですよね
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超感覚人間2

2018-12-19 | 思うこと
小学校のある時、私は忘れもしない、母親にこう言われた。
「いい?この世の争いの原因はつき詰めると『思想』がちがうことなの。
これがある限り、争いは無くならない。
だから思想を統一すればいいのよ。
その通りでしょ?」

母親はこんなトンデモな理屈を、近所のインテリぶったおばちゃんから吹き込まれたのである。
(それまでは、こんなくだらないことを口にするタイプではなかった)
今思うと、なぜ分別のある大人がこんなしょうもないことを言って、また真に受けた大人がいたのが不思議でしょうがない。
ふつうの成熟した大人だったら、こんなことを言われたら即刻返すと思う。

思想を統一?
そんなの危険極まりないでしょ!!
考え方がいろいろあるのは当たり前で、尊重してうまくやればいい話でしょ


人生に於いて過去のいろんなつまらないことは忘れたけど、私はこの言葉だけは、何十年経っても忘れられず、ずっと覚えている。
本当に、困ったことを主張する人がいるんだなあと思う。

インテリぶったおばちゃんは、うちの母の数十倍は読書家だったと思う。
知識も教養もあって、弁も立って、字もきれいで文章も書けて歌もうたえて、母は何をやっても敵わないと言っていた。
今までボンヤリ生きてきて、こんな頭のいい奥さんは見たことがなくて圧倒されたと言った。

でも感覚が鈍いと思う。

感覚が鋭かったら、こんなインチキの理屈など一発でわかる。
思想を統一なんてヤバイ。やっちゃいけないし、できないと。
例え歴史がどう、何世紀の誰べエという思想家がどうなんて知らなくても。
誰に教わったことがなくても。
難しく考えなくても。

娘にはつくづくこれを望む。
勉強が嫌いでも、せめて感覚は鋭くなってほしいなあ。
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マインドコントロールより…4

2018-12-18 | S教団関係
かつて一目につかないように、こっそりと他人の中傷のビラ配りをした教団があった。
(全員ではない。あくまで一部ですが)
褒められたことではない。

それはそれとして私が違和感を感じるのは、こういうことにマインドコントロールという便利な言葉が用意されていることである。

MC…それは「自分だけは大丈夫」なんて言えない、アナタもワタシも誰でもかかる催眠のようなもの。
自分は「それが正義である」と誘導され、信じこまされていた被害者のようなものなんです。
といえば、納得してもらえるかのように。

都合のいい理屈だと思う。

表立ってできない中傷を、名を伏せてこっそりとポストの投函するなんてことは、やらない人は絶対にやらない。
あくまで本人が、「やましいことでも、見つからなければ後ろめたさは感じない」「むしろ裏でコソコソやることに愉快さを見出す性質」が、どこかにあったからではないのか?

面と向かって名乗っては言えない中傷を、裏でコソコソする方が断然好きな人。
そんな人は、いつでもどこでもいる。
教団を辞めただの、覚醒しただの、もともと外部だの関係なく、そんな機会があればイソイソとやる。

そんなものにマインドコントロールなんて関係あるかーーーい!!
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娘との会話12

2018-12-17 | 娘と夫の話
ある人に、わかりやすいことを言われた。

勉強できる子の部屋は、本棚に教科書と参考書がずらりと並んでいて
勉強できない子の部屋は、漫画本とゲームが並んでいる。


なんと明解で具体的な言葉か。
子どものやる気スイッチだの、勉強のやり方だの、くどくどしたマニュアル本を読んでも全く頭に入らなかったが、これは「なるほど」と思った。

感動して、
即刻娘の漫画本とゲームを容赦なくドサッと物置にしまった。
ものの5分で終わった。
それにしても、モノが消えるというのは何回やってもなんて気持ちがいいんだろうか。

娘に「そういうことだから。以上」
と端的に言ったら、娘もあっさり一言。
「別にいいよ」

別にいいよって、漫画もゲームもその程度のもんなんかい?!
どうせなら怒り狂うくらいの情熱をもっててほしかった。

私は滅多に欲しいものなど買ってもらえなかったから、自分のものはもっと大事にしたけどなあ。
借りてきて自分のものにならない本は、必死に記憶に刻もうとしたし、買ってもらった本は何度も読んだもんである。
ついでにいうと、絵を描きたかったら、新聞の折り込み広告の裏を真っ黒になるまで使った。
「フランダースの犬」のアニメを見て、紙と鉛筆さえ、誰でも手に入るものじゃないことを理解できた。
真新しい落書き帳にちょこっと書いて、すぐまるめてゴミ箱に捨てる娘を見ると本気で腹が立つ。
多色のクレヨンや鉛筆を豊富に買ってもらえるのが当たり前という顔をされると、嘆かわしいかぎりである。

この情熱が勉強に向けばいいのにと、よく嘆くお母さんがいるが「その情熱」すらアンタには足りんぞ。
とボヤきながら、今日も頼まれたお菓子やシールを買って、喜んで食べてくれるメニューを考える甘い母親である。




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男の愚痴

2018-12-16 | 日記
男は縦社会の生き物らしく、面と向かって言えないことがいろいろあるらしい。
夫いわく、例えば電車の中のマナー違反なんかは、上下関係も、お世話になってるもないからはっきり言えるけど
「仕事はそうもいかない」そうである。

それはなんとなくわかる。
女は可愛らしい顔をしていても、基本ズケズケしてたし遠慮しないが、歯を食いしばって耐える男というのは、これまで幾つもの職場で複数見た。
何か言われたら5分後には給湯室で叫んだり、ランチタイムですぐ発散する女とちがって、男は「これ」をどうするんだろうか?
不思議に思ってみていたら、それもまあいろいろだった。

ある営業の人はふだんは本当におとなしくて上司には絶対逆らわず、でも心配になるぐらい胃に穴が開くような顔をして黙っていた。
だが彼が、タイムカードを押したら別人になることを上司は知らなかった。
ライブハウスでギターをかき鳴らして歌う姿には、ただただ圧倒された。
彼は、こうすれば全てを忘れられるんだと笑っていた。

ある男の子は見た目は「はいはい」と言っていたが、実は全然聞いていなかった。
言われた先から軽々とスルー。
神経質で情熱的な人から見たら、その聞き流しはそりゃもう圧巻のスキルだった。

スルーできない繊細な人たちはある日予告もなく、ブチ切れた。
私はこれまで、椅子を持ち上げて先輩に殴りかかろうとした人と、鉄のドアを足で蹴り飛ばして凹ませた人と、まる40分映画のシーンのようにわめいて翌日退社した人を見た。

男はこうなるまで相当な我慢をする生き物らしい…
ああ、男の愚痴はこまめに訊いてあげなイカン。
しょぼい体験でもしみじみ学んだことである。

掲示板でナヨナヨと書く男(女は知らん)がいるとしたら、可愛いらしいものかもしれない。
呑める奴なら一杯つきあったろうかと、これでもたまに思ったりしているのである
~~-y( ̄▽ ̄*)
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