珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

アンチ・シンパ考3

2020-03-31 | 思うこと
私がネットのサイトで、ストーカー的に見るものがあるとしたら、それは当然好きであれ嫌いであれ興味があるからである。
どうでもいい、無関心なものを人は貴重な時間を割いて見るわけがない。

具体的にいうと
①好きであるファン
②そのファンである人に対して度が過ぎる執拗な攻撃をするアンチ
の二つと思う。

①は好きだから見る。
②はその自分が好きなものをあまりにも酷く(ある程度なら気にしないけど)否定するから気になるから。
(番外編で、いつ大嘘を拡散するかもしれないからチェックしているものもある( ̄∇ ̄))

単純な心理と思う。

ちなみに②の「度が過ぎる執拗な攻撃をするアンチ」には必ず理由がある。
それはよくよく聞けば、まずこの二つ。
一つは「自分が熱狂的に好きなものを酷く貶められたから」
もう一つは「何らかの関わりがあって、愛憎のようなものが起因したから」

私が見た限り、この例外は今のところ見たことがない。
どんな相容れない意見を言っていようと、ただ他人事を傍観しているだけで人はそれほどの興味は持てない。
自分を思っても、関わったこともない他人にそこまでの執着は芽生えようがないもんね。
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こんな輩

2020-03-31 | 日記
「オマエ、そんなに正直者なら本名で書けよ、匿名のくせに」
たまにこういう意見を頂くことがある。
「匿名のくせに」というわりに、その匿名さえ書かない名無しさんの言葉だけどね。

昨今、自分の本名なり実像が知られた人が、ネットで意見を主張したらどうなるか。
「主張が気に食わない」となった場合、本名で酷い誹謗中傷を流した挙句、職場を調べ上げて嫌がらせをしたり、住所を特定して拡散したりする人間がいるのである。

私はこれを見た時かなり衝撃だった。
実生活での不満をネットに挙げるのではなくて、
ネット上の言い合いが不満で、実生活のビジネスの現場に誹謗中傷文を送り付けるのである。

正直というのは、こんな輩が覗いているかもしれない世界で、自分の私生活をオープンにすることでしょうかね。
そんなことをせずとも心にもないことは書かないわ。
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奇跡

2020-03-30 | S教団関係
はろー!!えぶりばでぃ( ̄∇ ̄)
今日は、宗教者が語るそれを信じると奇跡を起こすような願いが叶うか否かの、うやむやを整理整頓して明快にしようと思いますが、皆さま如何でしょうか~~(拍手ナシ)

単刀直入にそれって
①物理的に不可能なことを、唯一正しい教えに沿って祈りさえすればアッと驚く、魔法のような科学的に説明のつかないことがことが起こる。
ということなのか
②例え絶望的なことに遭っても、強い信念を持つことで絶望に全てを持っていかれず強いモチベーションを保つ人には展望が開ける。
それに付随した行動の結果を奇跡のように感じる。
ということなのか?

私にはここが、シンパにせよアンチにせよ、ズルいというか曖昧というか、都合によってコロコロ変えるピーポイントな気がしてならない。

信者の時は無意識でも②を実感していながら、体験発表では①を喜々として語るとかね。
アンチになっても②を実感していながら、①を指導の全てにして嘲るとかね。
(違ったら反論くだされ)

ここがシンパもアンチもソックリと思う。

私は「例え絶望的なことに遭っても、強い信念を持つことでそれに全てを持っていかれないモチベーションを保つ」ことこそを「奇跡」と思っている。
これは簡単ではないと思う。
こんなことを続けられる人って「奇跡の人」なのかなあと私は思っている。
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静かな日々

2020-03-30 | 日記
昨日娘が「どうしても買いたいものがあるの。出かけていい?すぐ帰ってくるから」と言って電車で二駅のちょっとした繁華街に行った。
自粛要請のかかる雪の日曜日に街の様子はどうだったかというと、行きたかったショップは軒並み閉店。
いつも激込みのマクドナルトも閉店。
空いていたのはコンビニくらいで、電車の中も一両の中で乗っていたのは娘ただ一人という写真が送られていた。

こんなにいろんなことが様変わりしたのは、震災以来と思う。
ところで9年前は、私はネットを一切やっていなかった。
時間があればテレビを観たり、まだ幼稚園で私にべったりだった娘の相手をしていたと思う。
今はそれぞれがスマホやPCを持っているし、もともとが各人が好きなことに集中するのが得意な我が家は、あの頃と比べたら格段に静かである。
会話もテレビぐらいに消されている(笑)

これも様変わりなんだけど、でも不仲になったわけじゃなくて喧嘩も減ったから、私はいいことだと考えているんだけどね。
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美・サイレント

2020-03-29 | 日記
桜が殆ど色づいてきたと思ったら、朝からしんしんと雪が降った。
徹夜明けの静かな休日で、こういう何か神秘的なひと時には、テレビもネットニュースも見る気がしなかった。

メディアは絵的にそれがいいのか、
いつも深刻さと危機感を強くアピールする人と、用心も配慮もなく遊ぶ人の二極を出したがる気がする。
パニックになって買い占めをする人と、買うものがなくて困って声を上げる人の二極とかね。
静かに覚悟を持っている多くの人はメディア映えしないのかなあ。

美サイレント・マジョリティ…私はそう思うんだけどねえ。

映える人★
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自粛の春

2020-03-28 | 日記
自粛…と言われても、私は或る意味、自粛だらけの生活なのかも?と思う今日この頃。
あれもこれも「やりなさい」と奨励されることが、普段先陣を切ってやっていることというか( ̄▽ ̄;)

モノは過剰に買わない、持たない、電車はあまり乗らない、人混みは嫌い、というかウイルスをどうのというレベルで人に会ってないわ。
仕事も何かを生産するんじゃなくて、その真逆の捨てる仕事で、この度もっと経済を回した方がいいのかと反省したくらいである。

今日で娘の一人目の家庭教師が最後だった。
2年半ほど教えて頂いた。
娘が珍しく声をあげてはしゃいで先生と写真を撮ってた。
私からは好物と聞いたチョコレートを贈り、先生からは
「こんな時に何なんですが沖縄旅行に行ってきたんです」とお土産を頂いた。

私も先生くらいの時は家にじっとなんかしていられなかったし、間違いなくケロッと出歩いたと思う(笑)

学校もまだまだ不穏なことがあるだろうけど、4月から教団に立つ彼女にエールを贈りたい。
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スーパーにて2

2020-03-28 | 日記
朝一で仕事に行って(桜の花びらが昨日の強風でかなり散って大変だった)帰宅後、座る間もなくカバンを持ち換えてスーパーに行った。

入ってびっくり。開店してまだ一時間くらいなのにカートが一台もなかった。
こんなことはこのスーパーに行ってから一回もないなあと、カゴを持って買い物をしたら全てのレジが長蛇の列だった。
長蛇ってどのくらいかというと「レジの先頭から最後尾はそこそこ広い店内の、一番奥の商品ケースの手前くらい」だった( ̄▽ ̄;)

ネットで「『商品は正常に流通しています』といくら口酸っぱく言っても買いだめする人にムカつく」という書き込みはあっても、買いだめしたぜ、イエイ!!みたいな声はあまりない。
でもこれが現実と思う。

それはともかくとして、私の前に並んだ男。
列が前に進む度に、カゴを持たずに土足でカゴを蹴りながら地面にズリズリさせていた。
それそんなに重い?
大の男の筋力で持ち上げられないほど重い?
見たところ私でも充分軽く持ち上げれる容量だけどね?
生野菜他食品を入れる、皆が共有して使うものを、ここまで他人の目がある中で堂々とやるところを見ると「やましさすら」感じないらしい。

直接言っても無駄なほど厚顔な人っている…
その場限りの他人なら、私もこうやってネットで陰険な陰口を書くんだなあと思う。

威張れたことではないけど、ちょっとした行為は案外人は見ている。
毒舌ブロガーにも見られてる(書かれているゾ~)( ̄∇ ̄)って話である。
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負けず嫌い2

2020-03-27 | 思うこと
相手がある程度自分の情報を出しているのに、自分はその人に向かって正体不明で言いたい放題が言えるというのがネットの特性である。
でも考えたらそれって気持ち悪いよね。
誰だって差出人不明の相手から、一方的に距離感のない言葉が書かれた手紙をつきつけられたらギョッとすると思う。

私が以前ネットで或る人に、それこそ距離感のない言葉?を贈りたくなった時。
それは嫌いじゃなくてファンになった方だったんだけどね。
もちろんごくごく常識内のファンだけど、でも迷惑とか危ない人と思われたくなかったので、一生懸命ごくふつうの良識はあるつもりなことと、自分の本名と、だいたいの住所と、家族構成と、こんなブログ書いてる人間ですと伝えましたよ。
名乗って自己紹介じゃないけど、でないと相手に言葉を投げかける資格はないと思った。

その人は「私は匿名と議論は一切しません。どうしても私を批判したい人は、ここに本名でメールをしてください。質問等も同じです」とアドレスをつけてくれたんだよね。
その姿勢に更にシビレましたよ。

何でもそうなんだけど、私は一方的とか一対多数とか陰口とかフェアじゃないことが嫌い。
それが簡単にできるとしても「そんなものにあっさり影響されたくない」と思ってしまう、これも負けず嫌いなんでしょうかね(笑)
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どっちにしても

2020-03-27 | 日記
仕事先の一つの近くに大きなドラッグストアがあって、行くたびにびっくりするような行列を見る。
開店前から5、60人くらいの人が並んでいる。
一時期のことと思っていたけど、ひと月以上ずっと続いている。
私が思うに皆「巣ごもり」に慣れてないのかな。

私は元々が巣ごもりのプロ(ひきこもりじゃないよ(笑)というか家にいるのが好きだし、外食も外呑みも滅多にしない。
ずっと家にいたら何がどのくらい必要か不要か(無駄で過剰か)知ってるし、今回の騒動が起こる前と今と、別段何も変わっていない生活をしているけどね。

家にずっといると爆買い?ストレス?退屈?
そんなこと私は全然ないよ。

でも外に出るのも、外食も外呑みも決して嫌いじゃないんですよ。
私は本当に二面性があって、一方では社会のど真ん中でバリバリ働いて、仕事が終わったら呑みに行くのも好きだった。
ただ、これもめぐり合わせでそんな方向に振り子はいかなかったけどね。

盛り場に行くといっても、そこは洒落たショットバーとかじゃなくて、大勢で着飾って騒ぐパーティーでもなくて、チェーン店じゃない個人営業の横丁みたいなところが好き。
そこには面白くて濃い常連がいて、そういう人にどんどん話しかけて仲良くなって、マジ話からバカ話までガンガンしたと思う。
で、それをネタにしてガンガン書くのも変わらないだろうと思うけどね( ̄∇ ̄)
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書けばいいのに

2020-03-26 | 思うこと
以前、日々の時事ネタを切れ味よくまとめたブログが好きで愛読していた。
が、宮迫さんの記事で
「袖から入れ墨が見えていながら、そんな奴らと写真を撮って気づきませんでしたなんてよく言うわ」
と書いた後、そんな情報を鵜呑みにして記事を書いた自分には、一字の訂正も反省も書かないのを見て読むのをやめてしまった。
誰にでも(もちろん私にもよくある)ことだとあっさり書けばいいのに。

「以前はこう思っていたけど今は違う」「覚醒した」「情報は鵜呑みにせず、自分の頭で考えることが大事」
Sアンチブログでくどいほど書かれる定番である。

ならば「不都合はシャッターするのは一般にはないS会員独特のもの、という話を鵜呑みにしたけど、そんなことは誰でもあることと思い直した」なんてのはどうなのかな?
それはシャッター?

私はそれが書きたくなったけどね。
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時々妄想2

2020-03-25 | 日記
二世タレントさんがやっかみからなのか、そういうのがウケるのか毎度のことデタラメ記事を書かれた。
デタラメだからただ「それは違いますよ」と否定した。

そうしたらまたそれが記事にされた。
「気に入らないと、一言言い返さないと気が済まないのは親譲り」

私はそれを書いた記者を取材したい。
これは多くの人が後出しで言いたがる「本当はおかしいし、違和感を感じたんだけどパワハラで書かされた」とか「同調圧に逆らえなかった」とか「マスコミに洗脳されていた」とかとかそういうものかな?

それとも自分が、心からそんな悪意を以て書いたのかな?

或いは軽い気持ちよ。スルーしてよスルーってやつかな?(プロなのに?)

それを相手の目を見て取材した上で、違和感も同調圧も悪意もなく軽くもなく、書きたい。
いや書いている、毎度そんな妄想に浸る…_〆(。。)
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負けず嫌い

2020-03-24 | 思うこと
自分でも、相当に負けず嫌いだなあと思うところがある。
何だと思います?
5ちゃんねるとの言い合いとか?
いやいや全然違いますよ(笑)

答えは一言でいうと、ネガティブなことに影響されること。
これは本当に「されたら負け」と思ってしまう。
例えば家庭環境が悪かったからグレたとか、虐められたからイジワルになったとか、トラウマになったとか、つまらないことで落ち込むとかね。

しょうもないことに影響されるっていうのが嫌なんですよね。
何だか、しょうもない奴に喧嘩売られて完敗する感じというか。
(あくまで私の感覚ですよ)

は?何それ?意味不明かもしれないけど、影響されるなら断固楽しいことがいい。
で今のところ何勝何敗かは置いといて、それをよく意識してしまうのは、やっぱり相当な負けず嫌いなことは確か( ̄∇ ̄)
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信じること11

2020-03-24 | S教団関係
Sアンチの一部が問う、S会員ってなんで荒唐無稽なことを信じるのか?(覚醒したまともな自分と違って)という疑問について勝手に書こう。
毎度勝手に書いているので笑って聞き流してくだされ( ̄∇ ̄)

人は信じたいものを信じるからです。
二言目には「覚醒した」というSアンチだけど、それはあくまでSの教義なり、職員の金の管理なり、教祖様の健康状態なりを信じられなくなったというだけで、世の中の一切の真実、真相を見極めているわけじゃない。
他は今まで通り、自分の信じたいものを自分に都合よく信じている。

例えばAさんとBさんが対話をしましょうとなったけど、Bさんが途中で返事をしなくなったとします。
そしたらBさんを贔屓にしている人は「相手は対話する価値なんてなし。話が全く通じないし関わりたくない。相手にするだけ無駄」と言う。
Aさんを応援したい人は「相手はウソつきだ。こういうことをするからああやっぱりねと思われてしまうんじゃないの?不都合があると答えられなくなって逃げた」と言う。

真実はどうあれ、自分の信じたいように信じるのでは?
それが自分の中では真実になるのでは?
相手のそれを「滑稽」と言ったところで、立場が変われば一転、その滑稽を言い出すのでは?

信じるってそういうことと思う。
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呪縛のメンタリティ2

2020-03-23 | 思うこと
以前、マスコミにデタラメを書かれる記事に反論する動画が好きと書いたけど、例えば去年の夏頃のメンタリストDさんの動画。
「N国支持のポジションを取っている彼が、立花党首を第一級の政治家として持ち上げて云々…」とネット記事に書かれたことに反論していた。

「自分はN国の支持者ではないし、投票もしていないと言ってる。なぜなら彼らの掲げる政策が、自分にとっては特別メリットがないから」
何度も何度も言っているにも関わらず、「N国支持のポジションを取っている」にされたり、
「マニフェストは興味はないが、手法が第一級で興味がある」と言ってるだけなのに「N国党の立花党首を第一級の政治家として持ち上げている」と書かれたりしたと。

この不快な気持ちはわかる。
彼らはどう懇切丁寧に説明しようと、証拠の録画があろうと
「DaiGoはN国党の党首にのぼせ上った信者」というレッテルありきで、まずもってこれを貼りたいんでしょうね。
(そうすれば面白おかしく注意を引いてもらえるのかな)

そんなの私もしょうちゅうあるよ。
私はもともとSを嫌でやめたわけじゃない、最初から恨みつらみもないアンチで、身内とそれが原因で厄介なことになったこともない。
アンチブログはやめたけど珈琲でS記事を時々取り入れるのは、「シンパとアンチ」とか「信じること」の心理や「コミュ能力」など興味のあるテーマで書く時、自分の経験上その事情に詳しいし、題材になるからSを使うだけ。
活動がどうとか会長の誰べえがどうとか、教団そのものにはとっくに関心がないし、内容もSのアンチ記事ではないし、そういうS記事を期待する人が読んでも的外れ。
書いている内容も角度も、多くが期待するようなものと違う。
と何回書いても
「そうは言っても」「憎しなんだな」「元Sは憎しが抜けない」「卒業できない」「何年たってもマインドコントロール」「呪縛から解放されない」
という決まりきったレッテルを、どうやっても是が非でも貼り続けたい人はいる。
これこそ何の強固な呪縛だろうね?
世の中にはいろんな人がいるんですよ。

ついでに昔読んだ遠藤周作さんのエッセイを思い出した。
世の奥さんは、夫が接待などで外食してきたら決まって「一人だけ美味しいものを食べてきた」という。
夫が「あんなものは美味しくない。仕事で一生懸命気を使って例え少しくらい高級なものを食べたところで味なんかしないんだ」といくら口酸っぱく説明しても、どんなに言い聞かせても
女は「アナタだけ一人で美味しいものを食べてきた」の一点張り。
確かそんなことが書いてあったわ。

結婚する前のことだったけど、おばさんになるとこんなに頭が固くなるのかな?と笑ったことも思い出す。
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ゲームサイト

2020-03-23 | 娘と夫の話
夫がゲーム大好き人間だったので、若い時デートはゲームセンターによく行った。
結婚してからも、当時いちばん画面がキレイだった何十万もするSONYの大画面モニターを買って、おそらくその時代に市場に出回っていた人気ゲームのハードとソフトの大半を揃えたと思う。

コントローラーとかジョイスティックとか攻略本とかに埋もれながら学んだことは、好きなことならこのくらい徹底的に、豪快に、ということだろうか( ̄∇ ̄)
ある意味私はショボイ中途半端な奴より、どうせやるならバリ活というかマニアが好きだったりするんだよね。

夫はゲームをやりたい一心でパソコンを買ったのも早かった。
ブラウン管のそれが来たのは、まだ殆どの家庭にそんなに普及していない時だったと思う。

だけど彼の場合はあくまでゲームが好きなだけのようで、「ネット民」にはずっと無縁でいた。
携帯電話を持ったのもスマホを持ったのも、世間のそれよりずっと遅かった。

そんな夫が最近、あるゲームのサイトを見てようやく
「ネットって確かに独特だね。煽りが相当酷い」
と感心しながら言った。

そう。
私はもう面倒くさくて一から説明する気もないけどね。
でも基本はシンプル。
ネットは誰でも、何を言っても、決めつけても煽ってもいい自由がとことんある。
でも、それを真に受けるか否かの責任も自分次第。
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