珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットにまつわるあれこれ32

2019-04-30 | ネットにまつわるあれこれ
「お前だって論法」というものがあると聞いて笑った。
確かに(笑)(笑)

例えばS問題に関して
とっくに退会して、迷惑行為など受けてもないのに、迷惑迷惑と毎日親の仇のように批判を書く人がいる。
確かに迷惑なものはこの世からなくなってほしいけど、自分にとっては必要がなくても人にとっては大切に思うこともある。
自分だって人から迷惑と思われても、夢中だった時があったように。
価値観はそれぞれなのである。

世の中に迷惑なものなど無数にあるかもしれないけど、そんなにあれもこれもガマンできずに譲れずに、泣き叫ぶほど痛い?
そんなに忍耐力も工夫もない軟弱者?

これしかすることがないみたいに批判と攻撃に明け暮れている人より、そんなものに動じずサラッとかわして、自分のやりたいことに集中している人は強くて楽しそうで魅力的に見える。

これも一つの人間性だなあ。
それもアリだな、それいいな。

例えばこんなふうに思ったとする。
ただの一般的な一つの意見である。
そうすると
そんな批判を書くオマエだって批判じゃないか!!ブーメランだ!!
とまた批判する「お前だって論法」
ネットで何度も見た、このキリがない「そんなお前だって論法」
まあ批判が三度の飯より好きな体質なんでしょうけど。

全知全能の神にでも言われない限り、こうやって「お前だって」を言い続けて延々批判を続けるのかなあ?と思うよ。
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読者さん情報

2019-04-29 | 趣味の話
以前カルディ(輸入食品や厳選された国産食品のショップ)の話をしたら、読者の方から
「私はパンダの杏仁豆腐を買ってます」情報を頂き、今度は頭の中がパンダの杏仁豆腐に(笑)

先日行ったらありましたよ、パンダの杏仁豆腐。
紙パック入りでパンダの絵が付いている。
食べてみたら、おー!!モチモチの歯ごたえに感動。
シロップにつかったペラペラの甘い豆腐をそれと思っていると、うれしい裏切りである。

ここで珈琲を買うと、豆からあっという間に挽いてパッケージしてくれる。
先日買った「アイスブレンド」という銘柄は、名の通りアイスでもホットでもいけるのでお勧め。
深煎りで、酸味はカルディで一番ナシの人気商品である。




半分くらい凍らせるとまた美味しい!!

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将棋の話

2019-04-28 | 日記
これでも一応、駒の動かし方くらいは知っている。
小学校の頭が柔らかい時に、麻雀とともに覚えたからである。

昔、夫の実家に遊びにいった時将棋をしようということになった。
その時、将棋も新しいのを買おうということになって、兄嫁と私が買い物ついでに買ってくることになった。
店にはいくつか種類があって、私と兄嫁はこれでも「文字が達筆な」よさそうなものを買ってきたつもりだった。
そしたら夫兄弟が買ってきたそれを見て「安いの買ってきたな」と文句を言った。
文字は駒に書いてあるのではなく「掘ってあるやつ」じゃないとダメだと言われて、ナルホドと思った。

勝負はただやってもつまらないから、ルールを二人ペアで対戦することにした。
つまり、チームの二人が交互に指す。
ただしペア同士、打ち合わせをしてはいけない。
せっかく一人がいい手を考えて指しても、ペアが理解しなくて全然ちがうところに指すのが面白のである。
義兄と私VS夫と兄嫁で、爆笑しながら対戦して、結果は義兄と私のチームが勝ちだった。

最近、藤井七段のダイジェストなどを見てると面白くて、将棋好きの夫とはじめようかなあと考える。

今は食器同様、将棋盤も駒も「可愛い」がわかるぞ。
駒はちゃんと文字が彫ってあって、将棋盤もパチンという音の響きのいい質感のものがほしい。
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マニュアル外2

2019-04-28 | 思うこと
私は「ふつうは」とか、マニュアルというものをあまり信じていない方だと思う。
一般に子どもは悪しき家庭環境ではグレるというけど、私はグレなかった。
両親は不仲だったし小学校も転々として大雑把に育てられたけど、育児本に書いてあるように、ひねくれたり病んだりもなかった。
友達は皆、どこにでもいるふつうの子か頭のいい子ばかりで、ツッパリみたいな子は一人もいなかった。

毒親だからアダルトチルドレンだからトラウマだからなんていう、めんどくさいことも私にはよくわからない。

だいたい私は、ツッパリとかオタクとか何系とか、何かのカテゴリに染まったことがない。
バリ活とかユル活という言い方にしても「どっちだろう?」という感じで、どっちの要素もあったかもしれないけど、どっちともいえない。
右寄りか左寄りかを主張したくもない。
(グループ分け好きな人いるよね)

一生懸命勉強すればいい学校に行けて、いい学校を出ればいいところに就職できて、いい人と出会って一生安定した幸せな生活が送れる、なんてマニュアルも知らないし、ピンとこない。
一生懸命勉強しても進させてもらえない家庭はあるし、そもそもが18歳でポンと家を出て一人で仕事を見つけて働くなんて、そんなマニュアルはどこにもなかった。

夫と知り合ったのも、いい学校でもいい会社でもサークルでも紹介でもない、ただの道端。

その夫もマニュアルからは大きく外れた男。

何を読んでも「そうとは限らない」と思うし、何かにあてはめたがる人が嫌だし、ピンとこない気がする。

今朝コーヒーを淹れていたら、夫が
「そういえばこの間さ、またいつものおばさんから選挙頼まれたよ」
と言った。
ああまたか。
何年たっても何を言っても動じない、夫と道で会ったら話しかけてくるおばちゃんがいる。
そして選挙がきたら、パンフを握らせたり頼んだりする。
「ああいう人どう思う?」
と聞いたら
「人のことよく見てるよな。別に何とも思わないけど」
と涼し気に答えた。

判で押したように「迷惑なんだよ!!」と目くじら立てるわけでもない。
表面はニコニコしてネットに書き込みする「系」でもない。

どこにも属さない、マニュアルにない人間はいるのである。
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温度差3

2019-04-27 | 日記
パチンコ屋が衰退しているらしい。
そういえば私の住んでいる街は、住んでいる当時からパチンコ屋がないし、隣の駅前にある一件しかないそれもいつの間にカフェになった。
関わりのないことなので、知らなかった。

酒の失態もタバコもギャンブルも、男女差別もセクハラもモラハラも不倫もカルト宗教も、すぐ拡散されて袋叩きに遭う時代である。
取り締まりが厳しくなって、住みよい社会。
まことに結構なことである。
喧嘩をして手加減を知って、酒を飲んでおぼれない呑み方を覚えて、破滅しない程度の刺激と遊びを楽しめた昭和の文化もやがて撲滅と思う。

バーチャルなどなかった時代は何でも「生」で見て体験した。
「ちょっとくらい」と好奇心でやってみたあれこれなんて、私の世代は誰でもあるんじゃないだろうか?
ある意味、自由な時代だったなあ。
体験して痛い目にも遭って匙加減を覚えたことは、極論ではなく、「何よこれくらい?」とか「これ以上はヤバイ」と感覚でわかった気がする。

何であれ、体験は強しと思う。
しょうもないものでも得るものがあるとすれば、それは経験による強さと楽観性のようなものではないか。
ひねくれたり病んだとしても、それを乗り越えるのもまた体験の中でしかない。

いやいや温度差の話ね。
何でもかんでも善悪に分けたい人とは別室で。
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私2

2019-04-25 | 思うこと
前スレの
「不屈の反撃精神で一言われたら三言い返せば、相手に届く」
という意見が違うなと思ったのは、気に入らない誰かが言ってるからじゃない。
ただ、いろんな人の言い合いを見て自分がそう思っただけである。
こうだと思う相手など、人は変えられない。
まして「反撃精神」で言い返したようなことが届くなんてあるわけがないと、自分の経験と感覚で言っているだけである。

宗教に正邪なんてないと思ったのも、嫌いな団体に反発したいから思ったのではない。
自分で祈って勝手に感じただけである。

私は基本、こんなふうに自分が「こうなんだけどな…」と素直に思ったことを、信じるようにしている。
そしてそれが間違っていたら、さっさと改めるようにしている。

自分がただ感覚的に思ったことが後になって、学術本に書いてあることを知ったこともあるし、知らないこともあるけど、感覚的にピンとこないことは言わないようにしている。

ネットは本にはいろんな情報があって、思想も考え方も様々である。
右はこうなんだ、左の人はこうだ。
中国人はこうで韓国人はこうだ。
そんな知識は洪水のようにあって、読めば簡単に手に入るけど、知識から入ることが私は好きじゃない。
知っただけのことを書くのが好きじゃない。
ピンとこないことを「そうだ」と知ったかぶりして、無意識でもそれに合わせて自分の意見を作ることが好きじゃない。

「あの俳優さんいいよね」「あの映画おもしろかったよ」「あの作家さんの本好きだな」
ただそう思っているだけのことを
「え?あの人在日なのに?」「あの人は反日だから」「あの人の宗教は何だから」
とすぐ知識を言う人も好きじゃない。
だから何?
あなた自身がそう感じるの?
そんな体験をしたの?と聞きたくなる。

まず知識あり、先入観ありで、色眼鏡がかかって、それから何か言う人が好きじゃない。
知識から抜き取ったような言葉を話す人が好きじゃない。
勉強家なのかもしれないけど、信用したいタイプじゃない。
それが「強い」人が好きじゃないというか。

これも自分の体験と感覚の積み重ねの、勝手な判断だけれどね。
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不屈の精神

2019-04-25 | S教団関係
ある「教祖」と呼ばれた人がこんなことを言っていた。

「一」言われたら「三」言い返す。
「三」言われたら「十」言い返す
 この不屈の反撃精神こそ 言論戦の方程式である。
言うべきときに言わなければ、悪が増長するだけである。
語らなければ、心は伝わらない。
心で思っていても、それだけでは相手にはわからない。
真実を叫ぶのだ。
そうすれば、敵をも味方に変えることができる。



嘘つけーーーー(笑)(笑)
私はネットの討論をかなりの間観察したけど、お互いを「敵味方」のように反目している同士が、何を言いあったところで、伝わったなんてのは

ある時以来の教祖様同様に見たことがないぞーーー。

この人は見たことがあって、こんなことを言ってるのだろうか?
それはファンタジー小説上のことではないのか?

例え一方がどんなに言葉を尽くしても、それを聞く耳のない人が理解するのは
火の中に水を求めるような如く「無理」である。

最近、掲示板で
「誰もSの擁護などしていないが、批判にもやり方がある。度を越してはいけない」
という意見があった。
おー!!掲示板も、たまには?いいことを言うもんだと思った。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

これは事実であって、なぜなら、言い方、やり方次第で伝わる以前に「嫌悪感」が起こるからである。
だから単純にうまくやった方がいいのである。
罵詈雑言や嘲笑はSの亜流であり、能がない。
かつてS新聞で、その失態がわかりやすく物理的に示されたではないか。

これはS擁護どころか、アンチのエール、入れ知恵のようなものと思う。

ところがそれを面白くないらしい人が
「カルト宗教を擁護する偽善者の思考。寝言は寝て言え!!」と返した。

は?

ちょっとちょっと、
なんでこれがSの擁護?偽善?

どこが??

ホワーーーイ?

むしろSには不利で、アンチに有利な適格なアドバイスじゃん!!

「擁護じゃないが、批判にもやり方かある」
この人にはこんな簡単な日本語がわからないんだろうか??

これ何を言っても「センセーはお元気です」と言い張るメンタリティと
どう違うの?
この通り「S脳」なんて特別なものがあるわけじゃなくて、自分の思う通りにしかモノは見たくない、見えない人はどこにでもいる。

寝言というのはそうではなくて
「一言われたら三言い返せば、敵をも味方に変えることができる」なんていう、教祖様の仰るファンタジーのことではないかな?

そうじゃないなら「真実を叫んだら敵が味方になった」という経験を持つ方がいたら、ご一報ください。

不屈の反撃精神で「悪態をついてモノ別れ」なら、飽きもせず繰り広げられていますけどね(笑)
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攻撃的とは?

2019-04-24 | S教団関係
以前に宗教じゃないけど、倫理の発表会みたいな会合に誘われたことがある。
私は、受付や辻々に立っている方にニコニコと挨拶して、前に詰めてと言われたらさっさと詰めて、話もふんふんと聞いた。
余興の「リンリーズ」というコーラスも楽しんで聞いて帰った(笑)
(上手だった)
そのリラックスぶりに、まるで会員のようだと言われたけど、全くの初体験。

変な言い方だけど、
私は例えいかがわしい宗教や、マルチ商法の場に引っ張り込まれても、
久しぶりに会った友人や、忘れていた同級生から呼び出されて何をもちかけられても、
礼儀をもってケロリとしていられると思う。

騙されるとか洗脳されるとか、つけこまれるとかキモイとか、そんな怯えが全くないからだと思う。
個人や団体に、どんな思惑や下心や準備があっても、そんなものに動じないからと思う。

人は、何かの「恐怖」から自分を守ろうと身構える時、攻撃的になる。
世の中には得体の知れない怖いものはいろいろあれど、少なくとも私は経験値によって、幾つかの怖いものはなくなった。

攻撃的な人に「攻撃口調はやめて」と言っても無駄と思う。
その人自身の中の怯えがなくならない限りは。
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過ぎたるは…2

2019-04-24 | 日記
娘に突然「ママの座右の銘は?」と聞かれて、
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とテキトーに答えておいた。
最近たまたまブログに書いたような気がして、出てきただけであるが。

でもこれは結構、身に染みている。
昔、仕事は10人前とか、なんちゃらは3人前とか焚き付けられたせいかもしれない。
「過ぎたる」を思いつくまま別の言葉にしてみると

誇大、過剰、大袈裟、極端、強烈、強引、執拗、暴走、膨大、狂信、激情、濃い、クドイ、バリ活…
 
無駄に血管がキレそうだ…( ̄_ ̄ i)

断捨離はクローゼットのみならず、大袈裟で多すぎる「感情」にも「言葉」にも必要かも。
賛否ともに必要以上はうっとうしい。
こってりした胸焼けしそうな文章なんて誰も読みたくないよね。

文章にも「過ぎたるは…」を考えた次第である。
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鉄塔 武蔵野線 (映画)

2019-04-23 | 閑話休題
鉄塔 武蔵野線 予告 (Trailer)


1997年 劇場公開。
伊藤淳史さんが子役時代の作品である。

子どもが主体の映画で、大人が「作りましたー」「演出しましたー」「感動させましたー」じゃない作品を私はこれ以外にあまり知らない。
派手なヒットはしなかったかもしれないけど、辛口評論家の中でもレビューが高い秀作と思う。

「押しつげがましくない」という比喩を思う時、私はこの映画を思い出す。

ほろ苦くて自然と涙が出る、ひと夏の物語。




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迷惑様々

2019-04-22 | S教団関係
アンチブログを書いていた頃、スーパーで選挙を頼んできたり、顔を知っているというだけで道を歩いている夫にパンフを握らせたり、自宅に引っ張りこもうとしたおばちゃんに、私は猛烈に腹が立った。
「いい加減にして!!」
と言い返して、その上の人にメールで忠告したりもした。

が、今は同じことをされても「結構でーす」とにっこり笑って5秒後に忘れる自信がある。
自分の感情はさておき、彼女に感情を譲ることができる。

それらはもはや、私の心に波風を立てる力すらない。

彼女らの事情もわかるし、言ったところでそんなクレームも承知の上でやってることなんだろうし、見た目より精一杯の気を使っての上でのことなのも想像に及ぶからである。
何よりそんなことを言われたくらいで、私の実生活に何の影響も及ぼさないし、はいはい今日もいい天気ですねえとかわせるからである。

厚顔に見えて、実は小心に鞭打ってい勇気を出している彼女より、
それを笑ってかわす私の方が
よほど厚顔で図太い。
どうぞこのくらいになってほしいものである。

ああでも、道にゴミ捨てしたり、道幅いっぱいに歩いたり、咳をしながらマスクをしてなかったり、不潔な恰好や部屋で人に不快感を与えたり、モノやお金の貸し借りにルーズだったり、そういう厚顔で迷惑な人は勘弁と思う。

人が多様なら感じる迷惑も様々、と再考した次第である。
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どうでもいい話2

2019-04-21 | 日記
お笑いに疎い私は、フルーツポンチ村上さんのことを「プレバト」で見るまで知らなかった。
そしてずっとピン芸人の方かと思っていたら「フルーツポンチ」という漫才コンビの方だったことをやっと理解した。(今日知った)
そしてなぜかネットで「性格ワルイ」「卑屈」「陰険」「クズ」「ナルシスト」と言われていることに二度びっくりした。

ええええええ??なんで??

プレバトで見る限り、皆からツッコまれてタジタジになっているところが可愛らしいというか面白いというか、偉そうなことも言わないし、私はすごく好感を持ってるけどなあ( ‥)?

不思議でならず、彼がいじられているYouTubeを見たけどその理由もさっぱりわからない( ;∀;)

そんな意見もあるんだ???と思ったけど、私は彼の俳句もリアクションもすごく好きだよ。

アンチがいるのはわかったけど、いろんな人がいるのを理解してね~と思った次第である。
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二極ではない3

2019-04-20 | S教団関係
アンチ=非難、罵倒。
シンパ=擁護、絶賛。

この二極。
政局であれ、思想であれ、タレントの動向であれ、ネットの書き込みは刺激を求めてはやし立てる人たちの白黒の温床となっている。
彼らのシンパもアンチも、懸命にその「白」か「黒」を探しては読む。
白が欲しい人は白ばかりを強化して、黒が欲しい人は真っ黒ばかりを夢中で読むというふうに。

かつては「真っ白」にしか見えず、今度は「真っ黒」にしか思えず、それは白か黒の二色でしかありえない。
自分がそうだと、当たり前のように誰しもが二色だと思っているように見えるのだろうか。

白と黒の間には、「無関心」とか「放っとく」とか「どうでもいい」「相手にしてない」という、ある意味もっと辛辣なものさえある。

思ってはいても、愉快ではないことは言いたくないという言葉もある。

触れずに「そっとしておきたい」思いもある。

相手を思って、尊重するという声もある。

白でも黒でもない、書かれない色がある。
それは時代の波に軽んじられるものなんだろうか?
「玉虫色」は、1ビットのネットには不向きな色なんだろうか?


かなり古いけど、明るすぎない色が好きなランプ。


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正しい、間違ってる

2019-04-20 | S教団関係
かつてS新聞に、お寺をボロカスに言う記事があった時
「なんであそこまで言うんですか?」
と訊いたら
「わが子が殺されたら穏やかに言えますか?
は責めなきゃ同罪でしょう」
と返された。

今Sをボロクソ言う人に
「そこまで言わなくても」
とか言うと、やっぱり返ってくる。
「わが子が殺されたら穏やかに言えますか?は責めなきゃのさばるから」

結局、同じこの言葉。
まるで印籠のように、こう言われたら「ははーっ」とひれ伏すしかない。

宗教なんて、やるもやらないもどれを選ぶも自由である。

でも「正しい宗教」と「宗」とか
悪どい詐欺」と「それを気づかせる善い行為」とか

「正邪」「善悪」を付けると、自由はふっとぶ。
そして責めるがセットになる。

「自由な宗教」と思えばこんな争いなど起こらないのに、それはどうしても嫌で、
間違った詐欺」と「正しい覚醒」にしたいんだからしょうがない。

間違った宗教」と「正しい宗教」に私は懲りたけど、懲りない面々はいるもんだなあ。
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温度差2

2019-04-19 | 趣味の話
私は熱々のコーヒーが好きだけど、夫は猫舌なので冷めてないと飲めない。
恐ろしいことに、ホットコーヒーに氷を入れて冷ましたりもする( ̄▽ ̄;)!!
この温度差はなかなか埋まらない。

以前から提唱しているように、ブログも人によって温度差があるので細分化が望ましいと思う。

あくまで私個人の好みでいえば、被害者意識の強すぎる人は迂闊なことが言えないので苦手である。
何かといえば「被害者と加害者」で「酷い目に遭った、辛かった苦しかった」という人。
決して決して憎いとか嫌いという感情じゃなくて、ただこういう人はいろいろと気を使わねばならず、私には疲れるのである。

そういうオマエが無神経なんだという論争もめんどくさくて、
ただの
温度差ですよね。
では
別席で。
と平和的に思う。

今ではどこの家庭でも当たり前になった、デュラレックス社の耐熱グラスを初めて見た時は感動した。
丈夫で厚手で、熱湯を入れてもびくともしない、シンプルだけどデザイン性のあるグラス。
水でも麦茶でもワインでもビールでも珈琲でも青汁でも、来るもの拒まずの何でもござれのタフな許容で、多少乱雑に扱ってもケロッとしている。
もう何十年の付き合いになるだろうか。
この子たちはめちゃくちゃ働き者なので食器棚とは別席で、常にカゴに放り込まれている。 



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