珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

一つくらいある

2018-09-28 | 娘と夫の話
いつだったか夫に、「今度大阪行ってくるわー」と言ったら「おー行ってこい」と即答された。
「誰と?」とも「なんで?」とも「いつ?」とも訊かないこのあっさり感。
私が逆でも同じことを言うと思うけど。
自分ではふつうと思っているが、変わってるんだろうか?

結婚する時、夫が訊いた。
「おまえ、どんなふうに育った?」
「自由。あなたは?」
「俺も自由」
「自由っていいよね」
「うん、絶対にいい!!」
「じゃあもっと自由にしよう」
 

これで異性問題だけは皆無で、全くもって平和だった。
喧嘩のネタなら他にいくらでもあったから(笑)

どんな夫婦も
一つくらいは取り柄があるのでは?

皆さんも考えてみては如何かと思う。

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ランク付け

2018-09-28 | 日記
娘の中学の試験で、私があれ?と思ったのはテストが返ってきても順位を知らされないことだった。
クラスで何番とか、学年で何番とかそういうのである。
テストの平均点も知らされないという。

ただ答案の点数で、だいたいの察しをつける。
 めちゃくちゃに良くても悪くても、何位という明確な数字を突きつけられるわけじゃないので、学期末の通知表の評価で現実を受け入れる。
後は先生との個人面談でプライバシーを護りつつ、ひそやかに進路を決めるようである。

うちの学校だけなのか時代がそうなってるのか、塾だと違うのか知らないけど、ともかくそんな事情から、娘は「順位」というものに鈍感な気がする。

一人っ子なので「比べられる」ということも知らない。

私はこれがうらやましくてしょうがない。
いいとか悪いとかメリットとかデメリットじゃなくて、単純にうらやましい。
 少なくとも、ランク付けとか優越感とか劣等感という価値観からは解放されているように見える。

成績表、家計簿、健康診断の数値など、いつの年代でも手渡されて目を通さねばならない「数字で図られるもの」がどうも苦手な私は、なるべくそういうものを遠目に置く傾向にあると思う。

そんな数字嫌いの私が、嫌でも毎日届けられる数字の一つが「アクセス数」である。
正直、放とってほしい!気持ち半分というか、微妙な感情が入り混じるのがおわかり頂けるだろうか。

珈琲ブログは、何かを流布したいためのものでも、広めたい使命感があって書いているものじゃない。
ただの個人的な日常のボヤキを書いているだけだし、決して万人受けする内容でもない。
だから祝××アクセスだの今日はこんなに読まれました、ありがとうございますなんてことは、言ったこともないし言いたいとも思わない。
むしろ、しょうもないことに遭遇するとハネ上がる数字に、恐怖すら感じるのが本当のところである。

ああこんだけ分は要らないなあ。
好意的に読んでくださってる数字はだいたいこんなものとわかっているので、私には未だ慣れないのが数字のランク付けってやつである。
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