珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

信じること10

2019-09-30 | 思うこと
以前、「週刊誌なんか嘘ばかりよ」と言っていたおばちゃんが、タレントのスキャンダル記事は、一字一句疑いもせず真に受けていた。
「ネットなんかデマばかりよ」と言いながら、ネットショッピングのレビューに嘘偽りはないと言い張る人もいた。
9年も姿を現さない教祖さまを「誠実な人でお元気です」を信じるのはアホだと言いながら、800年前の会ったこともない人が「嘘偽りなくいい人だった」と信じる人もいる。

人は信じたいものを信じる。

自分に心地よいものを信じる。

真実だから信じるのではなくて、信じるから真実になる。


「信じることシリーズ」過去記事

 信じること
信じること2
信じること3
信じること4
信じること5
信じること6
信じること8
信じること9
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勝手な理屈

2019-09-30 | ちゃんねる攻防
5チャンネルの住人によると、
5チャンをリアルタイムで見てる人は、5チャンの住人(書き込みをして参加している)に決まってる 。
ブログならともかく、自分が書きこまない掲示板を、誰が毎日見に来るかい。

だそうである。

故に、海はCHで複数回線を使いながら自作自演の常習犯をしているネラーである。
是が非でもそうしたいようである。

ええええ?
この理屈、もう一回言って~!!
なんで「ブログならともかく」になるの?

勝手な理屈だなあ。

そういうアナタは、自分が書きこまない私のブログを毎日見に来てるよね?
でもその感想は「自分が誰だか特定されない掲示板」にしか書かないよね?
頼まれても私のブログでは書かないよね?

なら私も同じでしょうよ(笑)
 
私は過去に、全く身に覚えのないデタラメを書かれてから、今後もいつ何時
めちゃくちゃな事実無根が書かれないかと毎日観察している。
なぜなら中にはたまに「へえそうなんだ~」と鵜呑みにした上に、はしゃいでそれを
しつこいぐらいに拡散し続けるような人がいるからね。

でも私はその感想は
「これを書いたのは海以外ないと証明できる自ブログ」でしか書きません。
あなたがCHでしか書かないように。

わかった?

アナタが私のブログをリアルタイムで細かくチェックしているからといって、私のブログには頑としてコメントせず、あくまで自分の正体を伏せられる掲示板で悪態をつくように、
 私も掲示板はチェックするれど、あくまでこれは海であると証明できる自ブログでしか書かないの。
ワンスモア。
おわかり?
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酒癖

2019-09-29 | 思うこと
いつの時代も、酒癖がわるい人はいるもんである。
愛飲家としては、酒飲みのイメージがわるくなるのでこれは甚だ迷惑な話である。
(夫が酒をやめたこともあって強気である( ̄∇ ̄))

世の中の酒癖がわるい人に告ぐ。

喫煙はいいにしても、歩きタバコや吸い殻のポイ捨てをする人がいたらウンザリするよね?
愛犬家はいいけど、フンの始末もしないで散歩させる人がいたらゲンナリするよね?

酒癖がわるいのは、これよりタチが悪い。

呑んだら、セクハラをしたり乱暴になったり、押しつけがましい説教やら、くだらない愚痴やら、幼稚な悪ふざけが過ぎるのは、時に
人間関係を崩壊させる。

だいたいこういう人は、普段はおとなしいけど呑むと豹変する二極なんだよね。
しらふの時は念力で話して、呑むとクドクドとわめき散らすというか。

シャレと嫌悪感の間に横たわる38度線。
そこを超えたらミサイルが発射されます。ご注意を○Oo。―y( ̄∇ ̄;)
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祈り3

2019-09-29 | 思うこと
祈れば何でも叶うなんてそんなことあるかーい!!くだらん
と、これも単語だけ切り取る書き方。
これも気になってしまうなあ。

じゃあ祈るって言葉を置いて「信じる」という言い方に置き換えてみたら。
私はこの「信じる」ということが、深いというか厄介というか興味深くて、今でもたまたま関わったS問題を書いているところがある。

多くの人が時々口にする「思い込み」や「決めつけ」も、要するに強く信じることと思う。
強情に信じればその人の中では、それが途方もない事実になる。
この強力さに手を焼いた人はわかるのではないか?

「何でも叶う」ということと「決めつけたら何でも事実になる」ということが、どこか共通点がある気がするというのかな。
信じて「祈る」っていうのは、信じることの骨頂と思う。

信じることが「祈り」に変わった時、それはとてつもなく力を持った揺るぎないものになる。

シンパになってもアンチになっても、この人の「信じる」という強さに、よくもわるくも太刀打ちできないなあと思ってしまうのは私だけだろうか。
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どこにでもある声2

2019-09-28 | 日記
結婚出産を機にしばらく海外におられた女優さんが、最近日本に戻って映画に出られた。
わあ久しぶりだなあ。
どんな映画なんだろう?と思って記事を見ていたら、ああまたか(・・;)
親の仇のようなゾッとっするような悪口が延々書きこまれていた。
これマジで呪いの域ですわ。

「ふつうの人は会ったこともない人を憎めない」
いやいや平気でやりますよ。
会ったことも関わったこともないはずの人の、知りもしないプライバシーを集団でとことん吊るしあげて嘲笑する。
洗脳されてなくても、MCされてなくても、号令も強制もなくても、自ら進んでやる。
好きで積極的にやる。
いい歳したおっさんやおばちゃんでも、やる人はやる。

この人が痛めつけられて不快になるのが楽しいんでしょうかね?

その人が自分より100倍美人でも、自分の方が1000倍劣化してても、侮辱した瞬間は「自分の方が上」になるんでしょうかね?

それとも
恨みなんかあるわけない。
あくまで是々非々で
ただの感想や正当な意見を言っただけのことを、私が脳内変換しているのかもしれませんね。
思い込みで、決めつけしてはいけませんもんね。
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ただの読者

2019-09-27 | 思うこと
愛読しているブログがけっこうな数ある。
最近も、今まで知らなかったのが悔しくなるほど面白いブログを見つけてうれしくなった。
でもこれから、たくさんの記事を読めるのが楽しみである。

ネットはツイッターやフェイスブックや動画など様々あれど、私は文章をじっくり読むのが好きなので、内容も文章も楽しめるブログが好きである。

そして当たり前だけど、私はどれに対しても「読者」である。
信者でもアンチでもない。

最初にみたブログの界隈が宗教、思想関連だったせいか、何かっていうとこの単語が使われた。
ちょっと共感すると「信者!!」という揶揄がとんでくる、かなりそれは独特なものと思う。
是々非々も、信者かアンチという勢いで使われるふしがある。
コメントを見ても、盲目的に肯定から盲目的に否定になるというか、大袈裟なシンパ口調かゴミみたいことをしつこく罵倒する、まさに信者かアンチ。

ふつうのただの読者って概念はないのか?( ̄▽ ̄;)と思う。
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同調圧力

2019-09-27 | 思うこと
ある組織から離れてみて、人って表面上の同調圧にいかに抑えられているかが、殊更、しみじみと、つくづくと解った。
大勢が、或いは人気もあって慕われている人がこうだと言っていたら、それに従ってノーとはなかなか言えないもんだと思う。

以前書いていた世界一ブログって、傍から見てもコメント者同士がとても仲がよく見えたみたいで、
「異論は排除の仲良しクラブかよ」「キモイ」
とイヤミを言われたくらい。
まあ毎日バカ話して、冗談ばっかり言ってたもんね。
実際、管理人の私から見ても和気あいあいとしてるな~と思っていた。

でも本気でそんなことを思っていたのは私くらいで、後に
「誰それが好きじゃなかった」「誰のこんなところにムカついていた」
と、いろんな人からいろいろ聞いて笑いましたよ(^_^;)
そんな深刻なことじゃない範囲のことだけどね~

そんなもんです。
その方が偽善じゃなくて健全と今は思いますが。

あの人は万人に大人気だなあ、いつもニコニコしてるし幸せそうだし、あの人を嫌いっていう人はさすがにいないなあと思っていたら大間違い。
水面下ではいつもニコニコしていて幸せそうな、そこが嫌いという人もいる。
思っている以上にいる。

万人に好かれる人なんていない。
マザーテレサや美輪明宏さんにすら文句いう人はいるんだから。

言わないだけである。
同調圧ってやつで。

何かのきっかけで一人が「実は…」と打ち明ければ、そのタイミングを待っていたように、私も私もとなるまではね。

思うことがあっても一人で思わず、周りを見て、ネットで隈なく検索して、誰それは何て言ってるんだろう?
じゃあそれに合わせて同調という味方を手にした途端、アホみたいに勇ましくなる人もいる。

思っている以上に手強いと思うわ、この
同調圧。
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無関心

2019-09-26 | 日記
美容院に行った。
そこで雑誌を読むとしたら、ファンション雑誌芸能週刊誌の二つから選ぶしかない。
サービスされた珈琲を飲みながら、しょうがないから或る夫婦がなんで離婚したのか、男の方の言い分を読んでみた。
会ったこともなければファンでもないし嫌いでもない、何とも思わない人のどうでもいいプライベートの話である。
読んでも怖いほど頭に響かず、批判も共感も何も感じない。
それから流行りのバッグ数点を見て、
女性作家の「結婚式に何を着ていくか」についてと、
女性脚本家の「雅子妃殿下が最近イキイキと公務をなさっているご様子」について書かれたエッセイを読んでも、それは同じだった。
あー興味のないことってこういうことなんだなあと思った。

ブログの読者に田舎の同級生がいるが、彼女が興味があるのは同じ年頃の娘を持つ同士、親子ネタのみである。
それ以外のことにわざわざ感想を書き込みするのが、理解不能だそうである。
その激しさに恐ろしくてドン引きする( ̄□ ̄;)と言っていた(笑)

無関心ってそんなものだよね。
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こんな人もいる

2019-09-25 | S教団関係
夫はSのアンチだった。
幼馴染に会員の子がいて、その子の親が、S関係の本しか子どもに買ってあげないのを見て可哀そうだと思っていたし、父親を折伏にきてコテンパンにやられて帰ったS会員も見ていたし、仲のよかった人がSに入ってから「考え方が狭くなったなあ」と感じたこともあったという。
友達の家に遊びにいったら囲まれて、「俺は遊びにきたんだ。布教されに来たんじゃねーーー!!」と怒鳴ったこともあった。
私がS会員であると知って(内心は)「あーあ」とがっかりもしたそうである。
そんなふうに、何も知らない人じゃなくて、人並みの知識も経験もあるアンチだった。

それなのに、
私がSを辞めてアンチになってネットにアンチブログを書くようになった時は、喜ぶと思ったらそれが違った。
私がS会員だった時より嫌がった。
そんなアンチになるくらいなら、今までの方がいいと言った。
実際に私と暮らしてみたら、むしろSのよい面の方を知ったそうである。

こんな人は、ネットでもリアルでも聞いたことがない。

でも実際にいる。

理由を訊いたら
「それを大切に思って支えになっている人もいる。人の大事なものをけなすことがいいと思わない」
「信じて祈ると、そんな人にしかわからないパワーが出るのは事実。これを否定してはいけない」

この二点だと言った。

参考までの話である。
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最初の一人

2019-09-24 | 思うこと
以前、あるブログで人の亡くなり方を実名で書いて、こんな亡くなり方は惨めで恥ずかしいとか、短命だとか自殺だったとか書いたコメントを読んで、違和感を覚えたことがあった。
それで「それはやめた方がいいと思う」と投稿したところ、びっくりするほどの反応があった。

そんなに騒がれるとは想像もしていなかったから、本当にびっくりした。
「ふうん」くらいに読まれると思っていたのに、なんでここまで騒がれるの???と仰天した。
だってこれは、決して決してコメント自体が特別過激なわけでも、ぶっとんでいたわけでもなかったからである。
実際、二ヵ月たってもまだ騒ぐ人がいたので、後に改めてアップしてみたけど、本当になんてことない、当たり前のことを書いただけ。

でも冗談でなく、バケツをひっくり返したようなアクセスが集まって、いろんな人からいろんなことを言われた。

じゃあなぜ、こんなどうってことないコメントがここまで騒がれたのか?

それは単に、反論が言いにくい賛同が当たり前の空気の中で、人気の逆らえないようなコメント者に対しての異論だったからである。

仮にえ?と首をかしげても、
常連のいい人が一生懸命言ってるし、
反論されたら嫌だろうし、
皆も黙ってるし、誰も何も言わないし、
そんな前例ないし、
こんな空気の中でわざわざ声を上げるなんて注目されるし、
何か言ったら面倒くさいことになりそうだし、
きっとこんなこと思う私がおかしいんだわ……

おそらく「打倒××」の時も単純にこうだったのではないかと思う。
心でモヤモヤならいいけど、口に出したら、バケツをひっくり返したような騒ぎを自分が受けることになる。
これってホントめんどくさい。

そんなことはいつでも、今だってそうである。
自分は口火を切りたくないけど、人にはやってほしくてたまらない人たちが、誰かが口を開かないかと待ち構えている。
そういう人でさえ、一人でバケツをひっくり返した騒ぎを引き受けたくないから、名前を隠して言うのがやっとだもんね。

MCで頭がイカレていたのではなくて、リアルの名前も顔も知れ渡った、NOと言えない同調圧の中で
「それおかしくないですか?」
と口火をきるのが難しかっただけでは?

でも自分の前に誰かが言っていたら。
それが一人、二人、三人と何人も続いていたら。

一人で最初に言う。
そのめんどくささを引き受ける。
内容じゃなくて、難しいのはこれ。
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書くこと

2019-09-23 | S教団関係
Sと宗門が揉めた時。
Sは新聞というメディアを使って、
ごくごくごくごくごくごくごくごく一部が思っていることを
さも番人の総意のように報道した。
ウソでもデマでも「書く場所」があればそれが通った。

くやしかったなあ。

いくら「そんなことはない人もいる」と強く叫んでも、マスコミを持たなければそれは
「誰も知らない近所のおばちゃん二人くらいに、やっと届いて、誰にも知らされずねじ伏せられるもの」
でしかなかった。

私は、日顕さんも誰も呪ってなんかいなかった。
反発を感じたし、できなかった。

でもそんなことを主張する場なんてなかった。
「全員が右を向いて呪った」とメディアに牛耳られて、それを信じ込まされるしかなかった。

今は、本当のことを書く場所はある。
でも間口が広がったら、
「さも万人の総意のようにウソを書く」のも
昔以上に増えたんだよね。

覚悟のない奴、
金や快楽やヒステリーのための、甘ったるいことを書くなよ。
書かれたら更に書いたるわ。

これはネットで発信する時、最初に思ったことである。
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女脳?

2019-09-23 | 思うこと
中学か高校の時、新聞で読んだコラムを今でも覚えている。
会社の仲間の男女がグループでゴルフに行って、全員で申し合わせて小細工して電車のキセルをした。
(パスモやスイカのなかった時代)
それが発覚した時、男性社員は全員が罪を認めて謝罪をした。
そして、どうか会社には伏せてほしいと懇願した。
これに対して女性は全員罪を認めずに
「私は悪くない、だって」
と様々な言い訳をした。
駅員は男女の差を感じたそうである。

その時は、なんで女ってこんなに図太いの?と不思議に思った。

でも大人になってからも、それはいろんなところで見ることになった。

電車の中で何かマナーを注意された時、
でも足広げて座っているおじさんの方がずっと迷惑だよね。
あれやめた方がいいよね。


夫婦喧嘩をした時、
××の旦那さんが羨ましいわ
××の旦那は優しいし、××の旦那は怒らないし、××の旦那はあれもこれもしてくれるし。


自分がいわれると関係ない他人を持ち出して、自分の弱みを軽減しようとする。
これを「図太い」というのか「か弱い」というのかは知らんけど。
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電車の中で

2019-09-22 | 日記
電車に乗ったらかなり混んでる中に、入口付近にベビーカーと一緒にいる夫婦がいた。
 ベビーカーがダメと言ってるのではなくて、奥がかなり開いているのに詰めもせず、しかも大きなベビーカーを斜めに置いて場所をとっていたので、奥に行こうにも通路をふさいでいた。
ベビーカーのお陰でギュウギュウに混んでる中、つり革にも掴まれない。
すいません、もうちょっと角度…ヾ( ̄o ̄;)

でも二人とも知らん顔してスマホに夢中になっていた。

赤ちゃんは起きていた。
 ふつうなら親が二人そろっているなら、一人が子どもを抱っこして、一人がベビーカーを畳むなり、少なくとももっとを遣う。
違和感満載で見ていたら、傍にいた二人分くらいの座席をとっている大柄な男が、配慮のかけらもない音量のくしゃみを手も当てずに2連発。

何というか……番犬が全力で吠えてもあの音は出まい( ̄▽ ̄;)

でもそのくしゃみのお陰で我に返ったお父さんは、やっとスマホを見るのをやめた。
そして、微笑みながら赤ちゃんの頭を撫ではじめた。

スマホと我が子以外は見えんのだろう…

人が思考停止になる分野はそれぞれと思った。
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読むこと

2019-09-21 | 思うこと
心理学なんて構えて考えたことはないけど、私は群衆心理とか、記憶の曖昧さとか、エコチェンバー現象とか、確証バイアスとか、白黒思考とか、正義について、アドラーの文献など面白いなあと思って、ブログでは最初からよく取り上げていた。
精神科医の動画などもよく観たりする。

もともとは、S問題を「S脳」とか「MC」で吐き捨てるように片付けることに感じた違和感のようなものから、そういうものを見るようになった。

私は9歳でS教団の教えを親から教わったので、まず教えありきで、体験していくことをそれに当てはめていくような教育をされた。
つまり、今こうなっているのは宿業だの福運だの功徳だ、習ったことに上から乗っけていくような感じ。

そうではなくて、何も知識を強制されないで、
「私はこう思う。こう感じる」という自分の実体験、感覚がまずありき。
それから、ああこの感覚はこういう名前がついているのか~と、読んでいく。
そういう作業は私にはとてもとても面白かった。
今も楽しくてたまらない。

まず自分の感覚ありきだから、偉い先生の知識をボンと渡されても、皆が言っていても、自分がピンとこなければ受付けない。
ピンとくるものだけ読んでいく。

こんな好き勝手な勉強?も、学校も卒業して、いろんなものから解放されたから楽しめるんじゃないかなあと、気ままに思っている。
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口の固い男とは2

2019-09-21 | 日記
以前「或る事件」という記事を書いた。
https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/e/b5568d6a14ec267ef09f2fdd8368297f

夫の職場で、スタッフの一人に不祥事があった話である。
この話は慎重に、ごくごく一部の中で内密にされた。

が、しかし先日夫が、聞かされていないはずの部外者がそれを知ってることを聞いて驚いた。
「その話、誰から訊いたんですか?」
「それは言えない」

口が固いと言われる男の世界でも、どこからか漏れるのである。
でも「どこから」は漏れない。
男が隠すのはそれで、まず仲間も売らない生き物なんだなあと思った。

男は口が固いといわれるのは、自分が軽薄で信用ならないと見られるのが嫌なのである。
よくもわるくも社会性な生き物と思う。

「それは俺じゃない」
「それはわからない」
それが担保されると、実はけっこうヒステリックにぶちまけている。
今は、身元がバレないネットなどはそうかもしれない。

口が固くてカッコイイ人と、口が固くてカッコイイと見られたい人は、別。
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