珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

夫のボヤキ

2018-09-01 | 日記
夫の帰宅後、彼のボヤきは満員電車内でのことが多い。
夏の暑い時期に半袖同士で肌がくっつくのが嫌なのに、だらしないポーズでスマホを片時も離さない奴の腕がぶつかる。
きちんと立って、大きなリュックは工夫して持つなりすればいいのに、頭の中は「スマホ見たい!」しかないのか。
7人がけの席に大股を開いて5、6人で座って平気な顔をしている奴の神経を疑う…などなど、クラブのママの如く「そうね、そうね」と菩薩のように(話長いなーと歯を食いしばって)聞くのが、私の仕事だったりする。

満員電車で足を広げて二人分の席をぶんどっている人に、注意するのはなかなか難しい。
注意する方が、まるで「厚かましい」と睨まれるような雰囲気の時もある。

こういうストレスを今は皆、ネットに発信するのだろうか?
夫はSNSの書き込みなど一切しない人だから、その分私が聞くしかないのかな?とも思う。

ネットの鬱憤晴らしのサイトを読んでいたら
「海ブログは、ブログ主に反対意見を言う奴がいない。
海さんそれ違いませんか。私はこう思います、ということが全くない。
気味の悪い集団だ」 

(集団というほどのブログではないと思うんですが(笑))
と書いてあった。

ならば、気味の悪くないあなたがきちんと名乗り、私のブログにきて「私はこの部分はこう思いますが、如何思いますか」と正面から言えばいいでしょうに。

ちなみに私は電車で携帯は見ないし(老眼なので)、席も二人分はととらないのが(ケツが小さいので)知らんがな、という取り柄かもしれない。
コメント (17)

呪縛のメンタリティ

2018-09-01 | S教団関係
ネットでちょっと目新しい意見を書くと批判、敵対、攻撃、憎し
しまいには「怨念を発散している生霊(笑)」
こぞって書きたがる人たちが不思議でしょうがない。
ここ、一体どこの国よ?

めんどくさくいから、小学生でもわかるように
「いろんな意見がありますよね。
でも私が、Aという意見じゃなくてBという意見を言っても、それはAを撲滅させたいのではなく、憎しでもなく、私はBを選ぶということですよ。
世の中はそういうものです」
とわざわざ、前置きしても、
そんなものは踏みつけられ無視され、耳に入らず、頭の中は
「わーーーーー批判、批判、批判…憎し、憎し、憎しだ…」
といっぱいになるメンタリティがあるとしたら、それは何?

過去にそんな経験があって嫌だなあと思いつつ、「自分はやりたくない」じゃなくて「つい同じことをやってしまう」ってやつだろうか?
確かにそういう連鎖のような、思考、言動、行動パターンに操られる人はいると思う。
家庭不和で育った子は両親を批判しながら、結局は自分も似たような運命をたどる、みたいなそれこそ
呪縛のような説教に代表されるように。

自分が信じられないものを「邪宗」と読んで、燃やしたり叩き壊したりすることに快感を得る人。
それを軽蔑していたはずが、結局は同じことをして、気づいたらそれを「素敵」と喜んでいるのも、人それぞれ。
コメント (11)