珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

英語の話

2018-09-13 | 日記
高校2年の、初めてのリーダーの授業の日のことである。
初日から教科書を忘れた私は、慌てて隣のクラスの子から教科書を借りてきた。

その先生は今までに見たことないタイプの怖い先生で、鋭い瞳と口調の下、ダラダラとした挨拶などすっ飛ばして、当たり前のように即、教科書に入った。
内容は人類初の気球を飛ばした、フランスのモンゴルフィエ兄弟の話だった。
とにかく次々と当てる。
有無を言わせない雰囲気に、皆驚いてクラスに緊張が走った。

先生はまず、当てた生徒に教科書のワンセンテンスを読ませる。
一ヵ所でも読めなかったり間違えたら、もうワンセンテンスを読ませる。そこで間違えたらまた追加。
そんなふうにしてようやく間違えずに全部読めたら、読んだところを全部訳させる。


「英語は予習してきて当然」
先生は、まずそれを教えたのである。

訳はわからないと、すぐ後ろの子を当てる。
わからないと、またその後ろの子を当てる。
そんなふうに私も当てられたが、私の「借りてきた教科書」には、一足早くその授業を受けた子によって、教科書に答えがしっかり書き込まれてあった。
私がそれを見ながらすまして答えたら、クラスから一斉に尊敬の眼差しが入った。

このふざけた経験が、それまで特に熱心でなかった英語を好きにさせたのである。

私は先生のてきぱきとした無駄のない語り口と、生徒に媚びを売らず、だらけた生徒も容赦なく引きこむ姿勢に惚れ惚れした。
私はその日から、当てられても間違えないように、英文を声に出して読むことを始めた。
つかえずに読めると本当に楽しかった。
それまで、別に興味がなかった英語が俄然おもしろくなったのである。

授業は毎日が刺激的でしょうがなかった。
うまく読めない子が次々と文章を増やされて、しまいに教科書まるまる1ページ訳すハメになると、クラスで爆笑が起こった。
厳しいのに、なぜが授業は笑いに包まれるのである。
先生はどうしたら生徒が集中できるか、考えているんだなあと思った。

その先生の作ったテストがまた面白かった。
チャップリンの話が教材の時は、「チャップリンが作った他の映画を幾つか挙げよ」という問題が「英語の試験」に出た。
広島の原爆の話の時は、爆弾の種類が「プルトニウム爆弾」か「ウラン爆弾」か書けという問題が出た。
どれも先生が、授業中に口走ったことである。
授業をちゃんと聞いているかを問うていたのであるが、私は本来こんな無駄話こそ好きだったので、メモを取らずとも頭に入っていた。

大学へ行けなかった私は、英語はずっと勉強したくて、無一文で上京した時も、カバンの中に高校の教科書をしのばせていた。
だけど右も左もわからない都会で働いて、クタクタになって帰宅して食べるものもない生活の中で、教科書を開く元気などとてもなかった。

到り尽せりの環境の中で「学べる」
これを当たり前と思っている人がいたら、今一度考えてほしいと思う。


そんなこんなで英語は挫折してしまったけれど、懐かしい思い出だなあと、K先生の授業を時々思い出すことがある。
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