思考停止になって幾歳月。
それでわかったことはS会員に「思考停止してないで、自分の頭で考えて」は的外れということだった。
彼らは、私もだったけど「ちゃんと考えている(いた)」どころか考えすぎだった。
今年に入って、現役バリ活の本部長と地区婦にリアルで会って話し込んだけど、彼女らは決してボーッとして何も考えてないわけじゃなかった。
何しろ毎日、新聞読め、大白読め、あれ見ろ、この話し聞けと言われて、原稿書いて発表したり、何かしゃべらされたり、常に言動を言葉にして、過去を思い出し、因果関係をこねくり回しては、未来に目標を掲げて、今のままではいけない、あーしよう、こうしなければと、頭の中は常に考え事でいっぱい。
久しぶりに見てこれは「ボーッとしている」の対局と確信した。
教えを「鵜呑み」っていうのもちょっと違う。
久しぶりに会った二人と話して思ったのは、世間が自分たちをどう見てるかもわかっているし、話もちゃんと聞きながら、こんなふうに言われたらこう応えようとか、どう偏見をやめてもらおうかとか、どこが批判されてどこを改めていけばいいかもちゃんと考えていた。
自分たちが完全無欠で何も聞き入れる隙がない、なんてこともなかった。
迷ったり悩んだり反省したり、また決意を新たにしたりと、何とか折り合いをつけては、私よりずっと「考えていた」
ある意味、健気で痛々しいほどに。
結論として彼らは、思考停止で考えないからいつまでもSにいるんじゃない。
逆。
考えすぎて、もっともらしい思考に乗っ取られて、本来の自分も、ものの見えた方も、感覚も直観も鈍って曇って、モヤがかかって何も見えなくなっているのだ。
脱会者がよく「忙しくて考える暇がなかった」というけど、本当は「忙しく考えることがいっぱいで、頭をカラッポにする暇がなかった」が正解では?
今、頭の中をスースー風が通り抜けるほどになった私にはそう感じるので、言い方を変えた方がいいかもしれない。