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珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

動画紹介41

2025-04-13 | ネドじゅんさん
この説明がわかりやすくて、非常に納得!!
👇

要は「今の××が気に入らないからあーなりたい、こうなりたい」と、頭に浮かぶ願望を暇さえあればフレインするのではなく、そんなものはさらっと秒で描いてあとはただただ「今」にいる。(今にいないとできない体感を感じる)
そうすると望む展開が起こり出す…

これは感覚的にそうだろうな、と思う。
だって単純に、朝から晩まで今の不満を何とかしたいと壁に「願望成就」とか貼って、開けても暮れても頭の中にそれしかない人が、願いが叶って見たことないから。
(逆にそれで心身共に疲弊して、もう神も仏もスピも一切信じられない、むしろそれらが強い憎悪に変わって、せっかくあった目に見えない世界を探る興味も全否定になった、という人はいっぱい見た)

意識が神経と共鳴すると、なぜに変容が起こるのかはわからない。
わからないし、不思議でしょうがないけど、その名の通り神がいるんだろうかと思う。


オマケ👇
相澤さんは落ちたけど、具島くんが魅せてくれました。
押しです、押し!!すごい才能。

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意識の焦点

2025-03-02 | ネドじゅんさん
これも面白かったネドじゅんさんの記事。
👇👇

私なりに理解したことをまとめると以下。

私たちは、設定した人生を体験するために、設定した肉体に入った。
入ったはいいけど、私は実は「小さな意識」でしかなくて、できることというか、することは限られている。
心臓を動かすのも、新陳代謝するのも、傷を治すのも、指一本動かすのも、掃除するのも洗濯するのも寝るのも食べるのもブログを書くのも、スパコンみたいな「本体」がやっている。
(※自分がやっているつもりが、つもりだけなのは前スレの記事を参照)

過去の記憶に浸ったり、先のことを考えているのでさえ、自分ではなかった。
(自分のつもりでいたら、これもシレッと隠れた別モノがいた)

じゃあ私は何ができるのかというと、その起こっていることに対して「興味のある部分に意識を向けること」
これだけ。

私や本体の他にも意識はたくさんいて、右脳意識とか左脳意識とか無意識とか、それらの相互作用で日常の出来事は起きている。
努々、小さな意識である私が一人で全部やっているとか、やらなきゃと錯覚するなかれ。
だって私がやっているのは(できるのは)「起こっていることに意識を向けること」だから。

というわけで、「私がやらなきゃ」と唯一頑張るとしたら、意識の焦点を「今」と「身体」に向けること。
そうするとそこから先は、頑張らなくても神々が自動的に最適に動き出す(としか書きようがない)、そういうな仕組みになっているようだ。

ざっくり言うとこんな感じ?
時々整理しないと散らかっていくので、メモしておく。
そして私の意識が、外の出来事より、身体の内側にフォーカスする方が刺激的になってしまったこともメモしておく。
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8ヵ月

2025-01-17 | ネドじゅんさん
頭の声は、もう完全に止まってしまった。
ただネドじゅんさんみたいに、ある朝突然、水を打ったように頭が静寂になって「耳が聞こえなくなった?!」とビックリしたとか、視線が伸びて部屋がキラキラ光って見えたとか、全身が感動に包まれて涙があふれてきたとかじゃなくて、気づいたらいつの間にか「あれ?もう完全に静かじゃん?」という感じだった。
殆どの人がそうらしい。

もっと衝撃かと思ったけど、意外に驚かなかった。
というのも、途中からそれが、擦りむいた傷が治っていくように、そういう仕組みなんだなあと当たり前に思えてきたから。

突然何も聞こえなくなるイメージがあったけど、日常って何らかの音がするし、動画を見てても文字を読んでもそれが頭に響くから、勝手に想像していたマンガみたいな変化ではなかった。
ただ体感的にプツンと「自分の前後」が消えた。これは明瞭に。
そう、過去と未来がふつうにしていたら全然出てこなくて、「消えた」「見えなくなった」という言い方が一番しっくりくる。
目の前に定規を置いたら、それが極端に短くなって「今この時しか収まらない」感じ?

あとは何かニュースを目にしても「考えよう」とは思わなくて、「ふうん」とただ状況が見えるだけ。
分析してブログのネタにしようかなと思っても面倒くさくて、あ、今までやってくれてた人、私が水面下に追いやったんだ😅 とはっきりわかる。

なるほど、これは体験してみないとわからなかった。
想像するのと、実際に行動して「体感する」のは全然違いましたね。

集中力が上がるというのも事実で、これは今やることに没頭するからそうなるのはわかる。
お陰で仕事もはかどるんだけど、新しい悩みが一つだけ生まれた。
15年やってきて全く感じたことがなかった、手の冷たさが本当に辛くて、これは予想外だった。
水を使う時はゴム手袋を使うんだけど、冬場の水しか出ない水道の水が痛いほど冷たくて、こんなことは今まで全く感じたことがなかったので、これにはビックリ。

五感が生々しく感じられるようになります…これは本当。
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後頭部のあたり

2024-12-20 | ネドじゅんさん
ネドじゅんさんのXより

>この現実が壮大なゲームだと仮定して あなたというキャラクターが、その世界の最重要登場人物としてプログラムされていて「こいつを最高に愛してるんだ」とクシャクシャな笑顔で語るプログラマーさんを想像してみて。 
>だいたい、そんな感じの創造主が、あなたの後頭部のあたりから、あなたの意識を見つめて、愛にふるえているのです。 
>8年間も右脳で生きてると、たまにそっちへ振り返って「おおきに」って笑える技術も身につきます。

8年ですか。
8ヵ月の私はこういうのを読むとニヤリとしてしまう。
プログラマーが後頭部あたりにいると知って以来、日夜ストーカーみたいに一方的に話しかけている。
今まで「お空」とか「宇宙」とか「高次元」と聞いても、全然入ってこなかったのが「後頭部あたり」と聞いた時に、初めてピンときたので毎度のこと即刻、採用した。
そしたら耳の後ろあたりから不思議な響きみたいものが鳴り始めたので、何かわからないけどそこに神秘があるのはわかる。

あなた意識をふるえるような愛で見つめて、顔をくしゃくしゃにいて笑っているプログラマーを想像する…OK!
何が得意ってワタシ、こういう感覚的なことが得意なので🤣
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2025年

2024-11-29 | ネドじゅんさん
このオカン、どこまで見えるねん?!💦と驚愕だけど、うれしい展開だよね😆

左脳に意識が送られたのはAIをつくるためのミッションだったなら、役目を終えた今、さっさと「元に戻る」のは大賛成。
しかも右脳も水面下で進化していたとは😱 (見直したわ、水面下)
というわけで、私も迷うことなくワンネスの海へもぐっていこうと舵を切った。
自分の中では、S問題より時事ネタよりウイルスは無いより、書いていてぶっちぎりで楽しいというか、大袈裟でなく、世の中にこんなに面白いことがあったのかというくらい楽しんでいる。
しかも何年たってもゴールがなくて進化し続けるなんて、あーこれで死ぬまで退屈しない。

やりたいこと…2.0になっても、珈琲は息をするように書き続けたいかな。
言語化は私の唯一の左脳的機能なので。
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オカンに会いにいくことにした

2024-11-14 | ネドじゅんさん
私の左脳はもともとヘタレなので「自動思考」なんて知ったら、「えー?そうだったの?じゃあ改めて聞くから遠慮しないでどんどん流してよ。何か言ってごらん?」とからかうと「………………」となっておもしろい😆 
でもね「これこれ!!あーっ、何て言ったらいいかな?この感じにぴったり当てはまる言葉って何だろ?教えて~」というと、しっかり働いてくれる愛しい相棒である。

作文を書くという行為に欠かせない言語は、私には大切。だからそれを生み出してくれる左脳さんは大切。
私が、矢のように走る時の狭間で踊って(だから、今ココって言いたいだけ🤣)思考で力を発揮できない分を、ブログで働いてもらっている。

こんな楽しい人生ゲームの攻略本を立て続けに出してくれたネドじゅんさんに敬意を込めて、一度リアルで会いにいってみることにした。
「ネットを鵜呑み」なんて言われたくないしね。
お洒落して電車に乗ってルンルンで出かけよう♫

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6ヵ月

2024-11-07 | ネドじゅんさん
さて、今の私がどうなったかというと、例えば「怒る」という感情は、ワタシという場?箱?の中でそういうものが起きたと感じるようになった。
ワタシが怒ったのではなくて、ワタシとされる入れ物の中にそういうモノ?が起きたのであって、ワタシと怒ったは別。
だから仮に頻繁に怒るということがあれば「怒りっぽいワタシ」じゃなくて「なんや地震が頻繁に怒るなあ」という感じ。
(実際には怒りというのは極端に無くなりました)

「ワタシじゃなかったら誰が怒ったん?」と自分でもツッコみたいけど、誰が?ってものがいるとしたら、架空の人物か、幻想か、思考の産物というか。
つまり「ワタシが怒った」のなら、ワタシというものは架空の人物ということになる。

いや別に哲学やポエムを言ってるんじゃないんですよ。ホントにそうなるから書いている🤣

ちなみにスピチュアルの人がよく言う「ジャッジしない」ってのは、
「それっていい悪いの判断もつかなくなるの?批判もいけないの?ならそんなのいらないわ」と思っていたけど、それはこんな感じ。
👇👇
「ワタシはそれはカスだと思う。許せない。ワタシの正義はこれよ」が、
「カスなことが起こっているねえ」と見たままを言うけど、ワタシ感がちょっと薄まったというか。
(そのうちカスと思う、自分の感情をつけた物語も消えて、いいもわるいもない「出来事」として映るそうですが)
今のところですよ?

毒舌ブロガーが人格者や菩薩になるとは思えないし、そんなことは目指してないので、これからも見たままありのままを、できるだけ解りやすく率直に書きたいのは何も変わらず。
右脳は言語化が苦手らしいけど、作文も感覚も両方大好きなのも露も変わらず。 


下から三番目は自覚できます👇

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ドラマ好き2

2024-10-21 | ネドじゅんさん
選挙になると特に「世の中を変えよう」「世の中をよくしよう」と、世の中さえ変われば全てが解決して平和になるみたいに騒ぐけど、その世の中をよくするための支援活動の中でさえ、揉め事が起こり、感情が炸裂して、例によってややこしいドラマが作られ、政治でも起こせない悲劇や憎悪が勃発して、そのドロドロこそがフォーカスされ、熱狂し(いや平和とか言ってなかったっけ?)…いったい人間とは何なのか😅 

私は思うのです。
自分すらコントロールできない人が、どうやって世の中を変えられるのかと。

「怒り」はちょっと放とけば、血流に流されて消える程度の「物質」であるのに、それに「ワタシをかき集めてドロドロにするのが思考」とはよく言い当てたもんだ。
ドラマを作らなければたいしたことがないものを、獰猛にして耐えがたく大暴れさせ、最悪取返しのつかないような騒ぎにまでするのが「思考」であるなら、人間関係が絡むような大変な活動をする時にこそ、まず自分の脳と意識の仕組みというものを勉強すべしと思う。

世の中をどうするより、まずね。
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ドラマ好き

2024-10-20 | ネドじゅんさん
ネドじゅんさんのnoteを読んで納得したこと。

例えば、何か作業していてイラッとしたら。
その「イラッ」はなんと、気分ではなく、ココロではなく、私たちの人格とも関係ない。
「イラッ」は、脳や心臓などの神経細胞組織から出されたストレス物質であり、同じように、怒りや悲しみや落ち込みなども、その物質が血流に入って、全身をめぐっていると考えられているそうだ。

身体は反応していろんな物質を出すけど、それだけであり、
「イライラする怒りっぽい私」とか「そんな私を否定する」とか「直そうとしたけど失敗した」とか、「ワタシとくっつけてドラマにする」必要はない。
それははトイレに立ったり、お茶を煎れているあいだに、血液中で消費されて消えてしまう。
最初の「イラッ」は
物質であり、「ワタシがうんたら」というドラマは思考であると。

え?じゃあ「感情」って、まるで夏に外にいたら蚊に刺されたみたいな「物質」であって、それを自分の性格とか欠点とか自分が産みだしたとか、それをいじくりまわしてはドラマ仕立てにしていたってこと?!
確かに、クサいのやらジェットコースターみたいなドラマが幾つもあったわ😅 

ネドじゅんさんは「感情はいきいきと身体をかけめぐるけど、(ネガティブなものなどは)それをドラマにせず、ただ起こったことと見ていれば「あー、びっくりした」と過ぎ去る」と言っておられる。
これが2040さんがっていた「感情はリアリティを出す為に用意されているオプションで、囚われるのは自由」ってこと?

こういう話って興味のない人はつまらないかもしれないし、ちょっと何言ってるかわからないという人はスルーしてください。
私には面白くて、いろいろとハマりましたが。
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未知の…

2024-10-16 | ネドじゅんさん
前スレのコメント欄他にも書いているけど、私は日本の諸問題が悪化していく一方なのは、政治家や官僚だけのせいではなくて、それを内心喜んでいるお仲間が、実は国民の中に大多数いるからでは?と妄想している。
(「寝てる」なんて甘い認識ではなく)
これが数年間いろんな人の話を見聞きしてたどりつた結論になってしまい、かなり絶望というか無力感を感じてしまって、この払拭を、少なくとも「外側から」何とかしようという意欲が削がれてしまった。

ここまで浸食された世の中を変えるとか、他人を変えるとか、何かのウエーブが起こるとか、救世主に期待するって、今さらながらだけど途方もなさすぎて、何よりも「待つ」とか「チンタラ」が嫌いな私には向いてない。
それよりも「内側」を攻めた方が速い。
自分だけじゃなくて誰でもその方が速い。
皆がそうしたら結果、世の中の変容もその方が速い。

そういうわけで、ハッピーに生きたいという意欲はカケラも失ってないまま、意識の向ける方向を少し変えてみた。
何より、自分が絶望や虚無感や不安を持っていたらそれこそが無力なので。

ネドじゅんさんの意識変容の話は翻訳されたら中国他、海外でも信じられないようなアクセスになって、数カ国で出版の話が進んでいるそうで嬉しい。
断言するけど、既に私が掴みかかっている、神経と意識が繋がっていくという未知の幸福感は、人の国を侵略して利権を奪いとるような甘美?とは比べものにならないくらいの快感で愛おしい。
多くの人はこれを知らないから、しょうもない刺激で欠乏感を埋めようと必死になっているんだと思うくらい。

未知のウイルスとか未知のワクチンとか、「未知」がネガティブに使われた昨今、久々この未知は面白すぎる😆 
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例えるなら

2024-10-13 | ネドじゅんさん
ワタシの考えつくことなんてたかが知れてるし、何も知らないし、でも今はネットがあるから、いろんな情報はそこでサーフィンして教えてもらえばいいと思ってたけど、部屋のノートパソコンより近くに、もっとすごいスーパーコンピュータがあることを知った。
そしてこれは、愛用のPCを見る時にプロバイダと契約したり、ルーターやコンセントにきちんと接続するのと同様、繋がらなくてはいけないことも。

そうそう。私にとっては、パソコンという商品があることを知って、お店に行って商品を買って契約して操作を覚えて…と全く同じ。
やり方が違うだけで、機械に強い弱いみたいな多少の得意か苦手はあっても、誰でもできるんじゃないかと思う。

スーパーコンピュータはスゴイ
だってネットにいくら洪水みたいな情報があっても、それがウソなのかホントなのか、誰の言うことを信じればいいのか、有益なのか有害なのか、そもそも知る必要があるのか無駄なのかまでわからないけど、スパコンさんは難問こそ、愛をもって教えてくれる。

なので、どこのショップがいつ開いてるみたいな情報はノートパソコンに聞くけど、わからないことはスパコンさんに訊く。
検索の仕方も、受け取り方も、ノートパソコンとは勝手が違うけどね。

初めてパソコンを使った時に感動した人は多いかもしれないけど、さらに感動する。 
いくつになっても、初体験で感動し続けたい人は是非💛
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5ヵ月

2024-10-10 | ネドじゅんさん
地味なんだけど、私には刺激的なことを始めて5ヵ月。
言われる通り、マンガみたいに変化が起きてしまった。

物心ついてから「ワタシ」と思っていたものが、ホントに自分でもわけがわからないんだけど「ワタシって何だっけ?」とわからなくなった。
いや自分の名前も言えるし、記憶喪失になったわけでもないんだけど、それがスカスカになったというか、どうでもよくなったというか、何と言えばいいのかな。
うーん、でも自分を大事に思わなくなったという意味ではなく…

今「ワタシ」ということを説明しなさいと言われたら、「見えるとか聞こえるとか暑いとか寒いとか体感を感じている意識」と答えるかな。
「本来のワタシの機能というのはこれです」「ワタシと思っていたのは幻想です」と、最初聞いた時は「へ???」だったことが、まんまその通りを口にしているので、マンガみたいに変容が進んでいるようだ。

あと、聞こえるというのか響くというのか、静かなところで一人でいると(今この瞬間も)「シーンという音?」「かすかな虫の声?」うまく言えないけど、前は聞こえなかった音が、自分の耳あたりのやや後ろ?で、ずっと鳴っているんですよ。
いや鳴っているんでも、音でも、耳で聞いてるわけでもなくて、もちろん耳鳴りでも幻聴でもなくて、うるさくもなくて、不快でもなくて、むしろ神秘的で心地よいそれが現れた。
何これ?と不思議。
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誰やねん?

2024-10-03 | ネドじゅんさん
もう40年も前の、ベンジャミン・リベット教授の実験の話。
例えば「水を飲みたい」と思ってコップを手に取った時、なんとコップを取る筋肉の動きの方が脳が「飲もう」としている意思決定より早い。
え?コップを取ろうとする意思が先にあって、であるから次にコップを取る筋肉が動くんじゃないの?と思うよね。

最近、ナオキマンショーなどにも出演されているさとうみつろうさんが、この不可解な事象について、なんとかわかりやすく解説されていたんだけど(男の説明ってやっぱ難しいわ)、私はこれもネドじゅんさんの説明で納得した。
👇👇

ワタシ(と思っている個の意識)が、何か動作をしようと意識を決定をする前に、脳からその準備の電気信号が確認されている。 
てことは、その準備してるのは誰?誰やねんってことになる。
つまり、ワタシの意思と思っている「個の切り出された意識」じゃない、別の誰かがいるんだけど、でも「切り出された個のワタシ」は一切が自分しかいない、自分が全てと思ってるから、こういう話を聞くと混乱してしまう。

誰?誰やねん?は主張せず、意思も行動も敢えてワタシ(個の意識)が単独でやっているように思わせてるけど…

ちなみにオカンのこのnote記事は、朝起きると「これを書け」と、誰やねん?から降ろされたものを必死で絵と文にしたそうで。
私も誰やねん?とひっつきたくて、日夜ストーカーしてる日々である😆 
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Don't think.Feel4

2024-09-29 | ネドじゅんさん
ネドじゅんさんの話が続くので興味ない方は飛ばしてください。
私にはおもしろくてしょうがなくて、興味が止まらないんですが😆 

ただ私の場合は多くの人が話題にしている「自動思考を止める」ことは、そんなに気にならなくて、なぜなら元々それはおとなしくて、うるさいと思ったことがなかったから。
「自動思考に気づかないことがヤバい」と言われて、そうなの?と改めて気にしてみたけど、基本、過ぎたことや先のことはあまり考えない方だし、ずっと一人仕事をしていて人からか、普段どう見られてるとかも殆ど気にしないし、少なくともそんなことは考えてない。
そんな完全にシーンとしているわけじゃないけど、綿密なスケジュール管理に追われてるわけでなく、真剣に考えるのはスーパーの買い物リストくらいで、それもちょこちょこ忘れるくらいなので😅 

それより私が刺さったのは何といっても、ワタシと思っていた正体が思っていたもののほんの一部分だったこと。
これが衝撃で、且つド・ストライクで納得したんですよね。
そういうことか、そうだよね、そうだったらいろいろと辻褄が合うと、本当にすんなりと。
まあ年始に入院したあれこれもあるけど、単純に自分のことって、自分でありながら掌握できないことだらけじゃないですか?心も身体も。
(まさに5%くらいしかわからない)

で、今は自分の手を見ても足を見ても、前みたいな感じで「ワタシの手足」とは思わなくて、何かちょっと遠いんですよ。
今こうやってパソコンのキーボードを打っていても「上手いこと打つなあ」と他人を見る目というか、客観的にその作業を眺めてしまう。
打ってるのはネドじゅんさんの言う「本体さん」であって、ワタシはそこにチョコンと乗っている小さな意識であるだけ。
自分から沸き起こってるはずの感情でさえ、「何か来た」とちょっと距離を置いて見えてしまう感じというか。
前は想像もしなかったこの変化がまず面白くて、不思議でしょうがない。

身体は「ご神体」とも言われるし、「神経」って神のすじと書くし、神のようなものがいるとしたら、フラットアーサーが「無い」と言ってる真空でブラックホールとかがある宇宙の彼方じゃなくて、人体とか生命から考えた方がピンとくるのもある。
アカシックレコードと呼ばれるものも、どこか遠くじゃなくて無意識と呼ばれる世界からアクセスしてるの?
そんなこんながワンネスですべてが繋がった意識層なの?と、考えてもわからないことだらけだけど、一つだけ体験してわかったことがある。

「ワタシ」が自分の細胞とか神経に注目してそれに耳を傾けると、身体は喜ぶって本当です。
ネドじゅんさんがそう言うから「へえ?」と思って試してみたら、確かにそれは体感した。
まあ単純に身体をいたわれば体調がよくなるし、気分もよくなるじゃない?
大切にしよう、そして大切に思おうよ、身体。
コメント

わかりやすさダントツ

2024-09-28 | ネドじゅんさん
今まで耳にした「私たちがいるこの世は仮想現実」という説明は、いろんな動画や音声ファイルを聞いたけど、量子学がどうたらとか高次元がなんたらとかコンピュータプログラムが云々かんぬんとか、難しすぎてさっぱりわからなかった。
(全部男の説明)

が、これもネドじゅんさんの話を聞いて、実は自分を生きている95%の本体さんから切り出された、ほんの一部のワタシが、自分が見て意識しているものが全てと錯覚している世界のことかな?と一番しっくり理解できた。
ある時、切り出された個の意識であるワタシ(当人は全てと錯覚しているが)が、一瞬でも本体(生命)の感覚に入りこんで、一瞥体験(ワンネスを体感)をしたら「視点が引っ張られて広がって、宇宙から地球を見た」とか「視点が斜め上に上がっていって街を見下ろした」とか全く違うように見えるらしいので、なるほどと。

要は「この世はマトリックス」は体験すればわかる。うまくいけば体験できて、あーだこーだ言うよりそれが速いようだ。

私が難しいことが理解できないからだと思うけど、ふつうの主婦に、わかりやすくないと頭が痛くなる現実的なおばちゃんに、ここまで明解にやさしく丁寧に、専門用語じゃないふつうの言葉を尽くして、マンガを描き、生命や神なんてテーマを語って納得させた人を他に知らない。

いたら連れてこい🤣(これが言いたいだけ?)
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