遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ブラックチェンバー』 大沢在昌  角川文庫

2016-06-18 07:54:37 | レビュー
 著者の作品群に「特殊捜査班カルテット」シリーズがある。文庫本に入るときに改題され、『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』となった。原題は『カルテット』のシリーズである。これは日本国内における超法規的な特殊捜査班として、カルテットというチームの活動が描かれた。それに対して、この作品はその発想が国際的レベルに広げられ、超法規的な捜査組織「ブラックチェンバー」が描き出されれていく。
 作品の出版時系列でみると、原題のカルテットの単行本第1作~第3作が2010年に連続で出版され、第4作が2011年に出版された。一方で、この『ブラックチェンバー』の単行本が同じく2010年に出版されていたのである。つまり、構想レベルでは、国内レベルと国際レベルの次元の違いがあるが、法を超えた捜査組織を描くという試みがなされいたことになる。

 さて、本題に入っていこう。
 この小説、冒頭は六本木にあるストリップバー「ヘルスゲート」に、警視庁組織犯罪対策二課所属の河合直史(ただし)警部補が客となって入り、ウォッカカクテルを呑みつつステージを見ているシーンから始まる。
 店の表向きの経営者は、広域暴力団山上(やまがみ)連合のフロント、高木である。だが、経営の実権の半分を北海道の水産加工会社社長のロシア人、コワリョフが握っている。北海道にあるコワリョフの水産会社そのものが犯罪組織であり、コワリョフはこのバーで踊る白人ダンサーを送り込んでいる。一方、コワリョフは極上のキャビアを密輸入し、山上連合系商社を経由して都内で売りさばいている。河合は山上連合と組むコワリョフの犯罪行為を曝き、潰そうとしていたのだ。
 その河合がヘルスゲートでコワリョフの指示により拉致されてしまう。山上連合の組員菅谷が検分し、アフリカ系の傭われ外国人が河合を殺すというシナリオである。河合は茂原にある産廃処理場に連れて行かれる。ロシア人、中国人などが加担している。河合は絶体絶命と思った。だが、事態が逆転する。突然現れた小柄な影がサブマシンガンで河合の抹殺を図る菅谷ほか全員6人を一瞬で殺戮した。河合を救ったのは「ブラックチェンバー」と通称される組織だった。
 後で、日本支部の北平と名乗る男が、開口一番「河合さん、河合直史警部補」と呼びかけてきたのだ。河合と承知の上で、救助し、6人を殺戮するという手段を平気で取ったのだ。

 北平は河合に説明する。
・今夜の行動は河合の救出を目的に、あらかじめ決められた計画通りに実行された。
・救出とは別の理由で、秘密を守るために6人が排除され、秘密裏に処理される。
・北平の属する組織は、本部がなく各支部が連携し、行動の責任を負う。
・ブラックチェンバーは一国の法規の枠を超えて存在する組織である。
・あらゆる国際的な違法取引を監視し、その目的とする利益確保を阻害する行動をとる
・国家から情報提供を求めるが、資金は活動を阻害した、違法な国際取引の一部を流用する。⇒ 河合は北平の説明をブラックマネーのピンハネと解釈する。
・複雑化した国際的な違法行為を超法規の立場で捜査し、暴き、潰す。
 そして、ブラックチェンバーは専門家の集団であり、河合に刑事捜査の専門家として加わって欲しいと提案するのだ。ここ2ヵ月間、河合の捜査に注目し観察してきたという。
 警察という国家権力を背景に捜査活動をしてきた河合が、警察組織の後ろ盾のある刑事河合ではなく、日本の法の保護を超える手段により一個人の河合として抹殺されかけたのである。その経緯が河合に法と警察では守れない限界、追求できない限界の存在をまざまざと突きつけたのだ。河合は北原の勧誘に応じる選択をする。

 北平は河合に強欲と正義は両立するかという問いかけをする。ブラックチェンバーの存在の意義と正当性について北平は答える。「国際的な違法取引を阻害することは、法律とは別次元の正義につながる、と我々は考えている。その一方で、阻害の代価として、麻薬や武器の代金を奪うことに問題があるだろうか。・・・我々は強欲に、彼らから資金を奪う。それが正義につながるからだ」と。つまり、一国の法律の枠では取り締まれない違法取引を行う犯罪集団を壊滅させるという正義を実行し続けるために、犯罪で得られた金の一部を強欲に得るという論理である。
 
 この小説はブラックチェンバーに加わった河合が、与えられたミッションに携わるプロセスで抱く元刑事としての思いと捜査過程において疑問を抱き、その解明に邁進していく姿を描き出す。河合の抱く疑問が、北原のいう「強欲と正義が両立する」というテーゼをクリアするかどうか。それがこの小説のテーマとなる。

 河合がブラックチェンバーにスカウトされたのは刑事捜査の専門家としてである。だが直接的には冒頭に長々触れた河合の捜査と繋がって行くのである。つまり、ロシアのマフィアとして、ある地位にいるコワリョフと、それと結託してきた山上連合が大きく関わって行くというストーリーである。コワリョフと山上連合が日本を舞台に考える国際的な違法取引計画の裏には、さらに広がりのある形で二重三重の隠謀が潜んでいた。

 河合が課題を与えられ捜査に乗り出すと、捜査で得られた事実のつながりが、その筋読みを二転三転させていく。そこには正義を判断する基盤に関わる価値観に行きつく問題があった。そのストーリー展開の背後にある構想は実に巧みである。

 河合がブラックチェンバーに加わると、トレーニングを受けるために台湾に飛ぶ。勿論、ビザの更新のため日本との間のトンボ返りをするのだが。そして、1年後、北平の指示でバンコクに飛ぶ。違法取引を牛耳る組織の典型例の見聞を兼ねた観光旅行だと言われる。だが、それは河合に対する一種のテストでもあった。
 その結果、ブラックチェンバーのメンバーであるキム・チヒが現れ、河合はキムと組み、捜査活動を展開していく結果になる。チヒの主任務は「無力化」だという。必要ならば殺人も仕事として即座に実行する。
 チヒを介して、河合はタイ支部のケムポン大佐に引き合わされる。ケムポン大佐から、コワリョフがタイに入国している事実を知らされる。コワリョフがタイで行動を共にしているのは、コワリョフの部下でグルジア人のドルガチと、日本から逃亡してきている元山上連合系落合組組員の北井だった。彼らの行動をケムポン大佐とともに追跡する。そして、バンコクに戻って来た北井に河合が偶然を装って、接触を試みる。
 これがストーリーの展開の始まりとなる。河合は観光旅行どころか、そのまま捜査活動に引きずり込まれていくのである。なぜなら、河合と北井の居るホテルのバーにコワリョフとドルガチが現れ、その二人が4人組に射殺されてしまうのだから。

 北井はコワリョフと何千万ドルにもなるビジネスを企んでいたのだ。それは、コピー商品らしいが、何十億円単位になるコピー商品とは何なのか? タイに逃亡中の北井は単につなぎの役割にすぎないはず。ならば、コワリョフのビジネスの相手は山上連合だったのか・・・・。謎は深まる。この国際的な違法取引が河合の捜査ミッションとなっていく。その捜査において、河合の命を守るのがチヒのミッションとなる。そこに、ブラックチェンバーのメンバーで、元ロシア連邦保安庁に所属していたというバラノフスキが情報捜査の側面で関わってくる。
 コピー商品ビジネスの謎には複雑に犯罪組織が入り組んでいる上に、なぜコワリョフスキが暗殺されたのかという謎も絡まっている。その捜査を続けて行く過程で、河合は新たな謎に突き当たる。コピー商品の謎は、違法取引の表層に過ぎなかったのである。そこには意外な想定が見え始めていく。

 このストーリー展開での興味深いところがいくつかある。それはこのストーリーに惹きつける要素にもなっていく。主要なものを列挙しておく。
*河合とチヒの人間関係が変化するプロセスとその描写
*刑事捜査の専門家である河合が、その根元の刑事魂にどう向き合うか。
*刑事時代からの情報源だったロシア人をこのミッションの中でどう扱うか。
*ブラックチェンバー日本支部の代表という北平の実像は? 北平の真のねらいは?
*コピー商品の謎とコワリョフ暗殺から始まった犯罪の核心は何なのか? 首謀者は?

 クライムサスペンスとして読み応えのある作品に仕上がっている。意外な結末を迎えるのもおもしろい。残念なのは、ブラックチェンバーのシリーズ化はできないだろうと判断できる点だ。著者はちゃんとその理由もストーリーの中で述べていると理解した。その理由が何か、本書を読みながらその記述箇所を見つけるのもおもしろいかもしれない。

 ご一読ありがとうございます。
 

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この作品では、コピー商品が一つの焦点となっている。本書との直接の関係は低いが、そこで少し関心の波紋を広げてみた。ネット検索したリストを一覧にしておきたい。
コピー商品  :ウィキペディア
偽ブランド品、コピー商品等の知的財産侵害物品は国内への輸入禁止!
税関での取締り強化中!
    :「政府広報オンライン」
偽物ブランド、購入者も罰則の対象に?  :「JIJICO」
偽ブランド商品・海賊版等の「コピー商品」を追放しよう!  :「神奈川県警察」
スーパーコピー  :「わかっちゃう! 知的財産用語」(西川特許法律事務所)
法律解釈2:コピーCDとその著作権  :「ECネットワーク」

コピー商品の「購入だけ」は違法?  :「ほ~納得! 困り事よろず相談処」
海賊版・中国コピー品に騙されるな! :「よしぎゅーの”脱サラせどり”」
商品届かない詐欺サイトの見分け方   :「雑記」(Let's EMU)
 確認ポイント2つで通販にダマされない! 

堂々と偽物ブランドを販売するネットショップが人気 :「ROCKET NEWS 24」
コピー大国  :「NAVER まとめ」
アジアはソフトウェアの違法コピー大国、BSA調査 2011.5.13 :「AFP」
ロシアは世界第4位の違法コピー大国  服部倫卓氏

日本だって「コピー大国」なのに、どうして批判されない!?・・・中国ネット民「中国は『イノベーションのないコピー』だからじゃないか」の声    :「Searchina」


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徒然にこの作家の小説を読み、印象記を書き始めた以降のものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎



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