
「おわりに」を読むと、「二人で”かけあい講義”ってのをやらない?」というプライベートな食事中の会話がきっかけで始まったという。「そんな二人が何のビジョンもなく、一度の打ち合わせもせず、毎回教壇に登場したのだった」と記されている。2005年9月から半年間、神戸女学院の大学院で行われた「現代霊性論」の”かけあい講義”録をもとに加筆、編集した成果がこの本だという。
二人の講師による対話形式の講義など受けた経験がない。予め準備された資料によるものでなく、テーマはあってもどう展開するかわからない対話のかけあいを講義として聞くというのは、さぞおもしろかったのではないかと思う。それも「霊性」なるものを扱うというのだから・・・・出版されるにあたり、どれくらいの加筆・修正、編集が加わったのか知らないが、対話形式の話言葉を生かした文章なので、テーマのわりには、重苦しくなくて読みやすい。個々の論点を掘り下げるならば、各論の本が何冊も必要になるだろう。そういう意味で、「場と関係性」を「補助線に」、あまり深入りせずに幅広く視野を広げていくやりかたなので、「霊性」という言葉の意味を捉え直すのには役に立つ。
本書によると、WHO(世界保健機構)の委員会が1998年に「健康の定義」の中に、「肉体的にも精神的にも」に加えて、spiritual(霊的)にも健康であるという側面を取りあげたという。しかしこの側面は最高意思決定機関で否決され、現在の「健康の定義」には入っていない。この「スピリチュアル」、名詞「スピリチュアリティ」と言う言葉は、「魂」とか「精神性」と訳されていたが、現在ほとんどの場合、「霊性」とか「霊的」と訳されているという。
「霊が現にそこに具体的・計量的な実体として存在していなくても、あたかもそのようなものが存在するかのように機能しているのだとしたら、私たちはそれについて学的に考察できる」(内田)という問題意識から、霊というものの機能について「現象学的」アプローチを試みたのが本書の立場である。「現代霊性論」というタイトルは、「これまでの宗教学が扱ってきた一般的な問題とは少し違う、現在日本に固有の霊性問題の吟味が必要」(内田)という着眼点からきているようだ。時々、古い時代の話にも触れられているが、タイトルどおり現在の日本に焦点があてられる。「近代以降の、産業革命と国民国家と政教分離以後の時代の霊性」という論件として論議されている。取り扱われたトピックスと領域は多岐にわたり、思わぬ方向に対話が展開される。この対話の脱線がおもしろい。思わぬ方向への展開にもかかわらず話者の相手がそれに縦横に対応している点に、著者二人の該博な知識と思考がうかがえ、楽しい読み物にもなっている。
章立てそのものが講義単位の即興テーマとして生まれたのかどうかはわからないが、本書は、次のように編集構成されている。要点を併せて印象論風に簡略に付記する。
第1章 霊って何だろう?
霊性という言葉へのさまざまな切り口からのアプローチと講義展開を方向づける。
第2章 名前は呪い?
名前の呪術性および、死者の霊が「祖霊」への収斂から「霊の個別性」への収斂という変化の方向性が語られる。
第3章 シャーマン、霊能者、カウンセラー -民間宗教者のお仕事-
教団宗教者が扱わない死者とのコミュニケーションを扱う民間宗教者。またシャーマニズム医療との関係性が語られる。
第4章 スピリチュアルブームの正体
土俗の宗教性がない都市で占いが流行する理由。幕末から明治にかけて新宗教がブームとなり、1970年代以降、ポスト新宗教(新新宗教)が盛んになってきた経緯。そしてスピリチュアルブームに内在する危険性について語られている。
「おもな新宗教・ポスト新宗教の推移」の図(p100~103)はこれら宗教の系譜を展望するのに有益だ。
第5章 日本の宗教性はメタ宗教にあり
大本教(出口王仁三郎)から鈴木大拙、シャーロックホームズ、村上春樹へ、そして「ニューエイジ・ムーブメント」に話題が展開する。その関係性と広がりが興味深い。現代は「宗教の上位概念(宗教の源泉)」に関心が向いているという。
第6章 第三期・宗教ブーム -1975年起源説-
1975年を分岐点とし、1980年代から「宗教回帰現象」という形でみられる傾向を論じている。宗教が持つ三つの特徴とカルトのチェック・ポイントを語る。「閉じた教団は、要注意ですね。」(釈)
第7章 靖國問題で考える「政治と宗教」
靖國神社の宗教性と政治性。首相参拝についての賛否両論(小林よしのりVS高橋哲哉)と両論者に潜む共通性を語り、また本書の筆者それぞれの意見を開陳する。
第8章 宗教の本質は儀礼にあり
宗教に含まれる「行為規範」「ある行動パターン」や「定型化されたコード」「思考パターン」という「儀礼」に関係するものが意外に霊性と直結するという。宗教の「バインド機能」を語る。
第9章 宗教とタブー
宗教に関係したタブーといわれる事象をいくつか取りあげて語っている。「いただきます」は宗教行為か?/「お清めの塩」問題/儀礼の持つ「裏の顔」/タブーとしての「豚食」など。
質問の時間
講義出席者の提出した質問に、筆者二人が回答する。身近な疑問にニヤリとする一方で、なるほどと思う回答でもある。
「霊性」論だけに、本書の展開は宗教が一応の軸になっているが、各章に付記したように、話材の分野は多岐にわたっている。そこから、現在「スピリチュアリティ」(霊性)という言葉が、宗教・土俗信仰や哲学に限らず、さまざまな領域に関係していることが、自ずとわかるようになる。政治、文化人類学、民俗学、文学、教育学、医療、倫理・・・・という具合に。
本書を読んで、興味を抱いた章句の主なものを引用しておこう(私にとっては覚書として)。考える材料として。
*「他人から与えられた情報が自分の意見」ということは、操作可能な人になってしまっているということです。(第2章・p56)
*今の宗教についてみんながごくあたり前のように共有している「自明の前提」が、どのようにして、いつから共有されるに至ったのか、そういう系譜学的な探究がなされなければならない。(第2章・p57)
*若い人たちが宗教やナショナリズムに走るときって、どうも生活実感が希薄なんだな。・・・・具体的ではっきり持ち重りのする身体実感に根ざしたものが感じられないんです。(第4章・p99)
*現代の霊性を語る言葉の特徴として、自己変容とか神秘主義とか体験重視を挙げることができます。(第4章・p147)
*宗教の一部を自分勝手につまみ食いすると、ストッパーが利かずに宗教の毒が暴走する可能性があると思いますね。(第4章・p110)
*幕末から明治にかけて、神道の新しいムーブメントが興ります。今まで共同体維持が主たる機能だった神道に、個人がどう救われ得るかという問題が提起されてきたのです。これに応えようとした動きの一つが、おそらく「霊学」だったろうと思われます。(p115)・・・日本の現在の宗教には、この霊学の系統が一方にあるということをここで押さえておきましょう。(第5章・p117)
*大本(教)が日本のいろんなポスト新宗教に多大な影響を与えたことがわかります。(第5章・p117)
*(鈴木)大拙が考える霊性というのは要するに、誰もが持っている宗教心とか宗教性のことなんですね。これは、仏教とかキリスト教とか神道とかは関係なく、脈々と人間に流れていますが、それが花開くためには、地下水を吸い上げるための井戸みたいな装置、回路がいる。宗教が井戸なら、霊性は地下水ということになります。井戸がしっかりしたものでないと、霊性の井戸水を汲み上げることができないというわけです。(第5章・p119~120)
*キリスト教が伝統的に考えてきた霊性というのは、・・・・日本の「宗教以前の宗教が霊性」という概念ではなく、「私たちが神を知るために、神がわれわれに賦与してくれたもの」といったイメージで霊性をとらえています。(第5章・p121)
*19世紀のスピリチュアリズムの特徴は、「死後も霊は存在する」「そしてわれわれはその霊とのコミュニケーションが可能である」という思想でした。このような思想の背景にはヒンドゥー教やチベット密教の影響もあつたようです。(第5章・p122)
*「驚かされない」ための秘訣は、いつも「驚いている」ことなんです。・・・自分から進んで驚く。「へえ、こんなことがあるんだ」「これはびっくり」というふうに、説明できないことを日常化していれば、人知を超えるような経験にたまさか遭遇しても「そういうことつてあるよね」で済ますことができる。 (第5章・p134)
*現代霊性のフィールドは、現代人の「何かと繋がりたい」「自己変容したい」という欲求が投影されていることは確かです。(第5章・p148)
*カルトかどうかのチェック・ポイント (第6章・p158)
・脱会が困難でないか
・家族から隔離されたり、社会からの情報を遮断するような団体か
・法外な金品を要求しないか:霊感商法、度重なる寄付行為、ローンを組ませる
・外部に仮想敵を設定していないか
*宗教が持つ3つの特徴 (第6章・p159~161)
・この世界の外部(体系)を設定する。 :神、来世、前世、法など
・「儀礼」の体系を有する
・象徴(シンボル)の機能に宗教特有のものがある
象徴のほうが直接、われわれの心に深く切り込み、繋がる機能をもっていたりす
*どの宗教も、「受容/安定機能」と「自律/創造機能」を両面併せ持っていますが、どうしても宗教によって、どちらかに偏りがちです。(第8章・p108)
*儀礼のポイントは、「共有部分」であり、「境界線」です。社会の中で境界線の入り組んでいる部分に儀礼が発生していくのですが、現代社会ではそういう入り組んだ境界部分、他人との共有部分をできるだけなくしたいという方向性があるのかもしれません。(第8章・p217)
*人間の社会の営みから宗教的なものを全部排除したら、もう人間の生活つて成り立たないですよ。(第9章・p221)
*儀礼は数値化できないものの代表的なものです。こういう数値化できないもの、計量できないもの、それをもう一回見直してみることで、新たな視点が得られるかもしれません。(第9章・p234)
*おそらく儀礼の定義というのは、基本的にはその儀礼の起源を言えないということじゃないでしょうか。(第9章・p251)
話が多岐にわたっているので、項目的におもしろい、あるいは興味深いものが他にも沢山ある。本書を読んでいただくと、知的対話の展開の面白さがおわかりいただけるだろう。
この本から触発されて、キーワードのいくつかに関連する情報をネット検索してみた。
インターネット持仏堂 :内田樹氏のサイト
インターネット持仏堂の逆襲・教えて!釈住職
現象学 :ウィキペディアから
健康の定義 :WHOの定義
Mental healthの項の説明文中に記載があります。
Spirituality :Wikipedia 英語版から
祖霊信仰 → 祖先崇拝 :ウィキペディアから
シャーマニズム :ウィキペディアから
神道霊学(新興宗教・神道天行居の教説):ウィキペディアから
密教とは何か インド密教の思想と実践:
大本 :ウィキペディアから
出口 王仁三郎 :ウィキペディアから
新宗教 :ウィキペディアから
鈴木大拙 :ウィキペディアから
福音主義 :ウィキペディアから
Evangelicalism :Wikipedia 英語版から
New Age Movement → New Age :Wikipedia 英語版から
Cold reading :Wikipedia 英語版から
コールド・リーディング :ウィキペディアから
神智学協会 :ウィキペディアから
神智学とは :神智学協会ニッポン・ロッジのサイトから
靖国神社問題 :ウィキペディアから
靖国神社問題関連資料
靖國神社について :靖國神社のサイトから
東西霊性交流とは :「さんが~Samgha~」ブログより
悪魔の詩 :ウィキペディアから
小説 『悪魔の詩』訳者殺人事件 :「無限回廊」の「事件」リストから
ヴィクター・ターナー :ウィキペディアから
Victor Turner :Wikipedia 英語版から
メアリー・ダグラス :ウィキペディアから
Mary Douglas :Wikipedia 英語版から
Liminality :Wikipedia 英語版から
ハレとケ :ウィキペディアから
穢れ :ウィキペディアから
通過儀礼 :ウィキペディアから
バーイシー・スークワン;魂を強化する儀礼 :「タイの人びと、タイの街角」ブログ
ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル :ウィキペディアから
ご一読いただき、ありがとうございます。
二人の講師による対話形式の講義など受けた経験がない。予め準備された資料によるものでなく、テーマはあってもどう展開するかわからない対話のかけあいを講義として聞くというのは、さぞおもしろかったのではないかと思う。それも「霊性」なるものを扱うというのだから・・・・出版されるにあたり、どれくらいの加筆・修正、編集が加わったのか知らないが、対話形式の話言葉を生かした文章なので、テーマのわりには、重苦しくなくて読みやすい。個々の論点を掘り下げるならば、各論の本が何冊も必要になるだろう。そういう意味で、「場と関係性」を「補助線に」、あまり深入りせずに幅広く視野を広げていくやりかたなので、「霊性」という言葉の意味を捉え直すのには役に立つ。
本書によると、WHO(世界保健機構)の委員会が1998年に「健康の定義」の中に、「肉体的にも精神的にも」に加えて、spiritual(霊的)にも健康であるという側面を取りあげたという。しかしこの側面は最高意思決定機関で否決され、現在の「健康の定義」には入っていない。この「スピリチュアル」、名詞「スピリチュアリティ」と言う言葉は、「魂」とか「精神性」と訳されていたが、現在ほとんどの場合、「霊性」とか「霊的」と訳されているという。
「霊が現にそこに具体的・計量的な実体として存在していなくても、あたかもそのようなものが存在するかのように機能しているのだとしたら、私たちはそれについて学的に考察できる」(内田)という問題意識から、霊というものの機能について「現象学的」アプローチを試みたのが本書の立場である。「現代霊性論」というタイトルは、「これまでの宗教学が扱ってきた一般的な問題とは少し違う、現在日本に固有の霊性問題の吟味が必要」(内田)という着眼点からきているようだ。時々、古い時代の話にも触れられているが、タイトルどおり現在の日本に焦点があてられる。「近代以降の、産業革命と国民国家と政教分離以後の時代の霊性」という論件として論議されている。取り扱われたトピックスと領域は多岐にわたり、思わぬ方向に対話が展開される。この対話の脱線がおもしろい。思わぬ方向への展開にもかかわらず話者の相手がそれに縦横に対応している点に、著者二人の該博な知識と思考がうかがえ、楽しい読み物にもなっている。
章立てそのものが講義単位の即興テーマとして生まれたのかどうかはわからないが、本書は、次のように編集構成されている。要点を併せて印象論風に簡略に付記する。
第1章 霊って何だろう?
霊性という言葉へのさまざまな切り口からのアプローチと講義展開を方向づける。
第2章 名前は呪い?
名前の呪術性および、死者の霊が「祖霊」への収斂から「霊の個別性」への収斂という変化の方向性が語られる。
第3章 シャーマン、霊能者、カウンセラー -民間宗教者のお仕事-
教団宗教者が扱わない死者とのコミュニケーションを扱う民間宗教者。またシャーマニズム医療との関係性が語られる。
第4章 スピリチュアルブームの正体
土俗の宗教性がない都市で占いが流行する理由。幕末から明治にかけて新宗教がブームとなり、1970年代以降、ポスト新宗教(新新宗教)が盛んになってきた経緯。そしてスピリチュアルブームに内在する危険性について語られている。
「おもな新宗教・ポスト新宗教の推移」の図(p100~103)はこれら宗教の系譜を展望するのに有益だ。
第5章 日本の宗教性はメタ宗教にあり
大本教(出口王仁三郎)から鈴木大拙、シャーロックホームズ、村上春樹へ、そして「ニューエイジ・ムーブメント」に話題が展開する。その関係性と広がりが興味深い。現代は「宗教の上位概念(宗教の源泉)」に関心が向いているという。
第6章 第三期・宗教ブーム -1975年起源説-
1975年を分岐点とし、1980年代から「宗教回帰現象」という形でみられる傾向を論じている。宗教が持つ三つの特徴とカルトのチェック・ポイントを語る。「閉じた教団は、要注意ですね。」(釈)
第7章 靖國問題で考える「政治と宗教」
靖國神社の宗教性と政治性。首相参拝についての賛否両論(小林よしのりVS高橋哲哉)と両論者に潜む共通性を語り、また本書の筆者それぞれの意見を開陳する。
第8章 宗教の本質は儀礼にあり
宗教に含まれる「行為規範」「ある行動パターン」や「定型化されたコード」「思考パターン」という「儀礼」に関係するものが意外に霊性と直結するという。宗教の「バインド機能」を語る。
第9章 宗教とタブー
宗教に関係したタブーといわれる事象をいくつか取りあげて語っている。「いただきます」は宗教行為か?/「お清めの塩」問題/儀礼の持つ「裏の顔」/タブーとしての「豚食」など。
質問の時間
講義出席者の提出した質問に、筆者二人が回答する。身近な疑問にニヤリとする一方で、なるほどと思う回答でもある。
「霊性」論だけに、本書の展開は宗教が一応の軸になっているが、各章に付記したように、話材の分野は多岐にわたっている。そこから、現在「スピリチュアリティ」(霊性)という言葉が、宗教・土俗信仰や哲学に限らず、さまざまな領域に関係していることが、自ずとわかるようになる。政治、文化人類学、民俗学、文学、教育学、医療、倫理・・・・という具合に。
本書を読んで、興味を抱いた章句の主なものを引用しておこう(私にとっては覚書として)。考える材料として。
*「他人から与えられた情報が自分の意見」ということは、操作可能な人になってしまっているということです。(第2章・p56)
*今の宗教についてみんながごくあたり前のように共有している「自明の前提」が、どのようにして、いつから共有されるに至ったのか、そういう系譜学的な探究がなされなければならない。(第2章・p57)
*若い人たちが宗教やナショナリズムに走るときって、どうも生活実感が希薄なんだな。・・・・具体的ではっきり持ち重りのする身体実感に根ざしたものが感じられないんです。(第4章・p99)
*現代の霊性を語る言葉の特徴として、自己変容とか神秘主義とか体験重視を挙げることができます。(第4章・p147)
*宗教の一部を自分勝手につまみ食いすると、ストッパーが利かずに宗教の毒が暴走する可能性があると思いますね。(第4章・p110)
*幕末から明治にかけて、神道の新しいムーブメントが興ります。今まで共同体維持が主たる機能だった神道に、個人がどう救われ得るかという問題が提起されてきたのです。これに応えようとした動きの一つが、おそらく「霊学」だったろうと思われます。(p115)・・・日本の現在の宗教には、この霊学の系統が一方にあるということをここで押さえておきましょう。(第5章・p117)
*大本(教)が日本のいろんなポスト新宗教に多大な影響を与えたことがわかります。(第5章・p117)
*(鈴木)大拙が考える霊性というのは要するに、誰もが持っている宗教心とか宗教性のことなんですね。これは、仏教とかキリスト教とか神道とかは関係なく、脈々と人間に流れていますが、それが花開くためには、地下水を吸い上げるための井戸みたいな装置、回路がいる。宗教が井戸なら、霊性は地下水ということになります。井戸がしっかりしたものでないと、霊性の井戸水を汲み上げることができないというわけです。(第5章・p119~120)
*キリスト教が伝統的に考えてきた霊性というのは、・・・・日本の「宗教以前の宗教が霊性」という概念ではなく、「私たちが神を知るために、神がわれわれに賦与してくれたもの」といったイメージで霊性をとらえています。(第5章・p121)
*19世紀のスピリチュアリズムの特徴は、「死後も霊は存在する」「そしてわれわれはその霊とのコミュニケーションが可能である」という思想でした。このような思想の背景にはヒンドゥー教やチベット密教の影響もあつたようです。(第5章・p122)
*「驚かされない」ための秘訣は、いつも「驚いている」ことなんです。・・・自分から進んで驚く。「へえ、こんなことがあるんだ」「これはびっくり」というふうに、説明できないことを日常化していれば、人知を超えるような経験にたまさか遭遇しても「そういうことつてあるよね」で済ますことができる。 (第5章・p134)
*現代霊性のフィールドは、現代人の「何かと繋がりたい」「自己変容したい」という欲求が投影されていることは確かです。(第5章・p148)
*カルトかどうかのチェック・ポイント (第6章・p158)
・脱会が困難でないか
・家族から隔離されたり、社会からの情報を遮断するような団体か
・法外な金品を要求しないか:霊感商法、度重なる寄付行為、ローンを組ませる
・外部に仮想敵を設定していないか
*宗教が持つ3つの特徴 (第6章・p159~161)
・この世界の外部(体系)を設定する。 :神、来世、前世、法など
・「儀礼」の体系を有する
・象徴(シンボル)の機能に宗教特有のものがある
象徴のほうが直接、われわれの心に深く切り込み、繋がる機能をもっていたりす
*どの宗教も、「受容/安定機能」と「自律/創造機能」を両面併せ持っていますが、どうしても宗教によって、どちらかに偏りがちです。(第8章・p108)
*儀礼のポイントは、「共有部分」であり、「境界線」です。社会の中で境界線の入り組んでいる部分に儀礼が発生していくのですが、現代社会ではそういう入り組んだ境界部分、他人との共有部分をできるだけなくしたいという方向性があるのかもしれません。(第8章・p217)
*人間の社会の営みから宗教的なものを全部排除したら、もう人間の生活つて成り立たないですよ。(第9章・p221)
*儀礼は数値化できないものの代表的なものです。こういう数値化できないもの、計量できないもの、それをもう一回見直してみることで、新たな視点が得られるかもしれません。(第9章・p234)
*おそらく儀礼の定義というのは、基本的にはその儀礼の起源を言えないということじゃないでしょうか。(第9章・p251)
話が多岐にわたっているので、項目的におもしろい、あるいは興味深いものが他にも沢山ある。本書を読んでいただくと、知的対話の展開の面白さがおわかりいただけるだろう。
この本から触発されて、キーワードのいくつかに関連する情報をネット検索してみた。
インターネット持仏堂 :内田樹氏のサイト
インターネット持仏堂の逆襲・教えて!釈住職
現象学 :ウィキペディアから
健康の定義 :WHOの定義
Mental healthの項の説明文中に記載があります。
Spirituality :Wikipedia 英語版から
祖霊信仰 → 祖先崇拝 :ウィキペディアから
シャーマニズム :ウィキペディアから
神道霊学(新興宗教・神道天行居の教説):ウィキペディアから
密教とは何か インド密教の思想と実践:
大本 :ウィキペディアから
出口 王仁三郎 :ウィキペディアから
新宗教 :ウィキペディアから
鈴木大拙 :ウィキペディアから
福音主義 :ウィキペディアから
Evangelicalism :Wikipedia 英語版から
New Age Movement → New Age :Wikipedia 英語版から
Cold reading :Wikipedia 英語版から
コールド・リーディング :ウィキペディアから
神智学協会 :ウィキペディアから
神智学とは :神智学協会ニッポン・ロッジのサイトから
靖国神社問題 :ウィキペディアから
靖国神社問題関連資料
靖國神社について :靖國神社のサイトから
東西霊性交流とは :「さんが~Samgha~」ブログより
悪魔の詩 :ウィキペディアから
小説 『悪魔の詩』訳者殺人事件 :「無限回廊」の「事件」リストから
ヴィクター・ターナー :ウィキペディアから
Victor Turner :Wikipedia 英語版から
メアリー・ダグラス :ウィキペディアから
Mary Douglas :Wikipedia 英語版から
Liminality :Wikipedia 英語版から
ハレとケ :ウィキペディアから
穢れ :ウィキペディアから
通過儀礼 :ウィキペディアから
バーイシー・スークワン;魂を強化する儀礼 :「タイの人びと、タイの街角」ブログ
ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル :ウィキペディアから
ご一読いただき、ありがとうございます。
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