遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『図説 ビザンツ帝国 刻印された千年の記憶』 根津由喜夫 河出書房新社

2011-10-10 00:27:04 | レビュー
 昔、学生の頃に世界史で「ビザンツ帝国」をわずかばかり学んで以来、全く縁がなかった。本書のタイトルと表紙の画像を見て、手に取って中をペラペラと眺めると、ほぼどのページにも写真が載っている。地中海と黒海の間、コンスタンティノープルを中心としたあの広大な領域には何となく惹かれるところがある。できたら、その一部でも、いずれ訪ねてみたい・・・・漠然とそんな気持ちがあるからだろうか、読んでみる気になった。

 著者は「現代に残るビザンツ所縁の史跡や芸術作品を手がかりに、そこに込められた往時のビザンツの人々の思いを追想する」ことを本書で試みると言う。主としては、教会や聖堂および聖画像が掲載されている。ビザンツ帝国史の研究者である著者の強味を生かして、芸術作品や建築などを「歴史学に引きつけた視点」から説明している。そのため、本文には聖画像や建築について、その技法や様式といった視点にはあまり触れていないが、教会や聖堂が作られた経緯や描かれた人物と歴史的な背景のつながりなどが具体的に語られていく。この本を聖画像などを楽しみながら読み進めて行くと、ビザンツ帝国がどのような位置づけにあったか、この帝国の大きな歴史の流れがどうであったかを、何となく理解できることになる。
 読み手の私にはビザンツ帝国についての知識がほとんどないので、著者の文中に登場する人物名や人々の関係性がすんなりと頭に入ってこないのは残念だ。一方、キリストの傍に描かれた人物たちが誰なのか、なぜその聖画像が描かれたのか、という本文の説明で、往時の人間関係や政治的背景が理解できて、聖画像に託された思いは比較的すんなりと伝わってくる。だから、著者の意図した本書の試みは、たぶん成功していると私は思う。

 ビザンツ帝国の往時を偲ぶ旅は、「新しいローマ」の幕開けとしてのコンスタンチノープル(4~6世紀)から始まり、ラヴェンンナ(6世紀)、テサロニキ(6~8世紀)、カッパドキアからアトス山へ(8~10世紀)と旅し、コンスタンチノープル(10~12世紀)に一旦戻る。再び、バチコヴォとフェライ(11~12世紀)、キプロス(11~12世紀)を巡り、再度コンスタンチノープル(13~14世紀)に帰着する。コンスタンチノープルは「黄金の夕映え」の時代に入っている。最後の旅路は、「辺地を照らす光」となったトレビゾンド(14~15世紀)である。
 コンスタンチノープルの開都式典が成されたのは330年、陥落したのが1453年。この年、コンスタンティノス11世バラオロゴスが戦死し、1461年には、トレビゾンド帝国も滅亡する。

 この本で紹介された聖画像は、一部フレスコ画も含まれているが、その多くがモザイク画である。本書に紹介されている各地に現存する聖画像にも優れたものが多いが、やはり、コンスタンチノープルにある聖ソフィア聖堂の聖画像の数々は、欠損のない保存状態であることも含めて聖画像としては正に圧巻だ。また、コーラ修道院の聖画像も同様にすばらしい。
 イタリア北部に位置するラヴェンナの旅で紹介された聖画像のモザイクもまた、同様にすばらしいと感じた。
 現地で実物に接したら、その規模と作品数に圧倒されてしまうことだろう。本では実物の聖画像の大きさや環境・雰囲気がわからない点、仕方がないが残念だ。

 個人的なことだが、かなり前にイタリア観光旅行をした時、ヴェネツィアの聖マルコ聖堂で見た4頭の馬のブロンズ像や聖堂建物の一角にあった石像の写真が本書に掲載されていた。それがコンスタンチノープルにかつて存在したものだったということを本書で知り驚くとともに、懐かしく思い出した。個人旅行だったし、ガイドブックにはそこまで詳細な来歴は載っていなかったように思う。他の部分にそれ以上の関心があり、目にはしていたがそれほど意識しなかった。その知識が当時あれば、もっと違った思いで眺めていたことだろう。

 もう一つ、横道にそれるが、本書で「穏修士」という言葉に出会った。「修道士」という言葉は知っていたが、穏修士というのは初めて目にした。今この本文をお読みいただいた方は、ご存じでしょうか? 本書では、さりげなく使われているので無意識に読み飛ばすかもしれないが、あれ?っと、無知ゆえに立ち止まってしまった。
 ビザンツ帝国の領域の地名、位置関係なども、本書を読み、多少ネット検索での情報も得て、おぼろげながらマクロなレベルでだが理解できた。この地域に親しみを感じ始めるという副産物を得た。

 著者は研究分野の調査旅行の一環として現地撮影した写真を本書に掲載したと述べておられる。本書での取りあげられた歴史舞台の場所が、個人的な観光旅行でアクセス可能かどうか? ネット検索でリサーチする楽しみが残こった本だった。
 勿論、これを契機に、ビザンツ世界の書物に一歩深く入るという知的好奇心と併せてという意味でだが・・・・・

 本書では、城壁、記念柱、水道橋、遺跡等も取りあげられているが、主には教会や聖堂、聖画像である。そこで、本書に掲載された教会・聖堂の名称を抽出してまとめて見た。
コンスタンティノープル
 聖ソフィア聖堂、ミュレライオン修道院主聖堂(現ポドルム・ジャーミー)、バントクラトール修道院主聖堂、旧ベリブレブトス修道院、コンスタンティノス・リブスの修道院主聖堂、コーラ修道院、パンマカリトス修道院

ラヴェンナ
 聖ヴィターレ聖堂、ガツラ・ブラキディアの霊廟、聖アポリナーレ・イン・クラッセ聖堂、聖アポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂

テサロニキ
 ロトンダ(「円形の建物」の意味)、アケイロポイエトス教会、聖デメトリオス聖堂、聖ソフィア聖堂

カッパドキアからアトス山へ
 シェビンカラヒサル近郊の「聖母」の岩窟修道院遺構、チャヴシンの「大きな鳩小屋」教会、コルトーナの聖フランチェスコ教会(「真の十字架」容器)、トカル・キリセ新聖堂、アトス山麓のラウラ修道院主聖堂、カルスの聖使徒教会

バチコヴォとフェライ
 アセノバクレボスチの聖母(ポドゴリッツア)教会、バチコヴォ修道院、フェライのコスモソーティラ聖堂

キプロス
 バナギア・アブシンティオテイッサ教会、キッコー修道院、バナギア・カナカリア教会、アンティフォニティス教会、聖使徒教会、聖ネオフュトス修道院、

トレビゾンド
 聖アンナ教会、パナギア・クリュソケファラス教会、聖ソフィア聖堂、旧聖エウゲニオス教会、スメラ修道院(洞窟聖堂)、カイマクリ修道院、



 ビザンツ帝国とその地域に関係して入手できるネット情報が結構あることを今回知った。その一端をリストにしてみる。

東ローマ帝国 :ウィキペディアから

テトラルキア :ウィキペディアから

コンスタンティノープル :ウィキペディアから

アヤソフィア ← 聖ソフィア聖堂 :ウィキペディアから

アヤソフィアのホームページ

アヤソフィアの画像集 

カーリエ博物館 ← コーラ修道院 :ウィキペディアから

ラヴェンナ :ウィキペディアから

テサロニキ →テサロニッキ :ウィキペディアから

カッパドキア :ウィキペディアから

アトス山 :ウィキペディアから

バチコヴォ僧院 :「旅人と中欧旅行」のサイトから

聖母就寝バチコヴォ修道院、バチコヴォ村 :オフィシャル観光サイトから

キプロス :ウィキペディアから

トレビゾンド帝国 :ウィキペディアから

トレビゾンド帝国 系譜  :個人ホームページから

スメラ修道院   :個人ホームページから

スメラ修道院 :「阿保の生活」ブログから
 (フレスコ画の写真が載っています)


イスタンブール写真日記 :個人ブログ
「トルコ在住13年目。毎日持ち歩くカメラで異国の日常を紹介します。」
一枚の聖画像モザイク写真から、偶然めぐりあったブログ。写真がきれいです。
(2004/11/19の日記に添付の写真でした。)


「使徒的生活」を求めて-11・12世紀の隠修士運動:桑原直己氏論文

カフカス山脈の隠修士スキマ僧イラリオンの「荒れ野」の修道思想
:渡辺圭氏論文

修道士  :ウィキペディアから


モザイク :ウィキペディアから

イコン :ウィキペディアから

Icon :Wikipedea Commonsから
 イコン画像が沢山掲載されています。

ご一読、ありがとうございます。