遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『数学的にありえない』 アダム・ファウアー  文春文庫

2011-10-18 23:17:28 | レビュー
 原題が「IMPROBABLE」なので、辞書的には「起こりそうもない;本当らしくない」という意味になる。主人公のデイヴィッド・ケインがコロンビア大学統計学科の大学院で学んだ数学の天才で元統計学講師であったこと、そして、この小説の中で確率的にめったに起こりそうもないことが次々に起こるというストーリーだから、こういう翻訳版のタイトルになったのだろう。

 文庫版(2009/8、単行本は2006/8)は上・下の2冊で、全体は「第一部 偶発的事件の犠牲者たち」(上)、「第二部 誤差を最小化せよ」(上・下)、「第三部 ラプラスの魔」「エピローグ」(下)という構成になっている。
 第一部はおもな登場人物がそれぞれ全くことなったフェーズでばらばらな物語に個性豊かに登場してくる。それぞれの話を読み進めてもどういう繋がりがあるのか、全くといっていいほどわからない。特にデイヴィッドが関係するフェーズには、ポーカーのギャンブルにのめり込み、大金を懸けたゲームシーンの中にいるところから始まる。統計学専攻のデイヴィッドらしいが、彼は自らのポーカーのギャンブルの勝算を次々に確率計算する。しかし、そのゲームには大敗し、1万1000ドルの借金をかかえる。起こりそうもないカードの手で大敗するのだ。そして、ケインが出入りしてきた地下カジノの店主、ヴィタリー・ニコラエフというマフィアに借金返済のために追いかけ回される羽目になる。どうして借金を返済するか?それが当面の緊急課題になる。大敗を喫する直前に、デイヴィッドは悪臭に襲われ、死の臭いを感じる感覚にのみこまれ意識を失う。
 そこで彼は、ドクター・クマールの治療を受ける。その治療薬がなぜかデイヴィッドの持つ特殊能力を目覚めさせてしまう。彼は幾度も悪臭の苦痛を伴いながら、その能力に気づきはじめ、その使い方を体得していくのだ。それは予知能力だった。

 ジャスパー・ケインはデイヴィッドの双子の兄。彼は長らく病院の入退院を繰り返してきた。側頭葉癲癇であり、幻聴や既視感に襲われてきた。今退院したジャスパーはデイヴィッドを助けたいという使命感を抱いている。実は彼自身、特殊な能力の保有者だったのだ。デイヴィッドより先にそれが目覚め、人からは理解されずに入退院させられるという事態に陥ってきたのだ。ジャスパーも自らその能力のコントロール方法を体得していく。

 現在はCIA工作員のナヴァ・ヴァナーは、複雑な経歴を持つ暗殺のプロ。彼女は今はアメリカを裏切り、世界の主要な諜報機関と極秘情報を取引している。北朝鮮のスパイ機関に売り渡そうとした情報に瑕疵があり、先に入金された半金の返済を迫られ、追われる身になる。それを遁れる為には、別の極秘情報の取引を持ちかけて、対処しなければ身が危ない。その渦中に、ナヴァはCIAから科学技術研究所に配置転換の命令を受ける。CIAの組織で入手していた極秘情報へのアクセスができなくなる。しかし、科学技術研究所が、彼女にとって生き延びるための新たな情報源になることを発見する。

 ドクター・トヴァスキーは、大学院の教え子ジュリアを被験者にして、謎の実験薬を開発しようとしている。それは特殊な精神的能力を引き出そうと試みるものだ。その開発には研究資金がかかる。継続のための研究資金を確保するために、科学技術研究所のフォーサイスを訪ね、彼から資金援助を得ようとする。
 そのジュリアがある実験の途中で、トヴァスキーにメッセージを残し死亡する。トヴァスキーは窮地に立つ。ジュリアを自殺にみせかける後始末をし、彼女の残したメッセージへの対応がトヴァスキーを方向付けていく。

 ジェームズ・フォーサイスは国家安全保障局の科学技術研究所の所長である。科学技術研究所は、自国を含め全世界のあらゆる情報を盗聴・監視する任務を帯びている。ハイテク機器を縦横に駆使する専任エキスパートに、グライムズがいる。フォーサイスはグライムズを使い、これはという先端研究情報を盗聴・監視で盗み出し、それに先手を打ち、売り飛ばし、プライべートの研究所設立への資金稼ぎに地位を悪用している。私的な研究所設立のための残りの資金稼ぎと今後の研究用ネタ探しを企んでいる。
 資金援助依頼に来たトヴァスキーの研究自体にも興味を示し、フォーサイスは密かにネタ探しの対象範囲にしていく。

 知的な科学者達が多く登場し、その人々の日常会話として様々な科学理論の蘊蓄話が語られていく。カード・ゲームの勝率が確率論研究の嚆矢だったことから始まる統計学の講義風景、統合失調症の症状、ニュートン力学、ハイゼンベルグの不確定性理論・確率論的宇宙論、量子力学、マクスウエルの法則、シュレーディンガーの哲学的問題、アインシュタインの特殊相対性理論などなど。これらの科学の世界の知識情報が、起こりそうもないことが現実に起こるというストーリーを濃厚に色づけしていく。それらの会話の内容を十分に理解出来るとは思わないが、その意味合いの雰囲気程度はなんとなく味わうことが出来る。様々な蘊蓄話そのものの語り口も、じっくり読み直すとおもしろいかもしれない。
 小説の環境づくりの話題なのだが、起こり得ない事柄に関わるということなのだろう。なかなか重たい内容でもある。まあ、それなりに背景と受け止めて読み流してもいいだろう、たぶん。

 トミー・ダソーザは、ピストル自殺をしようとした直前に、ロトの宝くじに当たったことを電話で知らされる。あるとき、ある数字の組み合わせが当たるという確信を抱いて以来、毎週同じ番号の籤を延々と買い続けてきたのだ。そして、2億4700万ドルというとてつもない償金を当てたのだ。
 このトミーは、実は高校時代にデイヴィッドに助けられて、何とか高校を卒業できたという関係があったのだ。ジャスパーの助言で、窮地のデイヴィッドはトミーに連絡をとり、会う約束を取り付ける。
 
 個々の人間関係・物語が、第二部では、まったくありそうもないように見え、なぜか現実に起こることとして収斂して行くのだ。「予知能力」の存在が鍵となる。デイヴィッドを北朝鮮の諜報機関から身を守る引き換え材料に提供しようとしたナヴァがデイヴィッドと共闘する関係になっていく。ジャスパーはデイヴィッドを助けようとする。一方、フォーサイスは、トヴァスキーとそれぞれの思惑で協力関係を結ぶようになる。追う者と追われる者が新たに生まれてくる。

 第三部は、まさに闘争。ヴァイオレンスアクションそのものである。
 そして、ジュリエットとデイヴィッド、ジュリエットとナヴァ、それぞれの繋がり、またトミーの果たす役割が終末で明らかになっていく。さらに、もうひとりのジュリエットの人生の好転する兆しがデイヴィッドの手助けで見え始める。それは、デイヴィッドが、プロの追跡者、マーティン・クロウとの約束を果たすことでもあるのだった。

 前半は、蘊蓄話が多く、幾つもの物語が独立併存的に進行するので、一体話がどう展開するのかまったくわからず戸惑うが、十分には理解できないながらも知的内容に引きつけられるのは事実。しかし、少しもどかしい。後半は正に、追跡もののヴァイオレンスアクションの本領発揮といったスリリングなストーリー展開だ。このヴァイオレンスもちょっとありそうにないように見えて、あるかもしれないと思わせる内容でもある。一気に読み終えてしまいたい展開といえる。いや、実際一気読みしたのだが・・・。
 尚、物理科学の知識が豊かな人は、この知的会話部分それ自体を十分楽しめることだろう。(原著者の理解度への評価を含めて。)私には十分に楽しめるだけの基礎知識がないのが実に残念!

ご一読、ありがとうございます。

 この小説に登場する蘊蓄話に関連する事項をネット検索してみた。それぞれの分野の情報が豊富に公開されていることにびっくりした。その一部をリストにしてみる。
(これらの内容を、少しでも理解出来るようになりたい・・・・)

確率論   :ウィキペディアから

ギャンブルと数学(確率論) :NM総合研究所のサイトから

確率論入門 :横田壽氏


ニュートン力学  :ウィキペディアから

ニュートン力学の世界 :揺海さんのウェブサイトから

不確定性原理   :ウィキペディアから

不確定性原理 :「知の統合プロジェクト」のサイトから

量子力学入門の入門

量子力学入門 :前野昌弘氏作成のPDFファイル

相対論的量子力学入門 :倉澤治樹氏作成のPDFファイル

高校生のための量子力学入門 :竹本信雄氏作成

エルヴィン・シュレーディンガー :ウィキペディアから

シュレーディンガーの猫  :ウィキペディアから

特殊相対性理論 :ウィキペディアから

中学生にも解る特殊相対性理論 :「かつの部屋」のサイトから

特殊相対性理論  :「逆説の相対性理論」のウェブサイト

一般相対性理論 :ウィキペディアから


電磁気学  :「EMANの物理学」のサイトから


統合失調症 :ウィキペディアから

統合失調症の基礎知識  

息子が統合失調症になった時 :「心が壊れた息子のこと」