遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅹ』  松岡 圭祐   角川文庫

2014-09-29 09:34:19 | レビュー
 冒頭、凜田莉子が万能鑑定士Qの店を経営できるまでに莉子の才能を引き出してくれた恩師とも呼べる瀬戸内陸-大手リサイクルショップ、チープグッズの経営者-が逮捕される場面から始まる。その瀬戸内陸を逮捕するのに論理的推理力で一役買ったのが何あろう莉子だった。
 なぜこの場面からはじまるのか? それはその時点より3年前、莉子がお店を開店した直後に遡る。莉子があっけない詐欺行為にひっか掛かったのだ。このエピソードがひとつおもしろいので、内容には触れない。問題はそれは何故かとその結果である。
 「純粋を絵に描いたような性格、人を疑うことを知らない清らかな心の持ち主。高い感受性とそれに伴う記憶力を有し」ている莉子の人柄を愛でて、そのままで自営業の道に歩み出させた瀬戸内陸は、そのままでは自営業として通用しない。それを乗り越えるにはあらゆる問題の解決法という奸智がいる。それを知りながらそれを教えなかったのは、瀬戸内陸が「無垢なままであれば、莉子は私にとって脅威にならない」と判断したからである。しかし、それでは莉子を不完全なまま世間に放り出したことになる。
 そこで瀬戸内陸はその奸智を莉子に伝授することになる。凜田莉子という一人の若者の成長に貢献するために。その結果、それは諸刃の剣であり、冒頭の場面になるのである。

 本書で一番印象に残り、興味深いのはこの「あらゆる問題の解決法」だ。それは論理として成り立つかどうか、という思考法である。
 瀬戸内陸は莉子が詐欺行為に遭ったことで牛込署を訪れ、知能犯捜査係、葉山翔太警部補と面談した際に、葉山に投げかけた質問と葉山の返事にその思考法が凝縮されている。こんなやりとりだ。
 「論理的かどうか答えてくれませんか。あなたは足が速い。よって、あなたの足が遅ければ、あなたは像である」
 「論理的ではありますね。その通りでしょう。」

 牛込署を出て行く途中で、瀬戸内陸は莉子に言う。「論理として成立するか否か」が問題なのだと。「きみが”Xでない”という前提があるからには、その逆説、きみが”Xである”というのは仮定にすぎない。現実とは異なる前提についてYという結論が導き出されていても、きみには否定する材料はない。条件としては食い違いや矛盾は生じておらず論理的に正しいといえる」と。
 私には、こういう設問のしかたが非常に印象的だった。頭にガツンと一撃・・・という印象がある。「論理として成立するか否か」に絞り込んだ質問法と論理を意識するというスタンスについてだ。

 瀬戸内陸は自分なりのやり方だとして、「有機的自問自答」および「無機的検証」という二段階の論理的思考により真実が見いだせると莉子に言う。そして、その思考法を伝授するのだ。
 「まず有機的自問自答とは『理由をひとつに絞れ』。無機的検証は『それが終わればすべて終わりか否か』これだけだ」という。そして、まず要点をつかみ、それを図式化して書く。文章はできるだけ短いセンテンスに留め、それぞれを3つの記号で結ぶ。=(イコール:同列、等しい)、VS(バーサス:対立関係)、→(矢印:前を受けて順当に導き出される結論)で表記する。この規則で問題を素早く把握できるという。そしてそのトレーニングを瀬戸内陸は莉子に課すのだ。その結果が冒頭の場面を結果するが、瀬戸内陸はある意味でその結果の到来に満足していたのである。

 さて、この有機的自問自答と無機的検証を莉子が駆使して、事件の解決に協力するのがこの第10巻ということになる。いつもの事ながらこの事件簿も読者へのサービス精神に溢れている。メインには2つの事件に莉子が関わっていく。その合間にちょっとした脇道エピソードが盛り込まれているという次第。またメインの2つの事件はある人物を介してリンクしている局面があり、結果的に凜田莉子が重要な役割を果たすことになるというストーリーである。莉子の観察と論理的思考が勝利を導くことになる。

 最初の事件は、契約書の陰影は偽造印鑑によるものであり契約無効の訴訟を起こした案件である。最高裁で契約書の捺印鑑定を争っているという民事事件である。原告側の笹宮麻莉亜から莉子は社印の印鑑についての真贋鑑定を依頼される。莉子が出張鑑定に応じるのだ。
 実は万能鑑定士Qの飯田橋店は、もとはレティシア社という有名美容室チェーンの飯田橋店だったのだ。凜田莉子と笹宮麻莉亜は多少の縁があったことになる。出張鑑定を引き受け、レティシア社の事務所で印鑑を鑑定した莉子は、その後独自に背景調査を始め、早稲田大学の氷室准教授にも科学的分析を依頼する。そして、莉子はこれまた独自に裁判所に直接原告側の証人となることを申請する。証人喚問の当日は、莉子が熱を出して寝込んでしまったために、氷室准教授が代理証人となって出廷する。莉子の考えの代弁なのだ。
 ところが、裁判の途中で原告側の神条弁護士が裁判途中で退廷してしまうという事態に展開する。そして、そこにはこの訴訟事件の真相が秘められていたのだ。凜田莉子の二段階の論理的思考の実践編である。なかなか巧妙なストーリー展開になっていておもしろい。

 この神条弁護士の退廷とその後の失踪が、神条を介して大きな事件にリンクして行く。笹宮麻莉亜の息子である笹宮朋李が、氷室から借りた凜田莉子のノートを持参し、牛込署の刑事課を訪ねることから始まる。レティシア社の顧問弁護士だった神条康仁が失踪した背景には何か裏があり知的犯罪だと考えたからだ。ここで再び、知能犯捜査係の葉山警部補が対応する羽目になる。葉山はいつも莉子を介して事件に巻き込まれていくというおもしろさ。やはり、葉山は関与できない理由を述べる。そこで笹宮朋李は再び凜田莉子を訪ねることになる。莉子は神条探しの案件に関わっていくことになる。
 莉子は事務所で神条弁護士が使用していたデスクの検分から始める。デスクの引き出しからは全部持ち出されていたという状況。ただ、小さく丸められた紙片が残されていた。「5/23 ユニクロwear 注文の品受取日」という走り書きメモである。たったそれだけだった。しかし、これが新たな事件にリンクする契機になる。莉子の慧眼が発揮されていく。勿論ここでも、莉子は有機的と無機的の二段階論理思考を実践し、行動に移していくのである。
 まずは走り書きメモの真実の解明。それが莉子を指定暴力団のエメラルド密売事件解決への協力への繋がって行く。神条弁護士の失踪解明のために、莉子は笹宮朋李とともに、香港行き豪華客船の旅、アレクサンドリーヌ号の香港クルーズに参加することになる。この第2の事件の展開がまた興味深い。警視庁組織対策部の二課から五課までの全捜査係、特別捜査隊各斑など100名以上が捜査に取り組む事案に莉子が協力することになるという次第。事件解決のヒントが、莉子がレティシア社で笹宮朋李から得た情報にあったのだ。そこでレティシア社の事業乗っ取りという第1の事件が第2のエメラルド密売事件と密接な関係を持っていたということが明らかになっていく。なかなかスケールの広がる構成になっている。結果は一網打尽というハッピーエンドとなる。
 このストーリー展開がおもしろい。本書を開いて・・・・乞うご期待というところ。

 つまり、この作品は凜田莉子の万能鑑定士Qの店が立ち上がった当時の、凜田莉子の原点をストーリー化したものである。そして、この原点のキーワードが「有機的自問自答」と「無機的検証」なのだ。それが凜田莉子による事件解明の基盤となる。

 そして、この作品は3年後に再び戻る。身柄を拘束された瀬戸内陸と莉子の会話、ハイパーインフレ騒動の終焉3ヵ月後のスマトラ島での莉子の行動、そう、あの西園寺響に関わる事件のシーン点描、万能贋作者・雨森華蓮を点描し、莉子と笹宮朋李との約束の実行をもってストーリーが閉じられる。今回は末尾がこんな段落の文章で終わる。

 「静かな到達点。ささやかな夢は叶った。希望が潰えそうになっても、きっと道は開ける。無明の闇もいつかは終わる。まばゆいばかりの陽射しが差し込むときがくる。」


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本書関連の語句をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。

ファンデルワールス結合 
    :「目でみて操作する『分子の世界』-そのミクロ構造と物性-」
キューティクル  :「kotobank.jp」
ケラチン  :ウィキペディア
アサリ   :ウィキペディア
篆書体   :ウィキペディア
爪楊枝   :ウィキペディア
化成処理とは :「日本パーカーラウジング広島工場」
化成被膜処理について  :「フジックス」
クロメート  :ウィキペディア
光沢クロメート ← 光沢クロメートとユニクロの違い:「三和メッキ工業株式会社」
エメラルド  :ウィキペディア
原石、ルース → 原石・化石・ポリッシュ  :「ARTEMANO アルテマノ」
オプティコン処理 ← オプチコン(opticon) :「福本修の宝石・鉱物小事典」
シダー油    :「kotobank.jp」
バルサム油 ← カナダバルサム :ウィキペディア
リロッキング(破壊時再施錠装置)← リロッキング装置 :「鍵の救急マスター」


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万能鑑定士Qに関心を向け、読み進めてきたシリーズは次のものです。
こちらもお読みいただけると、うれしいです。

『万能鑑定士Q』(単行本) ← 文庫本ではⅠとⅡに分冊された。
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅲ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅳ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅴ』 
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅵ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅶ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅷ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅸ』
『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅠ』
『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅡ』




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