遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『始祖鳥記』 飯嶋和一  小学館

2013-08-17 11:02:51 | レビュー
 津山藩士・小島楽天が『寓居雑記』に記した一文が、どうも著者が本書を書く動機になったようだ。それは細工物のを身につけ、橋の欄干から河原に飛んで降りた兄・周吾のことを、表具師の弥作というその弟から聞いた覚書である。つまり、江戸期にをつけて空を飛んだ男が居たという事実!

 著者は本書末尾で、二代目備前屋幸助以降の系譜を語り、二代目幸助の生涯も概ね詳らかだという。そして、後世に至って、初代備前屋幸吉の生涯を詳らかにしようと試みた人物が二人居ると言う。竹内正虎と伊東忠志である。前者は『日本航空発展史』を著した旧陸軍歩兵大佐。後者は玉野市文化財保護委員長として市史編纂を担った人。著者はこの二人の研究成果を簡潔に記している。
 これらの資料が本作品を生み出す素材となり、己の夢実現に挑戦した比類なき数名の人物達をその関わりの中で描き出すというモチーフを作品化したのだろう。己の夢実現に人生をささげた男達の物語である。楽しく読める作品だ。

 時代背景は天明5年(1785)陰暦6月から文化元年(1804)正月である。第10代徳川家治の治世最後の年から第11代徳川家斉の治世前半にかけての時代になる。樽廻船問屋株が公認され10年ほどが経つた天明2年(1782)には1987年までつづく天明の大飢饉が発生している。そして、その最中、1784年には大阪に二十四組江戸積問屋株が公認されている。1786年には老中田沼意次らが失脚し、寛政の改革が起こる。一方、最上徳内らが千島を探索しウルップ島に至っている。そんな時代背景である。
 その時代に、空を飛ぶという夢に人生を賭けた男が存在した。彼を軸に、同時並行して違う次元で、違う形の夢を描いた男たちとがいつしか相互に関わりを深めていく。結果的にそれぞれが己の夢を実現させていくというある種のサクセス・ストーリーである。

 本作品は3部で構成されている。
 第1部と第3部での中心人物は幸吉-後の周吾、備前屋幸吉-である。幸吉は非常に才能豊かな人物だったようだ。備前児島の八浜の桜屋の次男に生まれる。7歳の秋に父が死に、父方の叔父傘屋満蔵に引き取られ傘職人となる。弟の弥助は岡山の紙屋という表具師の養子になっていく。傘職人として重宝がられる幸吉はその仕事に飽きたりなくなる。紙屋に呼ばれて、そこで表具師の腕を磨き弥助とともに表具師として精進する。兄弟そろって銀払いの表具師に育って行く。
 それほど腕のある幸吉が、表具師としての仕事に精励する傍ら、密かに空を飛ぶという試みを岡山城下で行うのだ。その影を垣間見た人々が己の願望、怨嗟、風刺の尾ひれをつけて噂を流していく。鵺騒ぎとして噂が広がると、町奉行が政道批判と騒動を恐れ、鵺騒ぎの犯人逮捕に躍起となる。
 最後に幸吉は、旭川の河原に飛び降りることに一応成功するのだが、幸吉の預かり知らぬところで、鵺見物に繰り出していた人々が飛ぶ姿を見て騒動になるという展開となる。その張本人として幸吉は捕縛されてしまう。
 なぜ、そういう展開になるのか、というところが読みどころである。

 第2部は、幸吉が脇役となり、違う次元で夢を抱く人々が主役として登場する。それらの人と幸吉が関係を深めていく。
 一人は下総・行徳の伊勢宿の地廻り塩問屋、巴屋伊兵衛である。天明3年の大飢饉のおり、欠真間の塩田の地主でもある伊兵衛は、欠真間の江戸川河畔に流れ着いた二体の女童の骸を目の前にしたことが契機となって、物品を独占し己の私利私欲に奔放する問屋株の仕組みに怒りをつのらせていく。伊兵衛にとっては、それは江戸の下り塩問屋の株仲間(四軒問屋)の有り様だった。幕府から公認されたその下り塩独占の仕組みが、行徳の地廻り塩衰退をもたらし、飢饉の被害を受ける人々に、安くて良い塩を供給できない原因になっていると考える。行徳の塩問屋として江戸城に納める良質の真塩仕立ての古積塩を造るにあたり入手している江戸打越の航海権利をうまく活用することで、四軒問屋制度を打破する策を練る。そして孤独なチャレンジに着手する。独自に西国の塩を運搬してくれる船を求めて西国に旅立つが、一隻の弁財船すら確保できない苦境に立つ。
 伊兵衛が見つめていた弁財船の楫取(機関長)は杢平という航海術に飛びぬけて優れた船頭だった。杢平は太鼓橋に佇み弁財船を眺める伊兵衛の姿に危惧をいだく。そして、炊の平吉を使って、伊兵衛に声を掛けさせ、船を訪れるように促すのだ、それが思わぬきっかけとなり、伊兵衛が源太郎と対話する機会ができる。

 源太郎とは、千石積みの弁財船を兵庫津の船入に泊めている船主福部屋源太郎、こと平岡源太郎である。彼は、岡山児島の八浜の隣の生まれ。幸吉とは幼少の頃に喧嘩仲間だった。彼は買積船を個人所有する一匹狼の船主。樽廻船問屋株などの組織に属さず、縛られずに海路を使った商品売買に従事している。買積船商活動の障害になるのは、主要航海と船問屋などを牛耳る問屋株の独占的しくみなのだ。たとえば、「下り塩は四軒問屋以外に売り捌くことが出来ないことはとうに諸国廻船の船主たちの了解事項となっている」(p145)というように。問屋株仲間の商域とぶつからないように買積船の運営をしているという己、「不当な公儀幕府の悪政には一切目をつぶり、差し障りのない航路の行き来を繰り返し、・・・このところずっと、己の牧歌の季節は既に終わったという無力感に苛まれ続けていた」(p181)のだ。己らしさを貫くには、問屋株仲間の仕組みの打破をめざし、航海の自由、商品売買自由の道をめざす必然性に気づき始める。伊兵衛の問題意識とその意志を聴いたことにより、その生き様に共鳴していくのである。源太郎自身の夢が明瞭になっていく。

 源太郎はこの船を「槖駝(たくだ)丸」と名付けている。結果的に杢平を介して、源太郎は、伊兵衛から「わたくしも、小童の頃、種樹郭槖駝に憧れました」(p178)という言葉を聴くことになる。二人の心が共振し始める。
 そして、二人の夢が「江戸打越」という御旗を手段、西国から行徳への塩運搬による株仲間制度の打破という夢で
結びついて行くのである。

 源太郎は幸吉が空を飛んだ本人だということ、岡山から所払いとなり八浜に戻っているのを知る。そして、弁財船に乗り込むように誘う。新たな生き様を模索する幸吉は一人の水主として、源太郎と航海を共にすることになる。航海は幸吉にとり、様々な体験の機会になる。颶風との遭遇は、風の威力を学ぶ機会となる。航海を通して杢平から多くのことを学んでいく。杢平との出会いが、幸吉の次の人生への契機となる。

 著者はこの第2部で、江戸幕藩体制における経済政策の問題点を、伊兵衛、源太郎の視点を通して鋭く見つめている。本書を単純なサクセス・ストーリーに陥らせず、時代観の奥行きを与えている。

 第3部は再び幸吉が主人公になる。脇役として、江戸町の町頭・三階屋甚右衛門が登場する。
 杢平が視力低下で楫取が勤まらないと判断し陸に上がり、故郷駿府に戻るとき、幸吉は水主として生きる適性に欠ける要素があると自己評価、判断して、杢平に同行し、新たな生き方を模索することになる。幸吉の過去を知る杢平は、それを承知の上で、幸吉が駿府で新たな人生をスタートするのを助けるのだ。
 買積船での経験から、駿府に定住した幸吉は備前屋と称し木綿問屋を始める。そしてその道で成功していく。軌道に乗り始めると故郷の八浜から幸助を呼び寄せて将来は店を継がせることを考える。己の過去を顧慮し、店で働く人間は故郷の伝手を使い、駿府に呼び寄せる。

 三階屋甚右衛門は郷宿という旅籠を営むとともに、公事(民事)訴訟における仕事を請け負うという役割を担っている。本名を新庄敬泰と言い、幼少に漢籍の初学を学び、15歳で塾頭を務めた俊才なのだ。その甚右衛門は不正な事には堂々と立ち向かっていく力量をもつ人物だ。その甚右衛門が幼い頃に不始末で斗圭(=時計)を故障させてしまった。いつか名古屋に行ってでも斗圭を直したいと思っていたところ、水主上がりの木綿屋が斗圭を扱うと聞き、幸吉にその修理を依頼する。ここから幸吉と甚右衛門の関係が深まっていく。
 幸吉という才能を秘めた人物に関心を抱いた甚右衛門は伝手を頼り、備前生まれの幸吉の素性をそれとなく調べる。事実がわかっても、幸吉を暖かく見まもる懐の深い人物である。
 幸吉は甚右衛門から駿府における5月5日の端午の節句の最後の凧揚げの日を、本当に凧を揚げるということに戻したいという願望を受け、新工夫の凧づくりを始める。そして九十九凧を披露するのだ。駿府の人々の驚きとなり、評判ともなる。
 
 だがこの凧揚げが再び、幸吉に昔の夢への封印を破らせることに繋がって行く。
 木綿屋が軌道に乗ると、幸助に家督を譲り、幸吉自身は隠居して、備考斎幸吉と名乗り、斗圭の修理と入れ歯製作という仕事を専業とするようになる。その一方で、空を飛ぶ夢を追求するという次第。第3部は、幸吉という人間の才能を描きながら、空を飛ぶ夢を完遂するプロセスを描き出して行く。
 幸吉は備前岡山での経験、水主として颶風に遭遇した経験などを踏まえて、どこから飛ぶと己の夢見る空を飛ぶことが実現できるか探究する。そして、賎機山の西に張り出した浅間山呼ばれる場所の崖を最適地として絞り込み、計画を練っていく。

 この第3部、斗圭の修理、大凧揚げ、最後の飛行へと、ストーリーの山を踏みながら展開していく。夢の飛行への綿密な探究と準備、罰せられる者を幸吉一人に留める前提での周到な計画、最後に飛行は成功する。それがどのようなプロセスで進展していくかが読ませどころである。

 本書の3部構成は各部を独立した小説として読む事も、ほぼ可能である。この点もおもしろい。3作が緩やかに連続してストーリーが大きく広がり、夢が夢を刺激し動き出す形で展開していく。そんな構成になっている。勿論、3部構成全体を読み通してこそ、本書の夢実現の達成感を味わうことができるのだが。
 
ご一読ありがとうございます。

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本書に関連する語句をネット検索してみた。一覧をまとめておきたい。

天明の大飢饉 :ウィキペディア
天明の飢饉と江戸打ちこわし :「剣客商売」

株仲間 :ウィキペディア
問屋の成立 :「東京油問屋史」
二十四組問屋 :「東京油問屋史」
十組問屋の成立 :「東京油問屋史」
檜垣廻船と樽廻船 :「東京油問屋史」
木綿問屋 :「東京油問屋史」

買積船 → 北前船とは :「江差町」 歴史・文化・観光情報
  弁財船の説明もこのページに小見出しとしてある。
弁才船 :ウィキペディア

河村瑞賢 :ウィキペディア
改正 日本與地路程全図 :「九州大学博物館」

種樹郭槖駝傳 柳宗元
種樹郭タクダ傳 (付・漁翁)

千葉県と塩 :「塩百科」
  行徳塩田、行徳塩の小見出しがある。
塩田と近年の製塩の歴史 :「愛知県の博物館」



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『出星前夜』 小学館



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