遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『関越えの夜 東海道浮世がたり』  澤田瞳子  徳間文庫

2020-06-04 10:59:18 | レビュー
 2014年2月に単行本が徳間書店から刊行され、2017年11月に文庫化されている。
 12話の短編連作集で、第4話のタイトルが本書の題名になっている。「東海道浮世がたり」という副題が付いている通り、東海道を行き交う人々の喜怒哀楽、さまざまな場面が鮮やかに切り取られていく。人々の抱く懊悩、愛憎、悲哀、義理人情・・・・。浮世の情念を炙り出す短編時代小説集である。
 この短編連作、第1話は呉服問屋の手代忠助が東海道藤沢の宿を出立する書き出しから川崎宿手前の茶店までが設定場面となっている。そこから順に西へと東海道を進んで行き、第12話は京都での物語となる。東海道の上りでこの短編集が終わる。興味深いのは、これら12話の連作の多くでは、短編の中になにがしか姿を見せている人物が、その次の短編では主な登場人物として別のストーリー展開になる。一種の人物リレー形式でストーリーが転換していく側面が取り入れられていておもしろい。5W1H的に簡単に各話をご紹介していこう。

 <第1話 忠助の銭>
 浅草猿若町の呉服問屋・糺屋の実直な手代忠助が、駿河・蒲原宿に花嫁衣裳等の代金40両を集金に行く。帰路の道中でその金を紛失! 箱根の関を越え、小田原宿に着いた時点で胴巻きの金が消えていることに気づいた。意気消沈の忠助が藤沢の宿を立つところから始まる。重い足取りで、どの面をさげて店に帰るか、懊悩しながら東に旅を続ける忠助の心理が描写されていく。疾駆してきた暴れ馬から思わず子供を助ける一方で、首を括って死のうかと考える。そんな忠助が川崎宿手前の茶店で、華やかな町着姿の娘と佐七と呼ばれた男の奇妙な二人連れを目にする。その娘から茶店に置いて行く巾着を受け取り生きよと告げられたと感じる。一方、忠助だけがその二人連れを死に場所を求めて立ち去る姿と直感したのだった。
 懊悩する忠助の心理の変転と、死を思う人同士の感応を鮮やかに描いている。

 <第2話 通夜の支度>
 益子屋の末娘・お駒と手代・佐七が神田佐久間町の店を出奔し、保土ヶ谷宿近くで心中した。番頭の喜兵衛とお駒付きの女中・お栄が二人の行方を追っていく。お栄はいずれ佐七と所帯を持つつもりだったのだが・・・・。お栄が、己と佐七の関係、佐七の心理、お駒の置かれていた状況と心理、さらにお駒と佐七の出奔の経緯を振り返っていく。
 当時の心中がどのように扱われていたか、また事を荒立てない処理の実態という側面を含めて描いていく。通夜を保土ヶ谷宿近くの寺でなんとか執り行える形で事が収まる。
 最後に、お駒の髪の毛の束を形見にともらうお栄の愛憎両面の心理が哀しい。

 <第3話 やらずの雪>
 近江生まれの旅人が、宿場外れの高栄寺を参拝し、雪が降り出したことで、寺に一泊していくことを勧められる。住持と相弟子の尊聖が小田原の本寺に出かけて居て、寺には慶尊と称する僧が一人居るだけ。慶尊が旅人に対して、年齢は上だが出家としては弟分になる尊聖について、及びつい先頃までこの寺にいた小坊主良尊について、旅人に対して一人語りしていくという話である。出家前は武士だった尊聖の家庭内事情-不義と刃傷沙汰、お家断絶ーが明らかになる。さらに、良尊がこの寺にて刃傷沙汰を起こす顛末を語る。
 人の思いのすれ違いと嫌がらせを行う輩が引き起こす事態---それらが常に浮世の問題を引き起こす。よくある話が女の恨み心を中核にして展開していく。

 <第4話 関越えの夜>
 畑宿の一膳飯屋を営むお千という叔母に引き取られ、10歳となるおさきが小田原藩家中、来島主税に話しかけられたことから始まる物語。第3話で尊聖の弟・友太夫が刃傷沙汰を引き起こし出奔していた。騒動の相手は来島孫兵衛の嫌がらせである。長男の来島主税は友太夫を探し仇討ちの旅に出ざるを得なくなる。西へ関所を越えることに逡巡しつつ人探しの形で小田原領内に留まっている。おさきは叔母にこきつかわれ、また急峻な坂を登る旅人の荷を運ばせてもらい日銭を稼いでいる。主税はそんなおさきに声をかけた。おさきが妹と重なって見えたのだ。おさきに案内を頼みつつ、あちらこちらで人探しの真似事をして日々を過ごす。その主税が関抜けをしそうな男女一組に気づく。主税はおさきに箱根の関所への通報を頼み、自分は二人連れを追跡する。だが、その働きが主税にとっては関所越の夜になる。おさきの思い、主税の思い、さらには関所番頭の余計な配慮が絡まり合いつつ描き出されていく。
 
 <第5話 死神の松>
 関役人に捕まったお紋を置き去りにし、自分だけが関抜けをやり遂げた与五郎。これから先の道中をどうすればよいのかと不安を覚える。その与五郎が、なぜこんな羽目になったのかと、来し方を回想しつつ、いつの間にか浅間神社を通りすぎて、千本松原に踏み込んでいく。千本松に首くくりがぶらさがっている幻影をみる。そして、遂に一線を越えてしまう。急激な状況・環境の変化がもたらす不安感が自己存在感に及ぼす様を描き出していく。悪で強がる男もまた弱い者・・・・というところか。

 <第6話 恵比寿のくれた嫁御寮>
 一本松にぶら下がっての首くくりが原因となり、上天気の日にも関わらず網元の茂八は出漁中止を言い渡す。沼津の山猫女郎に入れあげつづけていた一人息子の孝吉が、最近は心根を入れ替えた様に真面目に働いていた。孝吉は体良く女郎の手玉にとられていただけだった。茂八にとっては一安心だ。庭の隅に祀る恵比寿社に御神酒を上げ、明日からの猟の祈願を茂八はする。普段しないことを・・・・・・。
 人気のない浜辺を若い娘が一人小走りに走ってくるのを目にした茂八は、浜辺に降りて行きその娘に声をかける。娘は二人連れの男が後を付けてきたので逃げてきたという。それが切っ掛けで、孝吉に沼津までその娘を送らせることに。孝吉はなぜかひと目見てその娘に惹かれていく。身を固めさせたい茂八は、その娘が茂八の顔見知りが主である鳴子屋で働いていることを知る。お連というその娘の評判も良い。茂八は恵比寿さまのお導きと縁談話を進めて行く。
 嫁御寮を迎える当日、思わぬ陥穽があったことに愕然となる。
 最後の最後に、突然事実が見えるという落とし所がおもしろい。

 <第7話 「なるみ屋」の客>
 府中七間町の路地奥にある居酒屋「なるみ屋」が舞台。旅装束で上方訛りのある零落した浪人の中年夫婦が薄暗がりの一隅に、そして常連客の大工が飲んでいる。そこに、どこかで相当飲んできたきたみすぼらしい男が入って来る。しばらく後に、勝手口からお奈津坊と皆に呼ばれる10歳ばかりの女の子が父を迎えに来た。店の常連客は目を逸らす。みすぼらしい男はお奈津の父。二人が店を出て行くと、大工が語り始める。お奈津の父は酒屋の奈良屋という大店の主人だったこと。3年前に火事で焼けて潰れたこと。そして、火事で死んだ娘のおとせとお奈津の生い立ち・・・・。大工は己の抱く慚愧の念を語る。浪人は震えを帯びた声で尋ねる「あのお奈津は、いま、幸せなのだろうか」と。
 願い通りに事が進まぬ浮世の有為転変の側面を切り取ったストーリーとそこに存在する人間関係。幸せとは何か。その問いかけも含まれている。

 <第8話 池田村川留噺>
 街道諸国語りを生業とする男・仲蔵の辻語りという形の語りである。川の東・池田の宿で天竜川の川留めに遭遇した体験談が語られる。仲蔵は川留めとはどういう仕組みでどういう状況か。川留めに遭遇してしまった旅人たちの嘆き、焦り、心配、気晴らしなどその有り様をおもしろおかしく語る。宿泊客の大工・利七と鳥屋の娘・お熊とのラブ・ロマンスも織り込まれる。そして鳥屋という宿の泊まり客全員が、留太という護摩の灰の手口に引っかかりそうになった話を最後の大詰めの話、落とし所とする。
 川留の状況とそれに遭遇した旅人の苦労がイメージしやすくなる短編である。

 <第9話 痛むか。与茂吉>
 品川の海産物問屋・桝屋の嫁お浜35歳と主人嘉兵衛の仲は良くない。二人の間には子がない。お浜は浅草の同業・木津屋から嫁いできた。そのお浜がおたきをつれて大坂船場、回船問屋に嫁いだ実姉を訪ねる旅に出ている。その旅に桝屋の奉公人・与茂吉が嘉兵衛の指示で二人に随行している。お浜たちは天竜川の川留の時に鳥屋に泊まっていた。
 今は岡崎の城下を過ぎ、矢作川を渡り、宮宿に宿を取った。この日、与茂吉は持病の差し込みに悩まされていた。与茂吉は嘉兵衛から、道中でお浜に不義を働けと命じられていた。それが嘉兵衛に対する忠義になると。宮宿は混雑していて主従3人が同部屋となる。
 これまでの道中でその機会のなかった与茂吉は、恐る恐るだが決心してお浜に不義を働きかける。その顛末や如何?
 おもしろい設定である。奉公人が忠義を尽くすとはどういうことか、それがテーマになっている。江戸時代の家、大店の存続の意味を問う短編。

 <第10話 竹柱の先>
 近江国大津で寺子屋を開いていた北国浪人芦生泰蔵は眼を病んだため、江戸の蘭学医の治療を受けるべく、息子の彦四郎と江戸を目指す旅に出た。泰蔵にはもう一つ目的があった。それは妻の松乃が遠縁を頼り、奉公の20両の支度金を夫に渡し、江戸に奉公に出ていたのだ。妻の松乃からの便りが途絶えたために、江戸に出て松乃を探したいという。
 伊勢国・石薬師宿にほど近い、鈴鹿川沿いの脇街道で芦生父子は悲鳴を聞く。雲助二人が武家の娘と老爺に狼藉を働いていた。彦四郎が助けに入る。娘は江戸小石川の旗本の娘で蕗緒と名乗った。伊勢の宮宿で高熱を出し寝ついてしまったという。回復した後、御台所の代理として京に向かっている御中﨟一行に追いつこうとしていると打ち明ける。
 芦生父子は、後戻りになるが蕗緒と老爺を関宿まで送っていくことにする。その途次、蕗緒は芦生父子に打ち解けて、旦那さまと呼び尊敬する御中﨟のことを話し始める。その話から、芦生父子は思わぬ推測を心に抱き動揺する。
 関宿に着くと、竹柱の先に宿札が掲げてあった。蕗緒は旦那さま一行に追いつくことができたと大喜び。泰蔵は宿札の名を読めと彦四郎に言うが・・・・・。
 蕗緒が無邪気に尊敬する旦那さまの事を語る内容から、芦生父子が各々で同じ結論に至る推測をし、己の内心に葛藤を生み出していくというプロセスとその結果が読ませどころとなる。蕗緒の話から芦生父子の思いは全く別次元にシフトして行く。
 アンビバレンスな心理描写が読ませどころとなっている。

 <第11話 二寸の傷>
 草津宿から一里も離れた目川村の観音堂の庵主が、次の庵主に引き継ぎをする一環として、己の過去を一人語りする形である。語り手は観音堂を去り、還俗することになった。俗名妙に戻り、嫁ぐことになる。
 妙は16歳のとき、慶雲寺の和尚の導きで出家した。元は加納藩士の娘だった。
 3歳年上の姉田津が勘定吟味方、外村五郎兵衛の嫡男、右京に嫁いだ日の祝言の席に、道場で右京に無礼を受けた長尾頼母が抜き身を引っさげて闖入してきた。乱闘の中で刀が飛び、列席していた妙の顔に二寸の傷を付けたのだった。
 たった二寸・・・・その傷が妙の人生を変えた。妙は出家し、加納藩の地から17里も離れたこの地で庵主となった。それ以来、丸八年。観音堂に道中着に手甲脚絆姿の姉が不意に来訪し、京に向かわねばなりませぬと言う。田津は妙直々に外村家へ出向き、義弟の信次郎どのに書状を渡して欲しいと頼む。覚悟を決めた妙は書状を届けることを約束した。姉は京へ立って行った。
 書状を届けることが、再び妙の人生を変える契機になっていく。
 武家社会の中で育った二人の女の思いと覚悟、その人生の転変を鮮烈に描き出している。

<第12話 床の椿>
 お初の母は彼女を産み落とした直後、産後の肥立ちが悪く亡くなった。父・清兵衛は安芸屋の主で、洛中屈指の大店の炭屋だが、再婚せずにお初を育てた。お初が16歳を超えると清兵衛は婿取りの算段を始めたが、眼鏡にかなう相手がなかった。お初が19の春、父清兵衛がちょっとした風邪がもとであっけなく亡くなった。そのとき、お初は父に太吉という隠し子が居ることを知る。そのことを大番頭の市右衛でさえ知らなかった。お初はその事実を受け入れがたく、断固として己が店を継ぐ。賢明に店の切り盛りをし努力を重ね、2年が経った。
 店は繁盛している。ある日、ちょっとした事件が起こる。お初が情けをかけた。だがそれが徒となる結果に。
 一方その日、人足の忠助がお初に問う。「旦那さまはなにか、心にかかることでもおありでございますか」と。そして、忠助は己の体験から感得したことをお初に語る。
 お初は新たな決心をし、早速実行に移していく。この心境の変化プロセスの描写が読ませどころとなる。忠助の語った言葉が心に染み渡る。

 著者は二転三転する人の思いの描写が巧みである。それと、観点を変えると一転する物の見え方の描写になるほど・・・・・と引きこまれる。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
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