初代市川團十郎の歌舞伎役者人生を描くとともに、二代目團十郎が己の芸風を確立するまでを点描風に描き加えるた時代小説である。「オール讀物」の2019年2月号から2020年3・4月合併号に連載され、2020年4月に単行本として刊行された。
この小説の最後の章名が「江戸の夢びらき」。その冒頭は正徳4年(1714)11月の堺町中村座・顔見世狂言で二代目市川團十郎が『万民大福帳』の舞台を演ずる場面を描く。その場面の末尾に次の一文が記されている。「文字通り日の出の勢いを得た役者は冬至間近の長くて暗い芝居の夜を終わらせて、醒めない魘夢をみごとに開いてみせたのであった。」と。「醒めない魘夢をみごとに開いてみせた」というフレーズに「夢びらき」が由来する。二代目團十郎にとっての「魘夢」は、父・初代團十郎(以下、團十郎とのみ表記)の雛形とだけみられることからの脱却であり、己独自の芸風確立の自負を持ちまさに歩み出したというところまでを描く。
歌舞伎界において後に「荒事」と呼ばれる歌舞伎演目のジャンルを團十郎は独自に創造して行った。そのプロセスを描く一代記である。巻末に「この小説は史実に基づくフィクションです」と明記してある。初代團十郎がどのような経緯を経て江戸歌舞伎界でトップスターの座を確立したのか。史実を踏まえて著者の想像力が縦横に織り込まれ読み応えのあるストーリーとしてここに紡ぎ出されている。
江戸幕府4代将軍家綱から綱吉を経て6代将軍家宣の時代に至る当時の江戸の社会と芝居町の状況ならびにその雰囲気、またその変遷を十分に堪能させてくれる。團十郎という歌舞伎役者のおもしろさと、次はどうするのか、どうなるのか・・・・の興味から一気に読み進んでしまった。
この小説は、團十郎の妻となり、二代目團十郎の母となる惠以の視点から描かれていく。冒頭の章「風縁の輩」は、目黒の高台で直指院、場誉上人の弟子・如西が「この先われら鍾馗大臣となりて衆生の疫病を払わん」と大胆な宣言をし、掘られた四角い穴に飛び込み、生きたままたで上から土を被せられ、即身成仏の土中入定を果たすという場面描写から始まる。群集の傍で、父間宮十兵衛とともに惠以はこの土中入定を目撃する。この時、惠以は鼻筋が通って大人びた顔立ちの少年と目が合い、互いに凝視するという出会いとなる。この少年が後の團十郎である。数奇な運命と言うべきか、周りから薹がたつと言われる年齢になったころ惠以は團十郎の妻となることに・・・・・・。
土中入定の場面は、この少年・少女にとり、その後の人生においていわばトラウマとして、脳裡深くに残り影響を及ぼしていく。二人の人生の原点がここに始まると著者は描いている。
この時、少年と一緒に居たのが唐犬十右衛門で、間宮十兵衛が北条出羽守家臣の頃、関宿で雇っていた中間だった。十右衛門が十兵衛に気づき、声を掛けたのが切っ掛けで、間宮十兵衛と惠以は、堺葺屋の二丁町に転居することになる。間宮十兵衛は寺子屋を開きつつ、芝居町の衛士的役割を担っていくことになる。髭の十こと深見十右衛門という厄介な侍が引き起こす問題に対処したことが契機で、十兵衛は界隈での有名住人となり、遅蒔きの十兵衛と称されるようになる。そのこともあり、少女時代の惠以はこの芝居町での観劇環境を十分に堪能していくことになる。つまり、この時代の雰囲気が惠以の視点から描かれていく。読者は当時の芝居町の状況や雰囲気を知り、当時の役者の盛衰の様子を知ることになる。それはまた、團十郎誕生の時代背景を知る伏線でもある。
その少年は海老蔵といい、唐犬十右衛門が兄貴と呼ぶ幡谷重藏という和泉町の地子総代人の息子である。この名づけの由来に十右衛門が一役買っていた。惠以の父が開く寺子屋で学んでいた海老蔵が、長じたら父の後を継ぐのだろうと思っていた惠以の予想とは違い、12歳を過ぎたあたりで役者の修業に入ったという。
そして、延宝元年(1673)に中村座で市川段十郎と称し初舞台を踏む。『四天王稚立(おさなだち)』に怪童丸(のちの坂田金時)の役で出演した。弓矢を持った数人の狩人が怪童丸とからむ荒場の舞台になる予定が、何と独りで見物人相手に想定外の荒れる舞台にしてしまったのだ。だが、逆にその即興での所作が舞台に取り込まれ、それが見物人に受け、評判が広がるという思わぬ展開になる。團十郎の荒事の芽はその初舞台から始まっていたようだ。それまでのかぶき芝居になかった物珍しさで子方・市川段十郎の名が世間の知るところとなる。
市川段十郎が市川團十郎に名を改め、かぶき役者、江戸随市川として名声を確立していくプロセスが描き込まれていく。それは、かぶき芝居にいわゆる「荒事」というジャンルが創造されて行くプロセスでもある。読者はそのジャンルの形成・確立プロセスをつぶさに読むことで、團十郎の生き様と共に歩みつつ、團十郎を見つめる惠以の視点を介して併走者の立場になっていく・・・・・。
かぶき役者團十郎が次々に新たな発想を舞台に現実化していく。各時代において世間で評判となった演目・評判の場面を、著者は読者がビジュアルにイメージできるように描き出していく。その繋がりが江戸随市川と称される位置へと團十郎を高め、「荒事」のジャンルがかぶき芝居に確立していくことになる。その工夫がどこからどのように生み出されてきたのか、その舞台裏も書き込まれていておもしろい。
この小説を読み、遅蒔きながら私が初めて知ったことは、段十郎がかぶき芝居の作者でもあったことである。一つの芝居があたると各座から新作の注文を受けたという。
後で調べてみると、延宝8年(1680)頃から三升屋兵庫と称して戯曲を創作し始めたという。
天和4年(1684)正月、堺町の中村座での狂言名題は『門松四天王』。鳴神上人が登場する芝居である。「夫はこの役をどうしても演りたくて自ら台本まで書いたのだった」(p94)と著者は惠以に語らせている。段十郎は自作自演の方向に突き進んで行く。
この小説の興味深い点を列挙してみる。
*江戸時代当時の芝居の世界の仕組み等がイメージしやすくなる。例えば、太夫元(座元)と役者の契約関係、芝居小屋(中村座・市村座・森田座・山村座)と芝居茶屋の関係、子供屋の存在、「顔見世」興行、堺町・葺町という二丁町の風景、芝居小屋に出された禁令など。
*市川團十郎の生涯を語るプロセスの副産物として、当時の様々な役者の生き様も描き出されていくことになる。例えば、初代・二代目中村勘三郎、市村竹之丞、中村七三郎、生島新五郎、山中平九郎などである。
*天和元年(1681)秋の市川段十郎(海老蔵)と惠以の縁組みを「仕組まれた縁」として描いていること。
*市川段十郎と成田不動尊の関わりについてのエピソード。
*市川段十郎を市川團十郎に改称した理由。
*團十郎が京に上り、元禄7年(1694)正月、四条河原の村山座で興行し、江戸の風を京に持ち込んだ顛末と、團十郎が坂田藤十郎を訪ねた時のエピソード。
*團十郎の長男九藏が初舞台を踏むプロセス及び、後に次男千弥も初舞台を踏むが、兄九藏の役の真似事をしていて死ぬことになった経緯。
*元禄16年(1703)11月下旬に起きた大地震後に團十郎がとった行動とその影響の経緯
*元禄17年(1704)春、市村座の落成で、團十郎が『移徒十二段』の舞台に立つ。
この興行中、僧正坊の衣裳を脱ぎ、化粧を落として楽屋でくつろいでいる時に、團十郎は生島半六の凶刃により殺される。この殺人の背景、真因をめぐる謎。惠以の思いとして様々な推測が語られる。その経緯は実に興味深い。真因は単純なようで、実は闇が深いのか・・・・興味深い点である。
惠以の推測とそれを己の心奥に押さえこむ姿が私には一つのよみどころとなった。
*山村座に絡む「生島事件」の経緯
初代團十郎の生涯は團十郎が殺害される事で終わる。このストーリーは、九藏が二代團十郎としてその名を継承し、父・團十郎の雛形とみられる避けられない枷から己を解き放ち、新たな團十郎の芸風の確立に向かうプロセスが、エピソード風に点描されることが加えられている。それは初代團十郎の「荒事」のジャンルが一代で立ち消えにならず、如何に後世に引き継がれるかの起点になるからであろう。つまり、初代團十郎の「荒事」が、「荒事」という舞台として新たに息吹を吹き込まれて、「荒事」が再生されることにより、真似事ではない存在価値を継承していくことになるからであろう。
それが、二代目以降が担う宿命なのだろう。九藏が二代目團十郎として、己を打ち出す工夫を加え、新たに歩み出すまでがストーリーにとっての必然と言えるのかもしれない。初代團十郎の芸による「荒事」を、二代目團十郎の芸として見物人が受け入れ、評判を立ててこそ、まさに「江戸」のかぶき芝居の「夢びらき」として、着実な一歩の前進となる。荒事での隈取りという化粧法は、二代目團十郎があらたに取り入れた工夫として著者は描いている。
惠以の視点から語られ出したこのストーリーは、最後に享保15年(1730)4月の惠以の姿を描き加えることで、惠以自身の視点を語ることで終わる。
歌舞伎好きの人は、私のような一般読者以上に、演目とその描写などを通して一層おもしろみを見出す個所が満載されているかもしれない。一般読者にとっては本書が江戸の歌舞伎を楽しみつつ知るガイドブック的機能も併せ持っていると思う。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
成田屋 公式Webサイト
市川團十郎家系図
市川団十郎 :「ArtWiki」
市川團十郎 :ウィキペディア
【死因】舞台で刺殺や謎の自殺など市川團十郎にまつわる呪いと悲劇!
:「市川海老蔵ファンブログ」
市川團十郎の墓地 :「浄土宗 常照院」
市川団十郎 先祖居住の碑 :「まるごとeちば」(千葉県公式観光物産サイト」
波乱万丈、江戸の歌舞伎と芝居小屋 :「nippon.com」
vol.4 歌舞伎って持久戦? 幕間すずめ 辻和子 :「歌舞伎美人」
東都繁栄の図(市村座) :「錦絵でたのしむ江戸の名所」
東都繁栄の図(中村座) :「錦絵でたのしむ江戸の名所」
芝居町繁昌之図 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」
名所江戸百景 猿わか町よるの景 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」
大本山 成田山新勝寺 ホームページ
市川團十郎と成田山のお不動さま
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その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『芙蓉の干城 (ふようのたて)』 集英社
『奴の小万と呼ばれた女』 講談社
『家、家にあらず』 集英社
『そろそろ旅に』 講談社
この小説の最後の章名が「江戸の夢びらき」。その冒頭は正徳4年(1714)11月の堺町中村座・顔見世狂言で二代目市川團十郎が『万民大福帳』の舞台を演ずる場面を描く。その場面の末尾に次の一文が記されている。「文字通り日の出の勢いを得た役者は冬至間近の長くて暗い芝居の夜を終わらせて、醒めない魘夢をみごとに開いてみせたのであった。」と。「醒めない魘夢をみごとに開いてみせた」というフレーズに「夢びらき」が由来する。二代目團十郎にとっての「魘夢」は、父・初代團十郎(以下、團十郎とのみ表記)の雛形とだけみられることからの脱却であり、己独自の芸風確立の自負を持ちまさに歩み出したというところまでを描く。
歌舞伎界において後に「荒事」と呼ばれる歌舞伎演目のジャンルを團十郎は独自に創造して行った。そのプロセスを描く一代記である。巻末に「この小説は史実に基づくフィクションです」と明記してある。初代團十郎がどのような経緯を経て江戸歌舞伎界でトップスターの座を確立したのか。史実を踏まえて著者の想像力が縦横に織り込まれ読み応えのあるストーリーとしてここに紡ぎ出されている。
江戸幕府4代将軍家綱から綱吉を経て6代将軍家宣の時代に至る当時の江戸の社会と芝居町の状況ならびにその雰囲気、またその変遷を十分に堪能させてくれる。團十郎という歌舞伎役者のおもしろさと、次はどうするのか、どうなるのか・・・・の興味から一気に読み進んでしまった。
この小説は、團十郎の妻となり、二代目團十郎の母となる惠以の視点から描かれていく。冒頭の章「風縁の輩」は、目黒の高台で直指院、場誉上人の弟子・如西が「この先われら鍾馗大臣となりて衆生の疫病を払わん」と大胆な宣言をし、掘られた四角い穴に飛び込み、生きたままたで上から土を被せられ、即身成仏の土中入定を果たすという場面描写から始まる。群集の傍で、父間宮十兵衛とともに惠以はこの土中入定を目撃する。この時、惠以は鼻筋が通って大人びた顔立ちの少年と目が合い、互いに凝視するという出会いとなる。この少年が後の團十郎である。数奇な運命と言うべきか、周りから薹がたつと言われる年齢になったころ惠以は團十郎の妻となることに・・・・・・。
土中入定の場面は、この少年・少女にとり、その後の人生においていわばトラウマとして、脳裡深くに残り影響を及ぼしていく。二人の人生の原点がここに始まると著者は描いている。
この時、少年と一緒に居たのが唐犬十右衛門で、間宮十兵衛が北条出羽守家臣の頃、関宿で雇っていた中間だった。十右衛門が十兵衛に気づき、声を掛けたのが切っ掛けで、間宮十兵衛と惠以は、堺葺屋の二丁町に転居することになる。間宮十兵衛は寺子屋を開きつつ、芝居町の衛士的役割を担っていくことになる。髭の十こと深見十右衛門という厄介な侍が引き起こす問題に対処したことが契機で、十兵衛は界隈での有名住人となり、遅蒔きの十兵衛と称されるようになる。そのこともあり、少女時代の惠以はこの芝居町での観劇環境を十分に堪能していくことになる。つまり、この時代の雰囲気が惠以の視点から描かれていく。読者は当時の芝居町の状況や雰囲気を知り、当時の役者の盛衰の様子を知ることになる。それはまた、團十郎誕生の時代背景を知る伏線でもある。
その少年は海老蔵といい、唐犬十右衛門が兄貴と呼ぶ幡谷重藏という和泉町の地子総代人の息子である。この名づけの由来に十右衛門が一役買っていた。惠以の父が開く寺子屋で学んでいた海老蔵が、長じたら父の後を継ぐのだろうと思っていた惠以の予想とは違い、12歳を過ぎたあたりで役者の修業に入ったという。
そして、延宝元年(1673)に中村座で市川段十郎と称し初舞台を踏む。『四天王稚立(おさなだち)』に怪童丸(のちの坂田金時)の役で出演した。弓矢を持った数人の狩人が怪童丸とからむ荒場の舞台になる予定が、何と独りで見物人相手に想定外の荒れる舞台にしてしまったのだ。だが、逆にその即興での所作が舞台に取り込まれ、それが見物人に受け、評判が広がるという思わぬ展開になる。團十郎の荒事の芽はその初舞台から始まっていたようだ。それまでのかぶき芝居になかった物珍しさで子方・市川段十郎の名が世間の知るところとなる。
市川段十郎が市川團十郎に名を改め、かぶき役者、江戸随市川として名声を確立していくプロセスが描き込まれていく。それは、かぶき芝居にいわゆる「荒事」というジャンルが創造されて行くプロセスでもある。読者はそのジャンルの形成・確立プロセスをつぶさに読むことで、團十郎の生き様と共に歩みつつ、團十郎を見つめる惠以の視点を介して併走者の立場になっていく・・・・・。
かぶき役者團十郎が次々に新たな発想を舞台に現実化していく。各時代において世間で評判となった演目・評判の場面を、著者は読者がビジュアルにイメージできるように描き出していく。その繋がりが江戸随市川と称される位置へと團十郎を高め、「荒事」のジャンルがかぶき芝居に確立していくことになる。その工夫がどこからどのように生み出されてきたのか、その舞台裏も書き込まれていておもしろい。
この小説を読み、遅蒔きながら私が初めて知ったことは、段十郎がかぶき芝居の作者でもあったことである。一つの芝居があたると各座から新作の注文を受けたという。
後で調べてみると、延宝8年(1680)頃から三升屋兵庫と称して戯曲を創作し始めたという。
天和4年(1684)正月、堺町の中村座での狂言名題は『門松四天王』。鳴神上人が登場する芝居である。「夫はこの役をどうしても演りたくて自ら台本まで書いたのだった」(p94)と著者は惠以に語らせている。段十郎は自作自演の方向に突き進んで行く。
この小説の興味深い点を列挙してみる。
*江戸時代当時の芝居の世界の仕組み等がイメージしやすくなる。例えば、太夫元(座元)と役者の契約関係、芝居小屋(中村座・市村座・森田座・山村座)と芝居茶屋の関係、子供屋の存在、「顔見世」興行、堺町・葺町という二丁町の風景、芝居小屋に出された禁令など。
*市川團十郎の生涯を語るプロセスの副産物として、当時の様々な役者の生き様も描き出されていくことになる。例えば、初代・二代目中村勘三郎、市村竹之丞、中村七三郎、生島新五郎、山中平九郎などである。
*天和元年(1681)秋の市川段十郎(海老蔵)と惠以の縁組みを「仕組まれた縁」として描いていること。
*市川段十郎と成田不動尊の関わりについてのエピソード。
*市川段十郎を市川團十郎に改称した理由。
*團十郎が京に上り、元禄7年(1694)正月、四条河原の村山座で興行し、江戸の風を京に持ち込んだ顛末と、團十郎が坂田藤十郎を訪ねた時のエピソード。
*團十郎の長男九藏が初舞台を踏むプロセス及び、後に次男千弥も初舞台を踏むが、兄九藏の役の真似事をしていて死ぬことになった経緯。
*元禄16年(1703)11月下旬に起きた大地震後に團十郎がとった行動とその影響の経緯
*元禄17年(1704)春、市村座の落成で、團十郎が『移徒十二段』の舞台に立つ。
この興行中、僧正坊の衣裳を脱ぎ、化粧を落として楽屋でくつろいでいる時に、團十郎は生島半六の凶刃により殺される。この殺人の背景、真因をめぐる謎。惠以の思いとして様々な推測が語られる。その経緯は実に興味深い。真因は単純なようで、実は闇が深いのか・・・・興味深い点である。
惠以の推測とそれを己の心奥に押さえこむ姿が私には一つのよみどころとなった。
*山村座に絡む「生島事件」の経緯
初代團十郎の生涯は團十郎が殺害される事で終わる。このストーリーは、九藏が二代團十郎としてその名を継承し、父・團十郎の雛形とみられる避けられない枷から己を解き放ち、新たな團十郎の芸風の確立に向かうプロセスが、エピソード風に点描されることが加えられている。それは初代團十郎の「荒事」のジャンルが一代で立ち消えにならず、如何に後世に引き継がれるかの起点になるからであろう。つまり、初代團十郎の「荒事」が、「荒事」という舞台として新たに息吹を吹き込まれて、「荒事」が再生されることにより、真似事ではない存在価値を継承していくことになるからであろう。
それが、二代目以降が担う宿命なのだろう。九藏が二代目團十郎として、己を打ち出す工夫を加え、新たに歩み出すまでがストーリーにとっての必然と言えるのかもしれない。初代團十郎の芸による「荒事」を、二代目團十郎の芸として見物人が受け入れ、評判を立ててこそ、まさに「江戸」のかぶき芝居の「夢びらき」として、着実な一歩の前進となる。荒事での隈取りという化粧法は、二代目團十郎があらたに取り入れた工夫として著者は描いている。
惠以の視点から語られ出したこのストーリーは、最後に享保15年(1730)4月の惠以の姿を描き加えることで、惠以自身の視点を語ることで終わる。
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大本山 成田山新勝寺 ホームページ
市川團十郎と成田山のお不動さま
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その点、ご寛恕ください。)
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