遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『もののふの国』  天野純希  中央公論新社

2020-08-11 22:10:52 | レビュー
 2019年「螺旋プロジェクト」の一環となる作品である。日本において「もののふ」(武士)が政権を争った時代における「海族」と「山族」との対立を描いて行く。平将門の乱発生の時点から西南戦争の終結までという長い時間軸において、エポック・メーキングな局面を綴るというおもしろい構想で武士の間における政権交代の変遷をとらえていく。
 つまり、このロングランな時間軸が4つのフェーズに区分され、それぞれの時代で海族と山族のダイナミックな対立が繰り返されながら時代が画されて行ったとする。それは「源平の巻」「南北朝の巻」「戦国の巻」「幕末維新の巻」という区分で捉えられている。 その区分の中でその時代を画する代表的な局面と事象が抽出され、そこに海族と山族の対立が現出し壮大な時代のうねりとなっていく。それぞれの局面が一つの独立した短編小説として完結しながら連鎖して大きな時代のうねりを形成していく。玉に紐が通り玉が連ねられて数珠となるごとく、短編がリンクし累積することでもののふたちが相争った時代が展開し、新たな時代に転換して行く。
 歴史・時代小説好きの読者なら、個々の代表的な戦の局面についてはなにがしかの知識があり、その概要を個別にご存知だろうと思う。それらが長い時間軸の中で重要な局面、事象としてハイライトを浴びる一コマとして扱われながら、連綿と続く対立・抗争並びに政権の交代として描かれて行くところに、この小説の特徴がある。

 そこで個々の代表的な戦の局面の具体的な内容には踏み込まないで、この小説のストーリーの骨格をご紹介して行こう。
 海族は蒼い目を持つ人々であり、山族は黒い目と大きな耳を持つ人々という特徴を持つ。さらにそのマージナルな境界には、片方の耳が大きくそして片目が蒼くもう一つの目が黒いという特徴を持つ人が存在する。その人は両族の存在を知りつつ、いずれにも属さずその境界で独自の役割を果たしていく。以降この境界人をXと略記する。この三様の類型がこの小説にも引き継がれていく。

<序>
 山中の洞窟内に胡座を掻き、詰め襟の軍服を着用する男の描写で始まる。その場面は”武士(もののふ)”と呼ばれる者たちの時代の終焉に連環している。

<源平の巻>
 「一 黎明の大地」
 平将門の乱の終焉場面が描写される。だがそれは「もののふの国」の始まり。将門は瞳が蒼い。桔梗という歩き巫女がXとして登場している。

 「二 担いし者」
 源頼朝の挙兵。頼朝は黒い目を持つ山族。それに対し平家は蒼い目をもつ海族という図式になる。両者の対立・抗争が展開される。頼朝は人の目を意識しすぎる傾向を持ち、生来の臆病者として描かれていく。その頼朝が義経を掌中の道具として使う。
 頼朝に挙兵を促すために僧侶文覚が現れる。文覚はXだった。山族の選ばれし者としての頼朝の背中を押し、平家打倒を煽るために立ち現れたのだ。

 「三 相克の水面」
 生き残り、平家の落ち武者集落を築いていた平教経が、讃岐国屋島での源義経との最後の海戦を回顧する。
 源平の巻は、海族が滅び、山族が政権を取る物語である。

<南北朝の巻>
 「四 中興の秋」
 後醍醐帝の”建武の中興”を確立させる背景の経緯が描かれる。楠木正成らによる千早城での戦い。新田義貞の鎌倉幕府倒幕の挙兵。足利高氏が挙兵し後醍醐帝側に付くことが決め手となる。高氏の前に世の情勢を語る者として佐々木導誉が現れる。高氏は源氏の流れを汲む足利家の当主。佐々木道誉はXとしての立場。鎌倉幕府は源氏三代で絶えた後に執権という形で北条氏が頂点に立ってきた。政権の交代が起こる。

 「五 擾乱に舞う」
 鎌倉を奪回した足利尊氏に向けられた朝廷の足利討伐軍を尊氏は破る。そして入京、だが九州への敗走を経て、再び入京という戦のプロセス展開となっていく。尊氏が「建武の式目」を制定するまでの経緯が描かれる。このプロセスで、再び佐々木導誉(X)が顔を出す。

 「六 浄土に咲く花」
 足利義満の治政と明徳の乱の時代を描く。義満が能に傾倒した様相がクローズアップされる。世阿弥がXだった。
 著者は義満の死が毒を盛られたことに起因するという風に描き出して行く。

<戦国の巻>
 「七 天の渦、地の光」
 明智光秀が本能寺の変に至る経緯を描く。信長の目はかすかに蒼みがかっているとする。つまり海族である。光秀は信長の蒼い瞳を目にすると、胸の奥底がざわつき苛立つ。光秀は山族なのだ。
 冒頭は、三十代の始め頃に光秀が山深い村で不可思議な老婆に出会うことから始まる。光秀は、貝殻ほどの大きさで渦巻きのような、あるいは蝸牛のような模様が彫り込まれ明智家に代々伝わる首飾りを首から下げていた。老婆はそれを肌身離さず身につけておけと光秀に言った。
 戦に敗れた後、首飾りの威力により光秀の魂が新たな肉体に宿り転生していく。それが南光坊天海だと著者は締めくくる。

 「八 最後の勝利者」
 天正14年10月27日、大坂城本丸謁見の間で、豊臣秀吉を新しい主君として一旦受け入れる形を取った家康の思いから始まる。関ヶ原合戦を経て、江戸に幕府を開き、家康が死ぬまでを描く。秀吉は信長と同じ、蒼みがかった双眸を持つ者として描かれる。
 家康は上杉討伐軍を率いて江戸から出陣する前に、目通りを求めてきた天海に会う。それがその後の家康と天海の密接な関わりの始まりとなる。家康は天海の左右の瞳の色が違うことに目を引かれる。天海はXだったと著者は描く。

<幕末維新の巻>
 「九 蒼き瞳の亡者」
 大塩平八郎の乱を描く。平八郎は蒼い瞳を持つ者として描かれる。山族の徳川家に対して平八郎は海族という関係になる。
 乱が潰えたとき、平八郎の潜伏生活を支援するのは染め物業を営む美吉屋五郎兵衛である。この五郎兵衛がXだった。

 「十 回天は遠く」
 病の床に伏す沖田総司が手すさびに蝸牛様の首飾りを彫る。見舞いにやってきた土方歳三にその首飾りを預ける。総司は土方に、この形の首飾りは持ち主を一度だけ死から守ってくれるそうですと、古くからの言い伝えを語る。
 元治元年7月の禁門の変から鳥羽伏見の戦いに至る期間の土方歳三の行動と、土方の視点から時代が回天する様相を描く。その間に土方は西郷吉之助(=隆盛)や坂本龍馬との面識を得る機会に導かれていく。つまり、西郷や龍馬の一面もまた併せて描き込まれ、時代の動きとしては大政奉還の経緯、龍馬の船中八策が登場することに。
 西郷は蒼い目を持つ者として描かれる。近江屋で龍馬は襲われる。その直後に土方は臨終間際の龍馬に立ち合う。著者は龍馬がXとして活躍したが、「坂本の体から、わずかに残された力が抜けていく。それに合わせるように、片方の目の色が蒼から黒へ、ゆっくり変わっていった」(p363)と土方が目撃した事象を描き込む。
 
 「十一 渦は途切れず」
 元号が明治と改められた後に続く2つの大きな戦いを描く。
 一つは蝦夷地の五稜郭での戦い。新天地に渡った土方の視点から政府軍との最後の戦いを描く。この戦いで戊辰戦争は幕を閉じる。
 もう一つは、政府での要職を辞して鹿児島に戻った西郷隆盛を描く。なぜ西郷が政府から離れたのかが語られる。鹿児島に戻った西郷は、私学校を開設した。政府の職を辞し薩摩に下野した者たちや鹿児島で職を失った士族たちを統制下におき、予期せぬ暴発を防ぐことを意図していたという。だが、西郷がよかれと考え実施したことが裏目に出る。それが、西郷を西南戦争に巻き込んでいくことに。
 私学校党が暴発した。急遽鹿児島に戻ろうとする西郷に、著者は未来に起こる悲惨な光景を幻視させている。それは何故なのか・・・・・。

 この国は海と山、二つの一族が代わる代わる覇権を握ってきたというモチーフが根底になったストーリーの展開である。中世から近代初期までの「もののふ」の時代がオカルト的要素を含むフィクションの形で活写されている。
 この小説もまた、「小説BOC」創刊号~10号(2016年4月~2018年7月)に連載されたものに加筆・修正され、2019年5月に単行本化されたものである。
 
 ご一読ありがとうございます。

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