遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『桜狂の譜 江戸の桜画世界』  今橋理子  青幻舍

2020-08-03 21:06:24 | レビュー
 表紙の桜画に重ねて記された「桜狂の譜」というタイトルに惹かれて、パラパラと眺めると、様々な桜花の絵が載っている。一種図録風の趣きもあり、読んでみることにした。
 表紙の桜画は、読み初めてすぐ、図2に掲載されている三熊思考筆・紫野栗山賛の掛幅「桜花図」の右上部分をクローズアップしたものとわかった。

 「あとがき」の最後に著者は本書に関連することとして次の文を綴っている。
「本書の題名『桜狂の譜』は、かつてサントリー美術館で開催された『日本博物学事始-描かれた自然-』(1987年9月)で、三熊派の桜画が展示されていた、その小さなコーナーに冠されていたものである。すでに30年以上も前のことであるが、日本美術史および博物学史上における三熊派の意義を、最も端的に言い表した美しい言葉をとして、私は今でもそれを決して忘れ得ない。」と。
 一方、「はじめに」の末尾で、次のように記している。
「桜花を愛したがゆえに、図らずも桜花とともに生涯を全うした人たちが居た--その事実に、私たちは改めて感慨を深くし、そして敬愛を込めて彼らを『桜狂のひと』と呼びたいと思う。そうした人々の心を受け継ぐ意味で、本書は『花狂の譜』と名付けられたのである」と。
 
 三熊思考(1730~1794)は江戸時代半ばに京の都に住み「桜花だけを描く」という一風変わった信念の画家だったと言う。そして、桜画はこの三熊思考に始まり、彼の妹・三熊露香、思考の弟子・広瀬花隠、露香の弟子の女性画家・織田瑟々ら、わずか4人で60年間ほど描き継がれたという。著者は彼らとその桜画を取り上げ、25年ほど前に「三熊派」と名づけて研究を続けてきたとのこと。本書はその研究を踏まえて「江戸の桜画世界」を一般読者にわかりやすく論じている。三熊派の桜画が数多く掲載されていて、親しめる画集でもある。

 本書を読み三熊思考を再認識することになった。というのは、手許にある一冊の図録を確認してみたことによる。平成10年(1998)に京都文化博物館開館10周年記念特別展として、「京の絵師は百花繚乱」という展覧会が開催された。その副題は「『平安人物志』にみる江戸時代の京都画壇」。これを久しぶりに図録を開いてみると、三熊花顛の作品が2点載っていた。上記とは別の「桜花図」と「蘭亭曲水図」である。この特別展を鑑賞したときは、百花繚乱ゆえに三熊花顛の絵をそれほど意識していなかったのだと思う。
 図録巻末の画家解説には、「桜を好み、特に桜画の名手として名高い画家である」と記されている。図録には当時の流派系図が末尾にまとめられているが、そこには出て来ない。

 三熊花顛は三熊思考のこと。花顛は思考の画号。この画号について、第1章の冒頭で「画号の秘密」と題して著者は、「顛」の字義は何かの「頂(いただき)」や「極まった」状態をいい、あるいはそこから逆説的に「倒れる」という意味も持つとし、画号「花顛」はまざに「花狂い」のことであり、「狂ったほどに桜にのめり込んだ人」という意味を表すと説明する。一方、中国の古語で「花狂」は「蜜蜂」を喩えることばとも補足する。
 思考は両方の意味でこの画号を使ったとすると、楽しくなるではないか。

 本書は二部構成になっている。この内容を簡略にご紹介する。
 第Ⅰ部「花惜しむ人-三熊派の桜画」は4章構成である。
 第1章 桜に憑かれた画家 - 三熊思考
  「画号の秘密」を説明した後、著者は江戸時代の文学史上で重視される『近世畸人伝』は伴藁蹊が著者と見做されているが、三熊思考こそがその草案者だと考察している。この畸人伝中に三熊思考自身もその一人に取り上げられていることに触れ、その具体的内容を説明し、三熊思考の人となりを描写する。
 
 第2章 追憶の「三十六花撰」 - 三熊露香
  三熊思考と対比させながら、生没年すら不明の謎につつまれた女性画家、妹の露香(?~1801頃)について説明していく。二人の桜花に対する徹底した研究ぶり、その桜画には博物学的な要素を多分に含みながらも、限りなく科学とは乖離し、<文学>の方向性を持っていたと著者は分析する。それが「三十六花撰」という志向に辿りついたと言う。三熊思考の活躍した時代には桜の品種は既に250種余りが知られていたとか。和歌の三十六歌仙になぞらえて、桜花を厳選し「三十六花撰」と洒落たのだろう。
  三熊思考は桜花図譜を『桜花帖』としてまとめていて、「桜花三十六品」の画家として知られていたという。
  一方、三熊露香は、兄思考の桜画技法の最も忠実な継承者であるにとどまらず、墨桜作品に個性的な桜画を生み出していく。思考と露香の作品を対比的に眺めるとなるほどと感じる。
  露香は兄・思考の三回忌に因んで、独自に折本形式の『桜の譜』を制作した。その桜画がすべて紹介されていて、目を楽しませてくれる。

 第3章 幻の桜宮 - 広瀬花隠
  著者は思考の唯一の弟子・広瀬花隠(1772?~1849頃)という画家の背景を説明し、松浦静山著『甲子夜話』に書き残された広瀬花隠の記述を参照しつつ、花隠が三十六花撰の神殿として、京都に、天性桜花を愛し邸の内外にあまたの桜花を植えたという桜町正二位中納言兼民部卿藤原茂範卿を敬い、桜宮造立勧進を推進した画家としての活動を論じている。
  そして、広瀬花隠筆「六々桜品」を紹介している。

 第3章と第4章の間に、コラム「普賢象の夢」が6ページで記されている。京都千本閻魔堂(引接寺)の境内に「普賢象」という名桜が咲く。この普賢象桜について、広瀬花隠との関わりを語り、花隠と露香の桜画が紹介されている。

 第4章 花惜しむ人 - 織田瑟々
  三熊派4人の中で唯一、織田瑟々(1779~1832)の墓所が確認されているという。瑟々が生まれた近江国で、現在の東近江市にある西蓮寺境内である。瑟々は二人目の夫と死別したのち剃髪し尼僧となり、中央画壇とは無縁に一人静かに桜画を描き続けたという。それ故余計に名が知れ渡っていない画家である。だが、織田瑟々もまた著者が「瑟々様」と呼びたいというほど独自の様式を確立した。近年京都において「桜花二十品図巻」が現れたという。本書に掲載されている。著者は「本格的な博物画としての桜花図譜と評価できる」作品と言う。文政11年(1828)と制作年が明記されている。それ以前に「桜花五種図」「桜品十三種図」が描かれていて、これらも掲載されている。博物画家としての力量を伝えていると著者は評している。瑟々の作品もまた見応えがある。
  瑟々は作品への署名の下につねに白文方印「惜花人」を捺した。花惜しむ人をもう一つの雅号とした。そして、三熊派の桜画を描く最後の残照となる。
 
 第Ⅱ部は「花を訪う人-松平定信の花園」で3章構成になっている。
 「第5章 造園狂の春 -松平定信『浴恩園』」「第6章 定信の五つの庭園と『庭の思想』」「第7章 桜花図譜『花のかがみ』-桃源郷の博物学」である。
 松平定信(1758~1829)と言えば、田沼時代の後に老中に就任し、「寛政の改革」を断行し、厳しい倹約令による財政緊縮政策を推進した中心人物という側面を学校教育の日本史で習っただけである。その政治家としてのイメージしかなかった。だが、将軍補佐・老中職を依願により辞した後は、白河藩という一大名として、藩政の建て直しの一方で、文化的活動に力を注いだ文化人という側面を行動で示したということを本書で学んだ。
 第5章で著者は浴恩園を語る。現在の築地あたりに、白河藩下屋敷があったという。松平定信はそこに江戸随一の名園・浴恩園を造園した。星野文良筆「浴恩園真景図巻」が残され、桜が咲き誇る「葉山の関から花の下道への景」の図が紹介されている。「千秋館の景」図にも桜が咲き誇る景色が描き込まれている。
 第6章では、浴恩園を筆頭に定信は5つの庭園を次々に造園して行った経緯と、定信が庭に抱く理念と思想を語っている。
 第7章がその極みを示している。松平定信が基本種として選び抜いた125種類の桜を桜花図譜として制作している。星野文良筆「花のかがみ」(花鑑)である。花は星野文良が描き、花銘を定信自身が揮毫している。全ての花を一定の視点で捉えて描くというスタイルである。例えば、花の正面と裏側、蕾や花茎の様子など。つまり、博物学的桜画が克明に描かれている。著者は、「桜花を知るための基本的な種類をまとめた図鑑」と説明している。奥書は松平定信の自筆であり、この個所もまた掲載されている。
 定信もまた桜狂の系譜の一人だったようである。

本書は2019年3月に刊行された。
 本書にまとめられた桜画が一堂に集められた特別展が実現したらすばらしい桜花づくしになるのではないか。展覧会から図録という流れではなく、本から展覧会という逆パターンもありではないか。そんな思いが湧いてきた。

 ご一読ありがとうございます。