遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ウナノハテノガタ』  大森兄弟  中央公論新社

2020-08-10 23:54:09 | レビュー
 2019年の「螺旋プロジェクト」一環作品ということで読んでみた。その切っ掛けは、澤田瞳子著『月人壮士』を読んだことによる。この『月人壮士』の読後印象記は既にご紹介しているが、これが「螺旋プロジェクト」の一作品だったことから、この螺旋プロジェクトがどういう流れになっているかに興味を抱いたことによる。

 本作品はこの螺旋プロジェクトでの時代設定としては、その始まり「原始」の時代である。作品としては一種のファンタジー世界としての海族と山族の対立の創造といえる。
 長老に率いられるイソベリたちと長老に率いられるヤマノベたちという二族が居る。イソベリたちが「海族」、ヤナノベたちが「山族」という設定である。
 この小説のおもしろいのは、全体が9章で構成されるが、その章名がイソベリとヤマノベのいずれかに属する人名あるいは動物名で設定されていることである。ザイガイ、ハウテビラ、レフタイ、ウェレカセリ、ブチイヌ、ウナクジラ、テイボズ、ヤキマ・ジン・アマビエ、ヤキノという具合。この章名を見ただけでは、このストーリーがどのような展開になるのか、まったくわからない。なんじゃコレ!という感じ。

 読み進めて行くと、この原始の時代における二族の地理的関係となぜ二族が関わり合い、対立する結果になるかの契機がイメージできるようになる。
 イクサを逃れるために蒼い目をしたイソベリたちの先祖が孤立したある静かで穏やかな海岸の浜辺にたどり着き、そこで一族共同体の集落を築いて行く。イソベリたちには死という意識はない。シャコガイの面をかぶるハイタイステルベと称されるいわば呪術師がイソベリ浜からサヤ舟に乗せ、ウナ(=海)に漕ぎ出してある小島にいわば死期間近のイソベリ、死んだイソベリを残置に行く。残置された者はその小島でイソベリ魚になると信じられている。真実を知るのはハイタイステルベだけなのだ。普通のイソベリたちにとり、その小島はアンタッチャブルな禁忌の島である。
 イソベリ浜から内陸に入っていくと石の原が草の原、茂みとなりアマクモの森となる。アマクモの森の最奥はオオクチ壁という高い崖で行き止まる。
 このオオクチ壁の上の地域に、ヤマノベたちが住んでいる。このオオクチ壁が障壁となり、この二族は互いにその存在を知らずそれぞれが孤立してきた。ヤマノベたちは黒い目をしていた。
 アマクモの森の最奥、オオクチ壁の足元には開いた洞、岩屋がある。ここには、ウェレカセリが一人きりで暮らしている。ウェレカセリはふらりとイソベリの集落にやってくることがある。だが、ウェレカセリと口をきくことができるイソベリはハイタイステルベだけなのだ。ウェレカセリの目は、片目がウナの色、もう片方は影の色。つまり、蒼い目と黒い目を持つ。ヤマノベたちとイソベリたち二族の境界にいるマージナルな存在といえる。彼はなぜか両族の言語を理解する唯一の存在。そのため、両族の間での通訳的役割を担う立場になるとともに、かれはイソベリとヤマノベが接触することは危険と理解している。
 蒼い目の人々、黒い目の人々、片方が蒼くもう一方が黒い目を持つ人というこの類型化がこの螺旋プロジェクトの作品群で共通の基本構造になっている。この構造が様々な時代で、様々に形を変えながら続いていくことになる。

 このストーリーは、ヤマノベたちの長老レフタイにより生贄に指名されたマダラコが手首と足首を打ち砕かれて火あぶりにされるというしきたりに抵抗して、地震が発生したのを契機に逃亡する場面から始まる。彼女は身籠もっていた。
 一方、この地震の際に、オオクチ壁の岩が落ちて来て、イソベリのザイガイが頭を直撃され、頭蓋が陥没する。ザイガイはオトガイ、通称オトの母である。オトの父はカリガイ。仮面を付けるとハイタイステルベになる。オトは父に同行を指示され、母ザイガイを小島に残置するために行き、小島の秘密を知る。ハイタイステルベとしての父からオトは小島のことはダンマリだ、口外すれば殺すと告げられる。この時点からオトは次代のハイタイステルベへの道を歩み出す。
 逃亡したマダラコはイソベリの地に入り込み、見つけられることになる。言葉が通じないことから、カリガリはウェレカセリに協力を頼む、イソベリの一人、ヤキマは好奇心が強く、マダラコとのコミュニケーションに努力する。そして、マダラコとヤキマは言葉を学び合い意思疎通ができるようになっていく。
 このストーリーでは、オト、マダラコ、ヤキマ、カリガイが主な登場人物となっていく。そこにウェレカセリの果たす役割が加わっていく。ウェレカセリは不思議な存在となっている。

 一方、ヤマノベの集落も地震により壊滅し、オオクチ壁の崩落が原因で一族は壁の下に転落する。それがイソベリとの接触の始まりとなる。被災し負傷したヤマノベたちを、最初はイソベリたちが助けることになる。だが、その先には徐々に対立の要因が積み重なっていく。一つは、イソベリたちの中に留まるマダラコのこと。二つ目は食糧源の問題である。三つ目はヤマノベの長老レフタイの死。ヤマノベたちはレフタイの遺体を火葬にする慣習だが、イソベリたちにはそんな慣習は理解できない。強引に火葬を中断させイソベリたちの流儀を貫く。さらに、頻発する地震の影響で発生した津波が、巨大なウナクジラを浜辺に打ち上げるという事象が発生する。ウナクジラに対する見方、取扱いがイソベリとヤマノベでは全く違う。つまり、両族の文化の違いが対立を深化させる方向へと進展していく。
 マダラコはイソベリたちに、ヤマノベたちとの戦いのための武器として弓矢と竹槍の作り方と使い方を教えるということに・・・・・。原点はマダラコが己の命を守るという決意にある。
 このストーリー、ある意味で異文化接触とその対立プロセスがテーマとなっている。さらに、ウェレカセリが突き動かされるようにして岩屋の壁面に刻み込んだ壁画が、イソベリたちの過去・現在と近未来を予言するような内容であることを、オトとマダラコが解読していくことになる。オトはイソベリたちの集落のある浜に、大きな津波が来襲する予言的場面が刻まれていることを発見する。それを発見したオトが行動に出る。
 このストーリーは最後に予想外の展開となり終わる。

 なかなかおもしろいファンタジー小説である。おとぎ話的でもある。一つの集団が自然風土の中で歳月を経て生み出す文化、そこに生まれる慣習、異文化が接触する時に発生する事象と行動プロセスの有り様などを海族と山族の接触、対立プロセスとしてバーチャルに描き出しているとも受け取れる。さらに、人間同士の対立が大自然の中で、人間対自然の対立として捉えた時の人間の限界にすら触れていると思う。
 読み進めると、このファンタジーのおもしろさがわかってくると言えよう。

 螺旋プロジェクトのことを知らずに、本書のタイトルを見ただけなら、たぶん手に取ることもなくそのままスルーしていたことだろうと思う。
 この小説もまた、「小説BOC」創刊号~10号(2016年4月~2018年7月)に連載されたものに加筆・修正して、2019年7月に単行本化されたものである。
 この小説の奥書で初めて知ったのだが、著者は兄と弟の兄弟ユニット作家として2009年に『犬はいつも足元にいて』で異色なデビューをし、文藝賞を受賞。同作で芥川賞候補にもなっていたという。

 ご一読ありがとうございます。

「螺旋」プロジェクトに関連する次の小説の読後印象をまとめています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社
『蒼色の大地』  薬丸 岳   中央公論新社
『コイコワレ』  乾ルカ    中央公論新社