遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書

2020-07-13 17:54:37 | レビュー
 「はじめに」に、「ほぼ五百年前に日本で成立し、現在まで受け継がれている日本独自の茶文化である茶の湯の歴史について述べる」(p5)という目的で本書が書かれたと明記されている。著者自身が記すように、本書にはいくつかの特徴(視点)がある。
*茶の湯の中だけの歴史にこだわらず、日本文化の中での茶の湯の位置づけを扱う。
*9世紀から現在までの日本の社会において、茶文化がどのように受容されたかを扱う。
*それぞれの時代において茶文化に関わった人物を手がかりにその時代の茶文化を捉える。
 「茶人」「茶の湯」といえば千利休を即座に連想し、日本文化の通史のなかで利休とその周辺の茶人に焦点があたっていく説明か・・・・と思うなら大きな間違いになる。千利休に関して本書は、直接的には「第三章 茶の湯の大成」の中の「4 侘数寄の確立-豊臣秀吉と千利休」で、14ページと数行により秀吉と関係づけて語られるだけである。
 その続きに「宣教師の見た茶の湯 -ルイス・フロイス」がつづく。フロイスの目に映じた堺の町人(茶人)たちの茶の湯の状況が記されている。ここは8ページ弱の説明。
 同章の「6 『へうげもの』の世界-古田織部」が7ページ、「7 武家式礼としての茶の湯-小堀遠州」が8ページ、「8 『姫宗和』の実体-金森宗和」が9ページという風に、茶人たちを手がかりに千利休没後の時代の日本社会と茶文化を捉える説明がバランスよく続いている。日本文化史通史としては、千利休もまた一茶人なのだ。
 また、この第3章は、「1 点前の確立-光明院実暁」(8ページ)から説き起こされ、「2 堺の町衆と茶の湯-武野紹鴎」(6ページ)と続く。武野紹鴎-千利休という系譜は、小説を含めた利休関連書で知っていたが、光明院実暁という茶に関わる人物の存在を本書で初めて知った。抹茶を日本に請来し『喫茶養生記』を著した明庵栄西は知識にあるが、茶人等については点的知識しか持ち合わせていない。岡倉天心著『茶の本』を通して、茶の形態の変遷なども多少は学んでいたが、茶文化の流れという視点で、私の知識と理解はかなり粗いままということが良く分かった。本書で具体的な通史としての理解が深まり、知識を得たと思う。
 この章は「3 覇王の名物狩り-織田信長」(6ページ)に続く。茶の湯に目を付けた信長が「御茶湯御政道」として政略的に茶の湯を利用したことが6ページ弱で簡潔にまとめられている。たぶん信長自身も独自の茶人の感性をもっていたのだろう。
 興味深いのは、この第3章が千利休の没後、茶の湯は時代の流れに合わせて変遷したことを説明している点である。
 利休の系譜は千宗旦を経て、「宗旦の子供たちがそれぞれ祖となった三千家の茶の湯が一世を風靡するようになるのである」という時代へとめぐる。第4章では18世紀の家元制度の確立が、利休の神格化に大きな影響を及ぼしているとする。

 本書の章立て構成とそこで着目された茶に関係する人物や茶人たちを列挙しておこう。彼らの名前をキーワードにして、茶と日本文化史の側面がイメージできるだろうか。すんなりと連想していける人は、本書をスルーしてしまっても支障がないかもしれない。私はスルーできず、学ぶことが多々あった。また通史としての理解を深める上で復習になった部分もあった。

 第1章 茶の伝来  
   菅原道真、名庵栄西、叡尊慈円、金沢貞兼
 第2章 飲茶風習の広がり
   夢窓疎石、佐々木道誉、道香後家、正厳正徹、足利義政、古市澄胤
 第3章 茶の湯の大成
   光明院実暁、武野紹鴎、織田信長、豊臣秀吉と千利休、ルイス・フロイス
   古田織部、小堀遠州、金森宗和
 第4章 展開する茶の湯
   隠元隆琦、松尾芭蕉、近衛家煕、川上不白、上田秋成、松平不昧
 第5章 茶文化はどこへ行くのか
   大浦慶、高橋箒庵、柳宗悦、跡見花蹊、久松真一

 第5章で、著者は上記の茶に関わる人物や茶人を手がかりに茶文化について論じている。その論点をご紹介しておきたい。具体的な内容は本書の該当個所を読み、お考えいただくとよい。
*碾茶の生産量は1965年と2004年を比較すると「4.7倍の1490トンと飛躍的に増大している」が、茶の湯における「抹茶としての消費量は減少傾向にある。」(p212)
*「むしろ洋の東西を問わず茶を飲むそれぞれの国において新しい茶文化が形成されつつあるのではなかろうか」 (p213)
*昭和の初期に高橋箒庵と高谷宗範が「茶の湯」における遊興性と修行性について対立論争をした。この対立は江戸時代初期から見られる。この対立が「近代に入ってもなお続いていることを示すばかりか、論争を通じて茶の湯の遊興性が高らかに主張されたのはそれまでになかったことであり、その後の茶の湯に与えた影響は大きい。」(p222)
*民芸運動の提唱者・柳宗悦は、「茶の病」という表現を使い、当時の茶の湯を批判した。「『茶の湯の美』そのものについての柳の批判は、いまなお茶の湯に対して問いかけ続けているのではなかろうか。」(p229)
 「侘数寄の美意識からほど遠い物も茶道具として取り込んでいる。」「やはり本来は茶の湯の美とは異なる性格のものが混淆していると見るべきであろう。その結果、茶道具を見る人々に混乱を与え、ますます茶の湯をわかりにくいものにしているのではなかろうか。」(p229)
*「今後『遊芸は自ずから女子教育の専有』であること以外に理由が見つけられないまま、依然として女性が多数を占め続けるのであれば、茶の湯の将来は危ういといわなければなるまい。」(p238)
*茶の湯は、儀礼・社交・芸術・修行・遊興の5つの要素を内包する。久松真一の主張を、修行性を基盤にしながらも他の要素をバランスよく持たせることを意図し、論理的に説明していると理解するなら、「久松のいう『心茶』が、これからの茶の湯の進むべき一つの道を指し示しているように思われる。」(p246)
 
 著者は「終章 茶の湯と日本文化」で岡倉天心の『茶の本』に言及している。天心が英語で発表した著作であるが、「天心が意図したのは茶の湯を通じて日本の文化を紹介することであり、また同時に日本の芸術や文化がいかにすぐれたものであるかを欧米の市民に訴えかける啓蒙書でもあった」と記している。
 この記述に対比するなら、本書もまた日本文化全般が茶の湯と如何に密接な関係を持ちながら変遷してきたかをまず日本人が再認識するための啓蒙書と言える。

 茶の湯とは何かを知ろうとすることは、日本文化の様々な領域・側面を知ることにつながるという点を著者は重視している。その広がりが多方面に及ぶこと、すなわち能・花・香などの伝統芸能が日本文化の一面を内包することとの大きな違いを強調している。
 茶の湯の点前はパフォーマンスアートであるが、茶室は日本建築に、茶道具は美術(絵画・書など)や工芸(焼き物、漆など)を内包する。花を生けることをはじめとする自然との共生感覚、日本料理(懐石・茶菓子など)、茶道具や茶菓子に付けられた銘と古典のつながり、という文化面にもつながっていく。多方面の日本文化を内包する茶の湯の豊かさに著者は着目している。また、日本文化史の視点から読者が「茶の湯」に着目し、日本文化を深く理解していくことを期待しているとも言える。
 一方で、若者の日本文化離れは、茶の湯を含め現在の日本文化が、世代間の行き違いを引き起こしていることによると問題提起している。現在の茶の湯に対する問題提起でもある。巻末の「日本文化離れ」「豊かな日本文化のために」の個所をお読みいただくと良い。
 
 茶文化の変遷とその広がりを概観するのに新書で250ページほどというのは手頃なボリュームである。身近に置き参照するのに便利な啓蒙書の一冊と言える。2007年2月に出版されている。

 ご一読ありがとうございます。

これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 小説 ===
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社
=== エッセイなど ===
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版