遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『変幻』 今野 敏  講談社

2017-11-30 10:21:59 | レビュー
 警視庁捜査一課殺人犯捜査第5係に所属する宇田川亮太巡査部長と宇田川がいつも組んで捜査をする20歳近く年上の植松義彦警部補がこのストーリーの中心となる。そこに宇田川が初任科で同期だった大石陽子が事件に絡んでくる。さらにもう一人、同期の蘇我が絡んでくることになる。この二人は、宇田川からみると特殊な立場にいる。宇田川が警察官としての力量においていささか劣等感を感じる存在でもある。
 大石陽子は、刑事部捜査一課特殊捜査係に異動した。SITとして知られるようになった部署である。植松は大石が特殊班の訓練で注目されているらしいという情報をつかんでいた。一方の蘇我は公安に所属していたのだが懲戒免職となった。だが、それは形式上の擬装であり、公安の特命を受けて戦友捜査に関わる事案を手掛けているのだろうと、宇田川は理解している。宇田川にすれば、有能な同期が特殊な領域で活躍していることに忸怩たる思いすら抱きつつ、一方同期の絆で結ばれている。
 ストーリーは、その大石から宇田川にしばらく会えないから飲みに行こうという連絡が入るという所から始まって行く。二人でのデートかと宇田川が想像したのだが、金曜日の夜、赤坂のスペイン料理レストランの席には土岐達朗も来ていて、植松も呼ばれていたのだ。そのレストランは蘇我がひいきにしている店でもあった。大石は出向することになったと彼らに告げる。特殊任務につくことを暗に示した。土岐はお嬢に何かあれば、宇田川が助けに行くのだ、そして土岐と植田も助けに行くと語る。激励の言葉に留まらないで、それに近い状況が発生していくことになる。
 
 翌週、月曜日の夕刻、遺体発見の無線が流れる。殺しの現場は港区港南5丁目。刃物で刺されてまだ息があるうちに運河に投げ込まれたと検視官は言う。第一発見者は艀の作業員だった。5丁目だけは臨海署の管轄であり、臨海署に捜査本部が置かれる。著者の作品群では、臨海署シリーズがある。そこに出てくる強行犯第二係の相楽が、所轄署の刑事として今回この殺人事件の捜査を担当する形で関わってくるから、ある意味で楽しい展開を最初から期待する側面もある。あの相楽の事件解決に向けた競争心の強さと捜査方法がどうストーリー展開に影響を与えて行くか、という楽しみである。
 捜査本部は田端課長が実質的に仕切り、30人態勢でスタートしていく。

 現場近くの食品加工工場の警備員が午前5時頃に大きな水音を聞いたこととその直後に警備員の目の前を通り過ぎた車を目撃したという情報が入手される。Nシステムのチェックと聞き込み捜査から、犯行に関わったと思われる車が特定されていく。
 車の所有者名と住所が判明する。所有者は堂島満。堂島は『麻布台商事』という会社の役員で、ここは薬品を主に扱う中小の専門商社であり、倒産の危機があったが海外資本の注入で何とか生き延びた会社だと分かる。宇田川が組んだ臨海署の荒川刑事の意見で麻布署に行き、尋ねたところ、この麻布台商事が伊知原組のフロント企業だということがわかる。一方、堂島の部屋をガサ入れした結果は、犯行につながる物証は何も出てこなかった。
 捜査の進展とともに、被害者の身元が判明する。堂島は伊知原組の兵藤孝に車を貸したという事実を認める。そして、車を取りに来たのが女性だったと言う。
 Nシステムの分析と様々な情報の組み合わせから、遺体発見現場の近くの倉庫が刺された現場の可能性として浮上してくる。その倉庫の外の近くに港南町会が設置した防犯カメラがあった。そこには、上書きされる形でハードディスクに一定時間蓄積される映像があるという。入手されたその映像を見た宇田川は驚く。そこには宇田川だからこそ一瞬で気づいた大石と思われる女の姿が写っていたのだ。
 そんな矢先に蘇我が宇田川に赤坂の例のスペインレストランで会いたいと連絡してくる。蘇我は宇田川に「大石の救済措置が機能しないらしい」と告げるのだった。

 この小説のタイトル「変幻」というフレーズはストーリーのなかでは言葉としては出て来なかったと思う。手許の辞書を引くと「現れたり消えたり、変化の速いこと」とある。「変幻自在」という言葉の使い方もある。このストーリーの展開で状況がまさに変幻していくというところからネーミングされたのだろうと思う。いくつか変幻の状態を挙げておこう。

1. 殺人事件は目撃証言からスムーズに自動車の割り出しやフロント企業、暴力団絡みということが分かるが、犯人像が現れたり消えたりする展開となる。早くも別の関連殺人事件が発生していた。捜査の筋読みが外れ、混迷する。

2. 殺人事件の捜査が始まったことから、麻布台商事にはそれ以前から別の事案の対象となり、潜入捜査にまで進展している状況があったことが明るみに出る。別の部署が深く先行捜査をしていたのだ。捜査活動における力関係の局面が発生する。殺人事件の捜査を推進すると、先行していた別事案が頓挫しかねない可能性がでてくる。さてどうするか。

3. 大石が潜入捜査として麻布台商事に関与していたことが防犯カメラの映像と蘇我の言葉から明らかになった。SITという特殊班の大石がなぜ、外見上は懲戒免職となった蘇我と絡んでいるのか。変幻自在に現れる蘇我は別事案に対してどういう役回りを果たしているのか。

4. 殺人に使われたと思われる車の発見から判明した倉庫、そして入手できた防犯カメラの映像には、大石が記録されていた。大石は潜入捜査の中で、殺人事件に結果的に巻き込まれ関与していたのか? 大石は殺人犯を目撃し、知っているのか?

5. 宇田川が殺人犯の筋読みについて発想の転換を行う。それが現れたり消えたりした犯人を特定できることに繋がって行く。さらに、同期の絆が大石の思考や行動の仕方の筋読みを的確にできることになる。宇田川の本領が発揮されていく。
  金曜日の夜に宇田川たちの前に現れた大石が、殺人事件捜査の進展過程では一切表にでてこない。その足跡がぷっつりと消える。それが心配の種にも成る。だが、宇田川は大石の能力を信頼してもいる。宇田川の読み筋と呼応する形で、最後の最後に大石が犯人と共に登場するという展開が面白い。

6. このストーリーでは、殺人事件の遺体発見場所の関係で、臨海署の所轄となり、相楽班が捜査に加わる。相楽刑事自体は要所要所に現れるだけで、相楽班に属する荒川刑事が宇田川とペアになり捜査行動を共にする。相楽班所属の日野が植松と組む形になり、日野がいわば相楽流の捜査観を持つ刑事として前面に出る。一方の荒川は相楽とは一線を画した捜査観も兼ね備えたベテランである。このストーリーで、相楽流の捜査の影が現れたり消えたりしてくる絡ませ方もまた面白い。
 
 このストーリー展開で、蘇我の飄々たる行動描写が楽しめる。そして、宇田川、やるねえ!という展開が興味深いところである。私は荒川刑事の有り様を楽しみながら読み進めた。独自の捜査観と捜査能力や人脈を持ちつつ、脇役刑事に徹する形で力量をさり気なく発揮していく姿に好感を抱く。著者はこういう刑事の登場のさせ方がうまいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

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