『武士の家計簿』がベストセラーになった時に著者の名前を初めて知った。本書の裏表紙を読むと、それが2003年で、新潮ドキュメント賞を受賞したという。このベストセラーを私は未読である。最近、歴史物がらみのテレビ番組で著者の解説を見聞する機会が増えてきた。新書の背表紙を眺めていて、本書のタイトルに引かれて手始めに読んで見る気になった。本書のタイトルとともに、表紙に副題的に「江戸期日本の危機管理に学ぶ」という添え書きがある点も、手に取るきっかけになった。
「副題的に」と意識的に書いたのは、「江戸期日本の危機管理に学ぶ」という視点で本書全体が構成されている訳ではないからである。「江戸期日本の危機管理に学ぶ」という視点でまとめられたものが含まれていると言うほうが適切と思うからだ。また、目次は「章」という形式をとっていない。いわば、個別のテーマを設定し、江戸時代の歴史を読み解いた著者の考え方が、新書一冊のボリューム分としてまとめられたものと言える。2013年11月に出版されているので、ベストセラー本が出てからはや10年経った時点での出版である。
奥書を読むと、収録されたうちの5編が2006~2011年の「小説トリッパー」、1編が「遼」、残り1編が「1冊の本」の連載物としてそれぞれ発表されたのが初出という。
まず全体の読後印象は比較的語り口調の文章で読みやすいこと。あるテーマで講演した内容を文章に起こした記録を土台にしてリファインし雑誌媒体に発表されたのかなという印象を持った。一般読者向けに専門用語をあまり使わずに平易に記されたわかりやすい読み物になっている。
歴史の教科書は歴史事象を記述することが主体になっているから、歴史の読み解きを直接教えてはくれない。しかし、本書に取り上げられた歴史を読み解くための視点のように、実はこういう考えが広まっていて、こういう実態が背景になっているということを史料ベースで例証し、わかりやすく説明されると、当時の社会構造がわかりおもしろい。「歴史」の授業プロセスに、本書で語られたような内容が付録的にでも加えられると、歴史に興味を覚え、親しめる契機となるのではないか。そう感じた次第である。
本書では江戸時代を中心にその歴史の読み解きを通じて、現在の日本の有り様との連環を明示している。江戸時代の社会を読み解く事で、現代日本人のメンタリティや文化の根底に継承されているものを鮮やかに剔出しているといえる、
本書に収録されたテーマの読後印象を構成順にまとめて、ご紹介してみたい。
<江戸の武士生活から考える>
「江戸時代は日本人の行動パターンの原型をつくった時代です」という一文が冒頭に出てくる。これが、現代日本人の行動パターンの根っ子を知るためには、江戸時代を読み解けば大凡わかるという主張になっている。つまり、江戸時代にはぐくまれた組織文化が容易になくならないで、現在に継承されている、それが歴史の鉄則だと説く。幼少時に家庭ですりこまれる文化が連綿と後々まで影響する連鎖プロセスとなるのが人間行動の原則だからという。この論点はなるほどと思う。いわゆるDNAである。
著者は、江戸時代の集権的な武士団の構造パターンが、それまでの中世の武士団のありかたとは違うことを読み解く。濃尾平野で織田信長~豊臣秀吉~徳川家康と継承された「殿様と家来の主従関係」が江戸時代の「藩」という発明品を作り上げた。この社会構造の有り様が、そのまま現代の社会に影響している局面を、実にわかりやすく解説している。 一方で、火縄銃段階での戦闘から生き残った徳川の諸藩の武士団が、幕末にあって、長州藩の奇兵隊の「散兵」戦術になぜ敗れたかを解き明かしてくれている。ここには、時代の変化を取り入れられる組織文化かどうかという視点で、歴史を読み解いていく。江戸幕藩体制が崩落する理由が読み解かれている。
笠谷和比古氏の見解を踏まえて、稟議制という意思決定方法が江戸時代の藩組織文化の産物であるという説明はなるほどと思う。また、江戸時代に培われた君主への批判は不忠という儒教倫理の影響が、現在の組織文化でもメンタリティとして根底にあるのではないか。この説明から、組織ぐるみの不正の根っ子にこのメンタリティが影響しているように思えてくる。
<甲賀忍者の真実>
江戸時代の幕藩社会が確立し、戦争のない天下泰平時代になった中での忍者の実態を史料にもとづき例証している。甲賀忍者を初め、忍者がどのくらいの人数規模で実在したのか。彼らが担っていた実際の任務・役割が何だったか。どれほどの給与を得ていたのか、などを具体的に語っていく。松平定信時代の国学者塙保己一(はなわほきいち)による忍者の定義が紹介されていて、おもしろい。甲賀はリテラシー(識字率)が高い土地柄故に、地侍のなかから知性派の情報将校タイプの武将がたくさん排出したのだと説明する。江戸時代の甲賀者と伊賀者の待遇の違いの発生原因とその実情を説明していておもしろい。
甲賀忍術書は人間を知るための極意して「四知の伝」を記す。「望・聞・問・切」の4つだそうである。この意味についての説明を読むと今も変わらず役立つ叡智だと思う。
<江戸の治安文化>
何となく抱いていたイメージとは違う意外な事実に満ちている。認識を変える契機となる。次の論点がわかりやすく説明されていて、興味深い。
*豊臣秀吉の「刀狩り」は全国民の武装解除には成功しなかった。
*現在の日本で民間での保有許可を得た銃保有率より、江戸時代にははるかに銃が保有され、刀の保有もあった。
*日本の家庭から銃や刀が消えたのは、アメリカ軍の占領軍が行った成果が大きい。
*日本人が人命にやさしくなった、犯罪発生率の低下は将軍綱吉の時代に始まる。
*代官所や町奉行の人数は、人口3万人の一郡あたり10~15人規模。年貢徴収と代用監獄ほどの役割を担うだけ。
*犯罪対策を含め行政サービス機能は、庄屋と村の仕事になっていた。
*領主裁判になれば刑が厳しく、多くは死刑。「お上」の領主裁判を回避する文化が形成されていた。村掟と庄屋レベルでの「内済」で済ませる訴訟文化が発達した。
江戸時代を扱った小説を読む背景として本書の解説を知っておくと、同じ小説の読み方も変わるかもしれない。
<長州という熱源>
長州藩で行われていた「倒幕の儀式」(幕府追討はいかがでございますか/まだはやかろう)の虚実を取り上げている。司馬遼太郎が小説を介してその話を世に広めた部分が、歴史的にとこまで事実かを論じていておもしろい。
「防長風土注進案」という文書として、江戸時代に長州藩だけにGDPを推計できるデータが集積されていたという。長州藩の財政把握能力と、独特の御前会議方式が、幕末に倒幕へと転換する基盤になった。倒幕への体制変換をやりやすい風土があったことを論じていて興味深い。長州藩の弱み、強みが具体的にわかっておもしろい、国を想うゆえの危うさが幕末の長州藩にあったと著者は言う。その例示として、来島又兵衛の詠んだ和歌を挙げている。「議論より 実をおこなへ なまけ武士 国の大事を余所に見るばか」
<幕末薩摩の「郷中教育」に学ぶ>
江戸時代には、藩によって教育が違い、中には個性のある教育をしていた藩がいくつもあると述べた後、対極的にある藩教育として、著者は会津藩と薩摩藩を取り上げる。
会津藩は日新館という非常に優秀な藩校を持ち、藩祖・保科正之が編んだ「二程治教録」をバイブルとして教育をしたという。そして、「碁盤に目を引く」という表現がキーワードとなり、行動規範重視の教育が行われたという。優秀な能吏育成に有益だったが、規範をはずれることができない人材の育成となり、その弊害を明らかにする。
その対極が薩摩藩であり、郷中教育がどういう仕組みで、どういう人材育成を行う形になったかを論じている。薩摩藩には兵農分離がなく、外城制という社会構造だったことと関連づけて説明されていてわかりやすい。会津藩の様な藩校ではなく、各郷において、友達の家に集まり、二才話(にせはなし)をするのが一つの教育法であり、また本に依らず、西郷隆盛が言ったという言葉「お互いの肚を出せ。そうせんと本当の学問ではない」という考え方の教育が為されていたという。学問を実地に試す薩摩の郷中教育が、「詮議」を生み出したと著者は説明する。まさに対極的な教育方式が同時存在していたようである。併せて、薩摩藩では「俸禄知行」の売買が認められていたというのを初めて知った。薩摩の風土の違いを示す。
この対極的な二藩の教育を論じた上で、決まったモデルや絶対価値が見あたらないこれからの世界における教育への問題提起を著者は行っている。「『もし、こうなら』と想定して考えさせる判断力錬磨の教育が、現代においてはもっとも重要です」(p170)と結論づけている。これは現在の大半の教育実態に対する警鐘と受け止めるべきなのだろう。
<歴史に学ぶ地震と津波>
「江戸期日本の危機管理に学ぶ」ということは、このテーマで論じられた内容にウエイトがあるように私は受け止めた。著者は歴史的に特大の地震や津波がいつ発生していたか。それがどのような被害状況で事態が発生・推移したのかについて、古文書に記録された内容を読み説き、考古学的調査結果と照応させて行くと、今後の地震・津波の発生を予測する貴重な情報源となるし、大いに活用すべきだと論じている。江戸時代には、地震がおこると、「天水桶」の揺れ具合で地震の大きさを記述してあるという。「天水桶」が地震計の役割を果たしていたという。興味深い。
先人の残記録を発掘・発見し、読み説いて、現在から未来にたいする地震・津波対策への危機管理に役立てる必要性を論じている。「人命が失われるんだから、やれる対策はやろう」というスタンスを強調する。
<司馬文学を解剖する>
現在は、歴史に題材をとる歴史小説や時代小説がたくさん出ている。一般的に、「歴史小説のほうが史実に近く、時代小説のほうが、書かれている内容が荒唐無稽で娯楽性が高くなります」と位置づけたうえで、今や絶滅寸前の「史伝文学」を作り、それを未来に残す必要性、使命を提唱している。著者は、森鴎外、徳富蘇峰が史伝文学と呼べる作品を残しているという。荒唐無稽な創作を拝し、古文書などの史料に基づき、史実に即し、実在の人物を登場させ、歴史小説よりも精密に実際の歴史場面を復元してみせるものを史伝文学とする。
著者は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』などが、史伝文学に近いとされているとしたうえで、『関ヶ原』という司馬作品から一場面を取り上げて、史実と司馬遼太郎の小説における虚実を分析していく。著者は、家康が関ヶ原の合戦に赴く場面に着目して、その場面の司馬の種本を特定し、分析的論評を加えていく。家康の侍医であった板坂卜斎「慶長年中板坂卜斎覚書」という史料がそれに該当するという。この史料の記述と司馬の記述の比較分析、並びに司馬が史実を文学的香気のある立体的な表現に変換している巧みさや、追加したフィクション部分、史料の文言の解釈の違い・おかしな解釈などを具体的に対比分析していて、大変興味深い一編となっている。「司馬段階」を乗り越えた史伝文学の作家の到来を著者は提唱している。
江戸時代という歴史の読み説き方を楽しみながら学べる書といえる。
ご一読ありがとうございます。
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「副題的に」と意識的に書いたのは、「江戸期日本の危機管理に学ぶ」という視点で本書全体が構成されている訳ではないからである。「江戸期日本の危機管理に学ぶ」という視点でまとめられたものが含まれていると言うほうが適切と思うからだ。また、目次は「章」という形式をとっていない。いわば、個別のテーマを設定し、江戸時代の歴史を読み解いた著者の考え方が、新書一冊のボリューム分としてまとめられたものと言える。2013年11月に出版されているので、ベストセラー本が出てからはや10年経った時点での出版である。
奥書を読むと、収録されたうちの5編が2006~2011年の「小説トリッパー」、1編が「遼」、残り1編が「1冊の本」の連載物としてそれぞれ発表されたのが初出という。
まず全体の読後印象は比較的語り口調の文章で読みやすいこと。あるテーマで講演した内容を文章に起こした記録を土台にしてリファインし雑誌媒体に発表されたのかなという印象を持った。一般読者向けに専門用語をあまり使わずに平易に記されたわかりやすい読み物になっている。
歴史の教科書は歴史事象を記述することが主体になっているから、歴史の読み解きを直接教えてはくれない。しかし、本書に取り上げられた歴史を読み解くための視点のように、実はこういう考えが広まっていて、こういう実態が背景になっているということを史料ベースで例証し、わかりやすく説明されると、当時の社会構造がわかりおもしろい。「歴史」の授業プロセスに、本書で語られたような内容が付録的にでも加えられると、歴史に興味を覚え、親しめる契機となるのではないか。そう感じた次第である。
本書では江戸時代を中心にその歴史の読み解きを通じて、現在の日本の有り様との連環を明示している。江戸時代の社会を読み解く事で、現代日本人のメンタリティや文化の根底に継承されているものを鮮やかに剔出しているといえる、
本書に収録されたテーマの読後印象を構成順にまとめて、ご紹介してみたい。
<江戸の武士生活から考える>
「江戸時代は日本人の行動パターンの原型をつくった時代です」という一文が冒頭に出てくる。これが、現代日本人の行動パターンの根っ子を知るためには、江戸時代を読み解けば大凡わかるという主張になっている。つまり、江戸時代にはぐくまれた組織文化が容易になくならないで、現在に継承されている、それが歴史の鉄則だと説く。幼少時に家庭ですりこまれる文化が連綿と後々まで影響する連鎖プロセスとなるのが人間行動の原則だからという。この論点はなるほどと思う。いわゆるDNAである。
著者は、江戸時代の集権的な武士団の構造パターンが、それまでの中世の武士団のありかたとは違うことを読み解く。濃尾平野で織田信長~豊臣秀吉~徳川家康と継承された「殿様と家来の主従関係」が江戸時代の「藩」という発明品を作り上げた。この社会構造の有り様が、そのまま現代の社会に影響している局面を、実にわかりやすく解説している。 一方で、火縄銃段階での戦闘から生き残った徳川の諸藩の武士団が、幕末にあって、長州藩の奇兵隊の「散兵」戦術になぜ敗れたかを解き明かしてくれている。ここには、時代の変化を取り入れられる組織文化かどうかという視点で、歴史を読み解いていく。江戸幕藩体制が崩落する理由が読み解かれている。
笠谷和比古氏の見解を踏まえて、稟議制という意思決定方法が江戸時代の藩組織文化の産物であるという説明はなるほどと思う。また、江戸時代に培われた君主への批判は不忠という儒教倫理の影響が、現在の組織文化でもメンタリティとして根底にあるのではないか。この説明から、組織ぐるみの不正の根っ子にこのメンタリティが影響しているように思えてくる。
<甲賀忍者の真実>
江戸時代の幕藩社会が確立し、戦争のない天下泰平時代になった中での忍者の実態を史料にもとづき例証している。甲賀忍者を初め、忍者がどのくらいの人数規模で実在したのか。彼らが担っていた実際の任務・役割が何だったか。どれほどの給与を得ていたのか、などを具体的に語っていく。松平定信時代の国学者塙保己一(はなわほきいち)による忍者の定義が紹介されていて、おもしろい。甲賀はリテラシー(識字率)が高い土地柄故に、地侍のなかから知性派の情報将校タイプの武将がたくさん排出したのだと説明する。江戸時代の甲賀者と伊賀者の待遇の違いの発生原因とその実情を説明していておもしろい。
甲賀忍術書は人間を知るための極意して「四知の伝」を記す。「望・聞・問・切」の4つだそうである。この意味についての説明を読むと今も変わらず役立つ叡智だと思う。
<江戸の治安文化>
何となく抱いていたイメージとは違う意外な事実に満ちている。認識を変える契機となる。次の論点がわかりやすく説明されていて、興味深い。
*豊臣秀吉の「刀狩り」は全国民の武装解除には成功しなかった。
*現在の日本で民間での保有許可を得た銃保有率より、江戸時代にははるかに銃が保有され、刀の保有もあった。
*日本の家庭から銃や刀が消えたのは、アメリカ軍の占領軍が行った成果が大きい。
*日本人が人命にやさしくなった、犯罪発生率の低下は将軍綱吉の時代に始まる。
*代官所や町奉行の人数は、人口3万人の一郡あたり10~15人規模。年貢徴収と代用監獄ほどの役割を担うだけ。
*犯罪対策を含め行政サービス機能は、庄屋と村の仕事になっていた。
*領主裁判になれば刑が厳しく、多くは死刑。「お上」の領主裁判を回避する文化が形成されていた。村掟と庄屋レベルでの「内済」で済ませる訴訟文化が発達した。
江戸時代を扱った小説を読む背景として本書の解説を知っておくと、同じ小説の読み方も変わるかもしれない。
<長州という熱源>
長州藩で行われていた「倒幕の儀式」(幕府追討はいかがでございますか/まだはやかろう)の虚実を取り上げている。司馬遼太郎が小説を介してその話を世に広めた部分が、歴史的にとこまで事実かを論じていておもしろい。
「防長風土注進案」という文書として、江戸時代に長州藩だけにGDPを推計できるデータが集積されていたという。長州藩の財政把握能力と、独特の御前会議方式が、幕末に倒幕へと転換する基盤になった。倒幕への体制変換をやりやすい風土があったことを論じていて興味深い。長州藩の弱み、強みが具体的にわかっておもしろい、国を想うゆえの危うさが幕末の長州藩にあったと著者は言う。その例示として、来島又兵衛の詠んだ和歌を挙げている。「議論より 実をおこなへ なまけ武士 国の大事を余所に見るばか」
<幕末薩摩の「郷中教育」に学ぶ>
江戸時代には、藩によって教育が違い、中には個性のある教育をしていた藩がいくつもあると述べた後、対極的にある藩教育として、著者は会津藩と薩摩藩を取り上げる。
会津藩は日新館という非常に優秀な藩校を持ち、藩祖・保科正之が編んだ「二程治教録」をバイブルとして教育をしたという。そして、「碁盤に目を引く」という表現がキーワードとなり、行動規範重視の教育が行われたという。優秀な能吏育成に有益だったが、規範をはずれることができない人材の育成となり、その弊害を明らかにする。
その対極が薩摩藩であり、郷中教育がどういう仕組みで、どういう人材育成を行う形になったかを論じている。薩摩藩には兵農分離がなく、外城制という社会構造だったことと関連づけて説明されていてわかりやすい。会津藩の様な藩校ではなく、各郷において、友達の家に集まり、二才話(にせはなし)をするのが一つの教育法であり、また本に依らず、西郷隆盛が言ったという言葉「お互いの肚を出せ。そうせんと本当の学問ではない」という考え方の教育が為されていたという。学問を実地に試す薩摩の郷中教育が、「詮議」を生み出したと著者は説明する。まさに対極的な教育方式が同時存在していたようである。併せて、薩摩藩では「俸禄知行」の売買が認められていたというのを初めて知った。薩摩の風土の違いを示す。
この対極的な二藩の教育を論じた上で、決まったモデルや絶対価値が見あたらないこれからの世界における教育への問題提起を著者は行っている。「『もし、こうなら』と想定して考えさせる判断力錬磨の教育が、現代においてはもっとも重要です」(p170)と結論づけている。これは現在の大半の教育実態に対する警鐘と受け止めるべきなのだろう。
<歴史に学ぶ地震と津波>
「江戸期日本の危機管理に学ぶ」ということは、このテーマで論じられた内容にウエイトがあるように私は受け止めた。著者は歴史的に特大の地震や津波がいつ発生していたか。それがどのような被害状況で事態が発生・推移したのかについて、古文書に記録された内容を読み説き、考古学的調査結果と照応させて行くと、今後の地震・津波の発生を予測する貴重な情報源となるし、大いに活用すべきだと論じている。江戸時代には、地震がおこると、「天水桶」の揺れ具合で地震の大きさを記述してあるという。「天水桶」が地震計の役割を果たしていたという。興味深い。
先人の残記録を発掘・発見し、読み説いて、現在から未来にたいする地震・津波対策への危機管理に役立てる必要性を論じている。「人命が失われるんだから、やれる対策はやろう」というスタンスを強調する。
<司馬文学を解剖する>
現在は、歴史に題材をとる歴史小説や時代小説がたくさん出ている。一般的に、「歴史小説のほうが史実に近く、時代小説のほうが、書かれている内容が荒唐無稽で娯楽性が高くなります」と位置づけたうえで、今や絶滅寸前の「史伝文学」を作り、それを未来に残す必要性、使命を提唱している。著者は、森鴎外、徳富蘇峰が史伝文学と呼べる作品を残しているという。荒唐無稽な創作を拝し、古文書などの史料に基づき、史実に即し、実在の人物を登場させ、歴史小説よりも精密に実際の歴史場面を復元してみせるものを史伝文学とする。
著者は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』などが、史伝文学に近いとされているとしたうえで、『関ヶ原』という司馬作品から一場面を取り上げて、史実と司馬遼太郎の小説における虚実を分析していく。著者は、家康が関ヶ原の合戦に赴く場面に着目して、その場面の司馬の種本を特定し、分析的論評を加えていく。家康の侍医であった板坂卜斎「慶長年中板坂卜斎覚書」という史料がそれに該当するという。この史料の記述と司馬の記述の比較分析、並びに司馬が史実を文学的香気のある立体的な表現に変換している巧みさや、追加したフィクション部分、史料の文言の解釈の違い・おかしな解釈などを具体的に対比分析していて、大変興味深い一編となっている。「司馬段階」を乗り越えた史伝文学の作家の到来を著者は提唱している。
江戸時代という歴史の読み説き方を楽しみながら学べる書といえる。
ご一読ありがとうございます。
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