山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

なぜ兼業農家を続けるのか(6)

2013-12-08 | 農業

 兼業農家は、新しい農業へのアプローチが可能であるといった側面も見逃せないように思います。大規模専業農家は、いわば工場の生産ラインに例えられるでしょう。米なら米を一定品質を保ちつつ大量に生産することにあります。量産効果により生産コストを低減させ、収益性を向上させます。そこでは、生産性の向上が求められることはあっても、新製品開発のような経費を増大させるようなことは求められることはないように思います。そのような時間的、経済的余裕もないでしょう。

 兼業農家は、農業以外に職業を持っております。その職業もバラエティーに富んでおり、様々な経験も持っていることでしょう。このような中で、様々なアイデアが出てくる可能性もあります。兼業農家の多くは、本質的に農業が好きである場合が多く、出来ることならば農業で生きて行きたいといった希望も持っていると思います。もし、アイデアの中で事業化できるようなものが出現すれば、専業化へ発展することも考えられます。

 さて、私はというと、まるで農業の近代化に逆行するような農業を目指しております。それは自然農といわれているもので、耕さず、肥料や農薬は用いず、草や虫を敵しないといった川口由一さんが提唱している農法です。これは環境への影響を極力低減させ、私がライフワークとしてきた省エネの方向性にも合致するものです。行く行くは稲作も自然農にしたいと願っているのですが、これは営農集団等々の村落共同体との関係もありますので、当面は慣行農法で行かざるを得ません。

 自然農の場合、おそらく経済合理性が入り込む余地はほとんど無いと思います。農地を舞台として多くの生命が育まれており、人といえどもその一員にしか過ぎず、人はその恩恵に預かっているといったことではないかと考えます。そこには、肥料を沢山与え作物を無理やり肥らせたり、作物に害をなす虫や細菌を殺すために農薬による防除をしたりすることはありません。基本は自然のあるがままに任せるということですが、種蒔き直後で作物が弱々しいときに、草に負けないようにその周りの草々をほんのすこし除いたり、作物が必要以上に弱らない程度に虫を手作業で取り除く程度の手を貸すことはあります。そして、後は作物が育つ力に任せます。ですから、水遣りなども余程の干ばつでない限り行いません。このような農法は、大規模農家や専業農家では試すことは出来ないでしょう。

 また、兼業農家は専業農家の予備軍でもあります。離職し他の収入が途絶えれば、自動的に専業農家に移行します。耕作を放棄せず耕地を維持していればこそ、何時からでもフル稼働できるようなスタンバイ状態にあります。つまり、本軍が一旦危急存亡の時には可及的速やかに援軍として活躍できる状況にあります。予備軍のない本軍だけの軍隊では、危なっかしくて仕方ないのではありませんか?

 更に、大規模農家だけの均質化した農業では、変化に対して脆弱になるのではないでしょうか。自然界には実に多種多様な生物が相互に関連しつつ存在しております。単一の生物が大量に増殖した歪な状況は長続きしません。多様性が高ければ高い程、環境変化に対する順応性も高くなるものと考えられます。農業にも大規模農家、中規模農家、零細農家、専業農家、兼業農家などなど、多様な規模、形態が存在し、相互に補完しあってこそ足腰の強い農業といえるのではないでしょうか。

以下、「なぜ兼業農家を続けるのか(7)」に続く。

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