山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

なぜ兼業農家を続けるのか(5)

2013-12-07 | 農業

 前回経済合理性について言及しましたが、全ての人が完全無比な経済合理性を追求しているのでしょうか。私は合理的な人間であるという人でさえ、その人の中には何か割り切れないものを持っていると思っております。人間は経済合理性のみに従うものではないとは思いますが、ひとまずこれに従うものとして農業というものを考えてみたいと思います。

 農家が経済合理性を追求するとしたら、単一作物の多量作付けをすることになるでしょう。これは工業製品の大量生産によるコストダウンの考え方と同様です。このためには、経営の大規模化と農地の集積が必要となります。これが今国が進めようとしている農業政策です。このことによって、農業生産物のコストが下がって収益性が向上するでしょう。一方で、価格も低下し消費者にとっても好ましいことになると。そのようなバラ色の世界を描いておりますが、果たしてそんなに上手く行くものでしょうか。

 工業製品がコスト削減して安く製造できたとしても、世の中のニーズ以上には売れることはありません。いくら価格が下がろうと必要ないものを買うことはありません。農産品といえども例外ではありません。現在でも生産過剰のところに大規模農家が大量に作付けします。確かにコストは削減するでしょうが、それ以上に価格が下落することでしょう。海外に輸出しても同様なことが起こります。日本製品は品質が良いので、いくらでも売れるといった幻想は持たない方が良いでしょう。家電製品その他の状況をみれば容易に理解できることでしょう。

 その内に大規模農家はバタバタと倒れてしまう可能性だってあります。そのあたりの事情は、既に「TPPについて(20)-強いものが生き残るのか、生き残ったものが強いのか?」でも書いております。その結果は、1993年に起こった米不足の比ではないと思いますよ。一番困るのは、生産手段を持たない消費者に他なりません。いくら金を持っていたからといっても無いものは無いのですから。1993年の時には、農家は自家消費分である保有米をも供出し、米農家もタイ米を購入しました。これは、日頃生産調整で米価を維持してもらい消費者に協力してもらっていると思っていればこそであります。近年は、農家を補助金泥棒などと呼ばわっているような状況ですので、今後は協力しようなどといった気持は失せてしまっていることでしょう。それが経済合理性ということだと言わんばかりに高額で売りさばく農家が続出することでしょう。

 そうすると再び兼業農家バッシングが始まります。「兼業農家が米を作りすぎるからだ!」とかいって、「米を作らせるな!」とでも言い出すのでしょうか。それとも、強権発動して自家消費分に貯蔵している米を取り上げるといったことにでもなるのでしょうか。過去の百姓が虐げられ続けてきた歴史が物語るように!

 経済合理性からすれば消滅し存在するはずのない兼業農家の所為にしようと仰るのは片腹痛いと言わざるを得ないと思います。兼業農家は、自由意志に従って農業に従事しているのです。強権発動などもってのほかでしょう。経済合理性を追求する自由主義国家だといいながら、いつの間にか強権的統制経済国家になってしまうではありませんか。

 このように経済合理性を追求するだけでは、不安定な状況を生み出してしまいます。何らかのバッファーが必要とされる所以です。これが米の生産調整であったのです(参考:「減反政策について」)。減反政策が終わりを迎え、今後は剥き出しの市場原理と戦わねばならないのです。結末は見えすぎるように見えていると思いますが・・・。生産者も当然覚悟をしなければなりませんが、消費者もそれなりの覚悟をしてもらう必要があると思います。

 この点、兼業農家は何ら痛痒を感じないと思います。そもそも収益を度外視(経済合理性に従わず)して農業を続けているのですから、むしろ毎年米が作れて有難い(少なくとも転作による赤字の拡大がなくなる)と感じるでしょう。米価が暴落したとしても、作付け量が少ないので大規模農家ほどの影響はありません。相も変らず自家消費分+αを作り続けていることでしょう。逆に、大規模農家が壊滅的な打撃を受けたときでも、兼業農家の存在が食糧難を救うことになるかも知れないという何とも皮肉な結果となる可能性だってあります。

 更に、経済合理性を追求するならば収益性の高い農産物に作付けが集中する傾向が生まれるでしょう。コストダウンのためには単一作物の大量作付けが必須です。では収益性の低い農産物は誰が作るのでしょうか。経済合理性に拠れば、儲からないものは作らないことになります。食卓にのる食材は、収益性の高い農産物に限られてくるでしょう。ということは高い農産物しか手に入らないし、食卓のバラエティーもなくなるといったことにも繋がります。もっとも作りすぎて価格が暴落することもあるでしょうから、その時には安いものが手に入ることになりますが・・・。

 以上ざっと述べたように、農業に経済合理性を強調しすぎるとろくなことが起こらないようです。少なくとも、兼業農家は経済合理性に従っていないというより、経済合理性そのものを否定したところから出発しているといえるのではないでしょうか。でなければ、とっくの昔に兼業農家は壊滅してしまってたことでしょう。つまり、経済合理性においては兼業農家のことなど議論する余地がなかったのです。しかし、現に存在し、その数において無視できなくなった。このことを理解するために、「補助金を目当てにしている。」などといった、そもそも無理筋の主張がなされるのでしょう。

 以下、「なぜ兼業農家を続けるのか(6)」に続く。

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