1/16(水)曇りー晴、北上するにつれ天気になる
朝8時半のマレー鉄道のバトワース行きの列車に乗るため、少し早めに宿を出た。KLセントラ駅で時間になるのを待っていた。切符を確認するとホームの入り口がゲートAとなっていた。しかし待っていた所にはBの表示だった。その裏側がAと思って廻って見たらやはりBの表示しかない。Aの入口を探し廻った。何の事は無い、同じホームの離れた所に、待合所がありそこがゲートAだった。定刻近くに成ってゲートが開かず、やきもきした。結局15分遅れで出発。車内はガラガラの状態だった。しかも冷房の効き過ぎで寒いの何の、たまりかねて長袖とズボンを途中で取り出し着た。
列車はジーゼルで牽引されている。クアラルンプール、バトワース間を特急で7時間で結んでいる。マレー鉄道には嬉しい事にシニア割引制度が有り、パスポート提示で使う事が出来た。KLーバトワース間を2等列車で、21M$(¥630)で済んだ。
幾つかの町の駅を通過して行く。所々に新築の建て売り住宅団地の様な街が在った。現在経済発展のマレーシアの有様が伺える。丁度日本の列島改造時代の様でもある。線路を見ていると、途中から平行して新路線の工事が行われていた。このマレー半島縦断鉄道を電化する計画の様だ。
途中の駅まで10分遅れでいたが、待ち時間の調整で逆に15分程早めに着く様に成った。しかし出発は定刻まで時間待ちをしていた。終点バトワース手前の駅で定刻まで待っても出発しない。ここで延々1時間程停車していた。その理由の説明も何も無い。列車が一本擦れ違ってようやく発車。バンコクーシンガポール間の国際列車は直通は無く、バトワース、クアラルンプールで乗り換えの為、多分バンコクからの列車が遅れて乗り継ぎの列車が送れ、これのすれ違いの為1時間も待っていた。
バトワースからペナン島のジョージタウンへはフェリーに乗り換え20分程で着く。フェリーのゲートで切符を買うつもりで、窓口で1.2M$を出すと切符をくれない???と思っていると、回転バーの改札でコインを直接投入する改札ゲートだった。
ジョージタウンはマラッカ海峡の中継貿易港とし栄えた街で、旧市街に当時の中国商人達の繁栄を今に留めて居る。しかし現在は対岸のてバトワース方が港湾都市としては、発展している様だ。
フェリーから降りて安宿を探して歩いた。インド系の宿や中国系の宿を見たが条件に合わず更に探した。ラブ路地にバックパッカーの宿が沢山有り、ちょっと奥まった所にあったピンセン(Pin Seng 梹城旅社)に入った。6畳位の部屋で、ファンと水道有り、トイレシャワーは共同で一泊25M$(¥750)に泊まる事にした。其の後来た客は満室と断られていた。取り敢えず4日分を支払い、宿を確保した。この宿の主人は華人で愉快な人だった。
下のアルバムをクリックして下さい。
アルバムに入ったらスライドショーでご覧下さい
アルバム「ペナン島へ」
朝8時半のマレー鉄道のバトワース行きの列車に乗るため、少し早めに宿を出た。KLセントラ駅で時間になるのを待っていた。切符を確認するとホームの入り口がゲートAとなっていた。しかし待っていた所にはBの表示だった。その裏側がAと思って廻って見たらやはりBの表示しかない。Aの入口を探し廻った。何の事は無い、同じホームの離れた所に、待合所がありそこがゲートAだった。定刻近くに成ってゲートが開かず、やきもきした。結局15分遅れで出発。車内はガラガラの状態だった。しかも冷房の効き過ぎで寒いの何の、たまりかねて長袖とズボンを途中で取り出し着た。
列車はジーゼルで牽引されている。クアラルンプール、バトワース間を特急で7時間で結んでいる。マレー鉄道には嬉しい事にシニア割引制度が有り、パスポート提示で使う事が出来た。KLーバトワース間を2等列車で、21M$(¥630)で済んだ。
幾つかの町の駅を通過して行く。所々に新築の建て売り住宅団地の様な街が在った。現在経済発展のマレーシアの有様が伺える。丁度日本の列島改造時代の様でもある。線路を見ていると、途中から平行して新路線の工事が行われていた。このマレー半島縦断鉄道を電化する計画の様だ。
途中の駅まで10分遅れでいたが、待ち時間の調整で逆に15分程早めに着く様に成った。しかし出発は定刻まで時間待ちをしていた。終点バトワース手前の駅で定刻まで待っても出発しない。ここで延々1時間程停車していた。その理由の説明も何も無い。列車が一本擦れ違ってようやく発車。バンコクーシンガポール間の国際列車は直通は無く、バトワース、クアラルンプールで乗り換えの為、多分バンコクからの列車が遅れて乗り継ぎの列車が送れ、これのすれ違いの為1時間も待っていた。
バトワースからペナン島のジョージタウンへはフェリーに乗り換え20分程で着く。フェリーのゲートで切符を買うつもりで、窓口で1.2M$を出すと切符をくれない???と思っていると、回転バーの改札でコインを直接投入する改札ゲートだった。
ジョージタウンはマラッカ海峡の中継貿易港とし栄えた街で、旧市街に当時の中国商人達の繁栄を今に留めて居る。しかし現在は対岸のてバトワース方が港湾都市としては、発展している様だ。
フェリーから降りて安宿を探して歩いた。インド系の宿や中国系の宿を見たが条件に合わず更に探した。ラブ路地にバックパッカーの宿が沢山有り、ちょっと奥まった所にあったピンセン(Pin Seng 梹城旅社)に入った。6畳位の部屋で、ファンと水道有り、トイレシャワーは共同で一泊25M$(¥750)に泊まる事にした。其の後来た客は満室と断られていた。取り敢えず4日分を支払い、宿を確保した。この宿の主人は華人で愉快な人だった。
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ペナン島へ |
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