東奥日報明境欄に「忘れられた巡幸記念碑」の投書があったので訪れた。
浅虫の善知鳥トンネル海側の小規模の松林の中にあった。
投書で指摘のとおり、倒木や落石があり、土台の一部が壊れている。
「明治天皇御休所御跡」と、時の官選知事の揮毫で刻まれ、裏に、昭和3年に野内村が建てた
旨記されている。
明治天皇の東北巡幸は、明治9年と同14年の2回行われた。明治9年の記録の中に、
7月14日、野辺地を発って、浅虫、久栗坂を経て野内の蠣崎邸で休憩とある。
その折、この場所でも休んだものであろう。
この場所は鎌倉時代の古戦場であることの説明板と標柱もあった。
ついでに、青森市内にある他の2基の巡幸記念碑も訪れた。
青い海公園にある「景仰聖徳」の碑は昭和5年建立、2回移転して現在地に。
長島小学校にあるものは、明治9年の青森小学校臨校記念碑で、昭和17年建立。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます