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『中庸』第二節

2013-09-17 10:32:15 | 漢文
                第二節
孔子が言われた、「君子は中を用いることを常の道とする。小人は行為が中庸から外れているのに、自らは中庸を実践していると思っている。君子の中庸は、其の容貌からして君子であるが、その心や行いが時々に応じて、過不及無く節度にかなっている。小人の中庸は、容貌が小人であって、心や行いに恐れ憚りが無く、それを常の行いとしているのである。」孔子が言われた、「中庸は徳の本であるが、努力して修めて到達する至極ではない。それなのに長く行うことのできる人は誠に少ないものである。」孔子が言われた、「道が行われない所以を、私は知っている。知者の行いは極端に趨り、愚者の行いは下劣にして及ばないからである。道が明らかでない所以も私は知っている。賢者は極端に趨り、不肖者は下劣で及ばないからである。飲食しない人はいないが、其の味を善く知っている人は少ない。乃ち日常の事を行いながら、中庸に止まることを知らないのである。」孔子が言われた、「それを教える明君がいないから、中庸の道が行われないなあ。」

仲尼曰、君子中庸、小人反中庸。君子之中庸也、君子而時中。小人之中庸也、小人而無忌憚也。子曰、中庸其至矣乎、民鮮能久矣。子曰、道之不行也、我知之矣。知者過之,愚者不及也。道之不明也、我知之矣。賢者過之、不肖者不及也。人莫不飲食也、鮮能知味也。」子曰、道其不行矣夫。

仲尼曰く、「君子は中庸す。小人は中庸に反す。君子の中庸や、君子にして時に中す。小人の中庸や、小人にして忌憚無きなり。」子曰く、「中庸は其れ至らんか、民、能く久しくすること鮮し。」子曰く、「道の行われざるや、我、之を知れり。知者は之に過ぎ、愚者は及ばざるなり。道の明らかならざるや、我、之を知れり。賢者は之に過ぎ、不肖者は及ばざるなり。人、飲食せざる莫きも、能く味を知ること鮮きなり。」子曰く、「道は其れ行われざるか。」

<語釈>
○「庸」、鄭注:庸は常なり。中を用いて常道と為す。○「反中庸」、鄭注:中庸に反すとは、行う所中庸に非ず、然れども亦た自ら以て中庸と為す。○「君子而時中」、鄭注:君子にして時に中すとは、其の容貌君子にして又時に其の中に節するなり。○「小人而無忌憚」、鄭注:其の容貌小人にして、又畏難無きを以て、常行と為す。是れ其れ中庸に反するなり。

<解説>
「中庸」について、子程子は、「偏ならざる之を中と謂い、易わらざる之を庸と謂う。中は天下の正道なり。庸は天下の定理なり。」と述べている。鄭玄も「庸は常なり」と述べている。孔子は、「知者は之に過ぎ、愚者は及ばざるなり」、「賢者は之に過ぎ、不肖者は及ばざるなり」と述べている。乃ち偏らずに過不及無きが中庸である。
中庸の実践はそれほど難しくないが、其れを常の道として、無意識に実践できるように務めなければならない。しかしこれが、我々凡人には困難なことなのである。

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