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『孟子』巻第十三盡心章句上 百八十四節、百八十五節、百八十六節

2019-05-06 10:21:40 | 四書解読
百八十四節

孟子は言った。
「昔の優れた王は善を好み、自分の貴い身分や権勢を気にかけなかった。そうして賢者を敬したので、賢者も地位に関係なく同様な態度であったはずであり、善の道を楽しんで、貴尊権勢に捉われなかった。だから王公といえども敬い禮を尽くさなければ、簡単には会うことができなかった。会うことすらにわかにできないのに、臣下にするなど簡単にできないことは、言うまでもないことだ。」

孟子曰、古之賢王好善而忘勢。古之賢士何獨不然。樂其道而忘人之勢。故王公不致敬盡禮、則不得亟見之。見且猶不得亟、而況得而臣之乎。

孟子曰く、「古の賢王は善を好みて勢いを忘る。古の賢士、何ぞ獨り然らざらん。其の道を樂しみて、人の勢いを忘る。故に王公も敬を致し禮を盡くさずんば、則ち亟々之を見るを得ず。見ることすら且つ猶ほ亟々するを得ず、而るを況んや得て之を臣とするをや。」

<語釈>
○「忘勢」、服部宇之吉氏云う、「忘勢は己の貴尊権勢を忘れて賢者を敬するをいう。」

<解説>
趙岐の章指に云う、「王公、賢を尊び、貴きを以て賤しきに下るの義なり、道を樂しみ勢いを忘る、富貴を以て心を動かさざるの分なり、各々尚ぶ所を崇めば、則ち義は虧かず。」

百八十五節
孟子が宋句踐に向かって言った。
「あなたは遊説が好きなようだが、あなたに遊説について語ろう。人が認めても認めなくても、自得無欲の態度でおるのがよろしかろう。」
「どうすれば自得無欲でおられましょうか。」
「徳を尊び義を樂しめば、自得無欲になれます。だから士というものは、困窮しても義を失わず、出世しても道を離れない。困窮しても義を失わないから、士は自分の本性を保って揺るがない。出世しても正道を守っているので、民は其の人に対する望みを失わない。昔の賢者は、志を得て出世すればその恩沢は民に及ぶし、志を得ず野に在れば身を修めて、高徳の人として世に知られたのです。このように困窮のときにあっては独りわが身を修め、出世すれば併せて天下を善に導くのです。」

孟子謂宋句踐曰、子好遊乎。吾語子遊。人知之亦囂囂。人不知亦囂囂。曰、何如斯可以囂囂矣。曰、尊德樂義、則可以囂囂矣。故士窮不失義、達不離道。窮不失義、故士得己焉。達不離道、故民不失望焉。古之人、得志、澤加於民、不得志、修身見於世。窮則獨善其身、達則兼善天下。

孟子、宋句踐に謂いて曰く、「子、遊を好むか。吾、子に遊を語らん。人、之を知るも亦た囂囂(ゴウ・ゴウ)たり。人、知らざるも亦た囂囂たり。」曰く、「何如なれば斯に以て囂囂たる可き。」曰く、「徳を尊び義を樂しめば、則ち以て囂囂たる可し。故に士は窮しても義を失わず、達しても道を離れず。窮しても義を失わず、故に士は己を得。達しても道を離れず、故に民は望みを失わず。古の人は、志を得れば、澤、民に加わり、志を得ざれば、身を修めて世に見わる。窮すれば則ち獨り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす。」

<語釈>
○「囂囂」、趙注:「囂囂」(ゴウ・ゴウ)は、自得無欲の貌。

<解説>
凡人にとっては、「窮しても義を失わず」とは難しいことであるが、それ以上に難しいのは、「達しても道を離れず」であろう。人は富貴栄達を得れば、道を失い、安逸に流れるものである。いかなる時も道を守ること。これは儒家にとって最も大切な事の一つである。

百八十六節
孟子は言った。
「文王のような聖人による教化があって初めて立ち上がるのが、一般の人民である。人並み優れた豪傑の士などは、文王のような聖人による教化がなくても、自分の力で立ち上がるものである。」

孟子曰、待文王而後興者、凡民也。若夫豪傑之士、雖無文王猶興。

孟子曰く、「文王を待ちて而る後に興る者は、凡民なり。夫の豪傑の士の若きは、文王無しと雖も猶ほ興る。」

<解説>
豪傑の士は自分の力で立ち上がる。私は、これは努力することを説いていると思える。故に人は士たれ、ということであろう。

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