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『孟子』巻第七離婁章句上 七十三節、七十四節

2017-11-04 10:02:59 | 四書解読
七十三節

孟子は言った。
「臣下として主君に信頼されないようでは、民の信頼を得て治める事は出来ない。主君に信頼されるには道が有る。すなわち友に信頼されないようでは、主君の信頼を得ることはできない。友の信頼を得るには道が有る。親に仕えて悦ばれないようでは、友の信頼を得ることはできない。親に悦ばれるには道が有る。わが身を反省して誠が無いようでは、親に悦ばれない。わが身を誠にするには道が有る。何が善であるか明確に知らなければ、我が身を誠にすることはできない。だから誠は天の道なのであり、その誠を求めようとするのが人の道なのである。誠を尽くして感動しない人はいないし、誠ならずして人を感動させる者もいないのである。」

孟子曰、居下位而不獲於上、民不可得而治也。獲於上有道。不信於友、弗獲於上矣。信於友有道。事親弗悅、弗信於友矣。悅親有道。反身不誠、不悅於親矣。誠身有道。不明乎善、不誠其身矣。是故誠者、天之道也。思誠者、人之道也。至誠而不動者、未之有也。不誠、未有能動者也。

孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」

<語釈>
○「至誠而不動者、未之有也」、服部宇之吉氏云う、至誠を以て人に接すれば、之に感動せざる者無し。

<解説>
この節の結論は、「是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。」と述べられている通りであるが、孟子の思想と『中庸』との関連性を指摘する際によく引用される節である。冒頭の「下位に居りて~其の身に誠ならず。」までの文章は『中庸』の第十八節とほぼ同分であり、その下文は第十九節と同分である。『中庸』の本文を読まれたい方は私のホームページにアクセスしてください。http://gongsunlong.we¬b.fc2.com/

七十四節

孟子は言った。
「あの清廉の士で知られる伯夷は暴虐の殷の紂王を避けて、北海のほとりに住んでいたが、周の文王が仁政を行うと聞いて、『さあ、周の文王に見よ寄せようではないか。文王は年寄りを大切に養ってくれるそうだ。』と言った。又太公望も紂王を避けて、東海のほとりに住んでいたが、文王のうわさを聞いて、『さあ、周の文王に見よ寄せようではないか。文王は年寄りを大切に養ってくれるそうだ』と言った。この伯夷と太公望とは、誰もが認める天下の大長老であり、この二人が文王に身を寄せたのである。天下の父ともいうべき二人が文王に帰服したのであるから、その子である人民は他のどこへ行くだろうか。今、もし諸侯の中で文王のような仁政を行うものが有れば、七年の内には、必ず天下を治める事になるであろう。」

孟子曰、伯夷辟紂、居北海之濱。聞文王作興、曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。太公辟紂、居東海之濱。聞文王作興、曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。二老者、天下之大老也。而歸之。是天下之父歸之也。天下之父歸之、其子焉往。諸侯有行文王之政者、七年之內、必為政於天下矣。

孟子曰く、「伯夷は紂を辟けて、北海の濱に居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍ぞ歸せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養う者なり、と。』太公は紂を辟けて、東海の濱に居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍ぞ歸せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養う者なり、と。』二老者は、天下の大老なり。而して之に歸す。是れ天下の父、之に歸するなり。天下の父、之に歸せば、其の子は焉にか往かん。諸侯に文王の政を行う者有らば、七年の內、必ず政を天下に為さん。」

<語釈>
○「伯夷」、孤竹の国の人、弟の叔齊と共に清廉潔白の士として知られる伝説上の人物。○「盍歸乎來」、「盍」は、何ぞ~せざる、「來」は「哉」に通じて、疑問の終助詞、~や、~か。○「西伯」、朱注:西伯は即ち文王なり、紂命じて西方諸侯の長為えい、征伐を專らにするを得しむ、故に西伯と稱す。

<解説>
趙岐の章指に云う、
「老を養い賢を尊ぶは、國の上務なり、文王之に勤め、二老遠きより至る。父來たり子從うは、天の順道なり、七年政を為めて、以て諸侯に勉めしめ、善を行うを庶幾わしめんと欲す。」

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