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『中庸』第十五節

2014-10-07 10:31:18 | 漢文
                           『中庸』第十五節
孔子が言われた、「どんな人でも學門を好んで身につければ、前節の三達徳の一つである知徳を修めた者に近づくことができたといってよく、何事によらずそれに務め励む者は、仁徳を修めた者に近づくことができたといってよく、人に及ばない事を自覚して恥じ入り、努力をする者は、真の勇者に近づくことが出来たといってよい。」このように、この知・仁・勇の三達徳を理解することができれば、人は誰でも身を修めるにはどうすればよいか、その方法を知るであろう。身を修める方法を知れば、人を治める方法も知ることが出来、人を治める方法が分かれば、自ずから天下国家を修める方法も理解することが出来るようになる。
そもそも天下國家を治めるには九つの原則が有る。それは、我が身を正しく修めることであり、賢者を尊ぶことであり、親しい者をを親愛することであり、大臣を敬うことであり、多くの臣下を我が身のように大切に待遇することであり、諸々の民を我が子のように慈しむことであり、各種の工人が各自の業務に勉励できるように労い保護することであり、遠國よりの使者や賓客や商人たちが安心して、我が国へ来られるように方策を立てることであり、諸侯を心服させることである。
ではこの九つの原則が行われたなら、どのような効用が有るかと言えば、君主が身を修めるには、正しい道に依るので、國にもその正しい道が行われる。賢者を尊敬すれば義が行われるので、不肖者に惑わされることは無い。親族を親愛すれば、仁が行われるので、伯父・叔父・兄弟達は和合して怨みを懐かなくなり、君の宗族がよく治まる。大臣を信任すれば、卑小の者たちが隙をついて讒言しても、それに惑わされることは無い。多くの臣下を親身に待遇すれば、臣下たちも其の業務に精励して、君の恩に報いようとする。庶民を子供のように慈しめば、彼らも本業である農業に精励する。諸々の工人たちを労わり励ませば、彼らもその製作に励み勤めるので、國の器物・調度は満ち足りて不足することは無い。遠國よりの使者や賓客や商人たちが安心して我が国へ来られるように方策を立て徳を施し、彼らを懐かせるようにすれば、それは四方に波及して、すべての人が帰服するようになる。そうなれば諸侯も安心して我が国と交わりを結ぶようになり、我が国を畏怖するようになり、国内は平穏に治まる。

子曰、好學近乎知、力行近乎仁、知恥近乎勇。知斯三者、則知所以修身、知所以修身、則知所以治人、知所以治人、則知所以治天下國家矣。
凡為天下國家有九經、曰、修身也、尊賢也、親親也、敬大臣也、體群臣也、子庶民也、來百工也、柔遠人也、懷諸侯也。
修身則道立、尊賢則不惑、親親則諸父昆弟不怨、敬大臣則不眩、體群臣則士之報禮重、子庶民則百姓勸、來百工則財用足、柔遠人則四方歸之、懷諸侯則天下畏之。

子曰く、「學を好むは知に近く、力め行うは仁に近く、恥を知るは勇に近し。」斯の三者を知れば、則ち身を修むる所以を知り、身を修むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。人を治むる所以を知れば、則ち天下・國家を治むる所以を知る。
凡そ天下國家を為むるに九經有り、曰く、身を修むるなり、賢を尊ぶなり、親を親しむなり、大臣を敬するなり、群臣を體とするなり、庶民を子とするなり、百工を來すなり、遠人を柔(なつく)くるなり、諸侯を懷(やすんず)んずるなり。
身を修むれば則ち道立ち、賢を尊べば則ち惑わず、親を親しめば則ち諸父昆弟怨みず、大臣を敬すれば則ち眩せず、群臣を體すれば則ち士の報禮重し、庶民を子とすれば則ち百姓勸む、百工を來せば則ち財用足り、遠人を柔くれば則ち四方之に歸し、諸侯を懷んずれば則ち天下之を畏る。

<語釈>
○「經」、常に変わらず行われる法度。○「體」、親身になって相手も心を察すること。○「昆弟」、母を同じくする兄弟。

<解説>
前節では、身を修めるには、五達道を理解し、それにより三達徳を実践することであると説かれ、三達徳は聖人のように自ら具えている者もいるが、殆どの人はそうでない。だが人は学び、力め、恥を知ることに精励するならば、誰でも聖人に近づくことができ、身を修めることが出来るのだと、この節では説かれている。そして身を修めれば、人を治めることが出来、人を治めることが出来れば、天下国家を治めることが出来ると言う。これこそが儒教の目指している根本であり、『大学』や『中庸』などでも、繰り返し説かれ、朱子をして儒教は修己治人の学であると言わしめた教えである。

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