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『中庸』第十二節

2014-06-09 10:03:54 | 漢文
                 『中庸』第十二節
孔子が謂われた、「父が天下・国家の禮法を立てて、子が継承してよく成し遂げれば、天下・国家について何ら憂え、心配する必要は無い。そのような立場に居れたのは、ただ一人文王だけである。王季を以て父とし、武王を以て子とし、父は功を積み仁を累ねて禮法を作り、子はそれを受け継ぎ、人民に広く明らかにした。」まことに武王は大王・王季・文王が成した王業への道をを受け継いで、一たび兵を起すや、殷を敗って天下を平定してしまった。その英名は天下に顕われ、その身は最も貴い天子という位に就き、天下をあまねく治められた。だから代々宗廟に祀られ、子孫がそれを守り継いだのである。武王が天命を受けて天子になったのは晩年であったが為に、十分に禮を定める暇が無かった。薨ぜられた後、即位した幼い成王に代わり、政を司った周公がよく文王・武王の徳を受け継いで天下を治め禮を完成させた。そこで大王。王季を祀るには、王号を追尊し、遡っては始祖の后稷に至るまで、天使の禮を以て祀りを行った。こうして祖先を祭る禮は、天子だけでなく、諸侯や大夫、それ以下の士・庶人に至るまであまねく及んだのである。その禮の基本は、葬は葬られる人の身分に基づき、祭は祭る人の身分に基づくものであった。例えば父が大夫の位にあり、子は下の士の身分であれば、葬るには大夫の禮を以て行い、祭るには士の禮を以て行う。又逆に父が士の身分で、子が大夫であれば、葬るには士の禮を以て行い、祭るには大夫の禮を以て行うのである。服喪が一年の喪禮は下は士・庶人から上は大夫にまで及び、三年の喪禮は下は士庶人から上は天子に至るまで、全ての人が実践しなければならない。特に父母の死去にともなう三年の服喪は身分の上下に関わらず、全て等しく行わなければならない。

子曰、無憂者其惟文王乎。以王季為父、以武王為子。父作之、子述之。武王纘大王、王季、文王之緒、壹戎衣而有天下。身不失天下之顯名、尊為天子、富有四海之內。宗廟饗之、子孫保之。武王末受命、周公成文、武之、追王大王、王季、上祀先公以天子之禮。斯禮也、達乎諸侯、大夫及士、庶人。父為大夫、子為士、葬以大夫、祭以士。父為士、子為大夫、葬以士、祭以大夫。期之喪、達乎大夫、三年之喪、達乎天子。父母之喪、無貴賤一也。

子曰く、「憂無き者は其れ惟だ文王か。王季を以て父と為し、武王を以て子と為す。父之を作り、子之を述ぶ。」武王、大王・王季・文王の緒を纘(つぐ)ぎ、壹たび戎衣して天下を有てり。身天下の顯名を失わず、尊きこと天子と為りて、四海の內を富有す。宗廟之を饗け、子孫之を保つ。武王は末に命を受け、周公は文・武のを成し、大王・王季を追王し、上先公を祀るに天子の禮を以てせり。斯の禮や、諸侯・大夫及び士・庶人に達す。父大夫為りて、子士為れば、葬るに大夫を以てし、祭るに士を以てす。父士為りて、子大夫為れば、葬るに士を以てし、祭るに大夫を以てす。期の喪は、大夫に達し、三年の喪は、天子に達す。父母の喪は、貴賤と無く一なり。

<語釈>
○「無憂者」、鄭注:聖人は法度を立つるを以て大事と為し、子は能く述べて之を成さば、則ち何ぞ憂えん。○「述」、述べるの意でなく、継述の意で継ぐこと、○「富有」、前節参照、○「宗廟饗之」、前節参照、

<解説>
内容的には特に解説することは無いが、この節は中庸説から少し離れているのではないかと思われる。

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