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12年前、脳内出血発症時に、私は何を考えていただろうか?(3分割のその2)

2023-09-30 09:00:00 | エッセー「受容と回復」
  

私は最近難病の海老原宏美(1977年神奈川県出身)さん著書「わたしが障害者でなくなる日」(2019年旬報社発行)に出会った。私が中途障害者になって10年超経過していた。本を開いた途端、衝撃を受けた。誤解無きことを祈りながら、一言で述べると、彼女の主張は、「私は難病なの。でもね、病気と障害は違うのよ。障害はネ、あなたのせいなのヨ」の通りである。
そこで、私が障害者と呼ばれることになった時には、どんな気持ちだったか?当時投稿した原稿を引っ張り出した。私は原稿の中で、「①障害者になったのは自分の不摂生である」、「②障害者は健常時に戻るべく努力しなければならない」というスタンスで一貫していた。その状況で海老原さんの主張に刺激を受けそれ以降「障害理解」について勉強している。
ここでは、10年前に私が考えていたことをエッセーから抜き出して3回に分けて公開します。今回は3分割のその2です。

エッセー「脳卒中後遺症の受容と回復」(3分割のその2)

退院翌日から毎日8000歩をノルマに課した。入院中気にならなかった歩行時の左足指の痺れ、物を掴もうとする時の左手指の痺れ、うがいする時の首の痛み等に対して主治医の診察を受けたが「気にし過ぎる!!」と一蹴されたことで、私は反って健常時に一歩近づいたと思い直した。インターネット掲示板の投稿で「痺れ、痛みがあることは良いことだよ!! それは神経が戻っている証拠だ。」に同調した。反面「ネクタイを結ぶ、タオルを絞る、缶ジュースの蓋を開ける等は、健全な手足を使って出来る様に工夫していくことだよ。」という意見には反論していた。マヒ側の手足を健常な時の状態に少しでも近づける努力が大切で、常に両手両足で生活するイメージを持ちながら行動するべきです。最初の段階ではバランスが取れずマヒ側は思う様に動かないので出来なくても良い、一進一退はあるが月日の経過と共に少しずつ出来ていくので諦めないことである。健全な手足にのみ頼ることはマヒ側は廃用になっていくと思っている。最初の理学療法士の言動を強くかみしめた。
先輩から「中途障害になったことで人生を2回送るのですよ!!新しいステージに上ってきなさい!!」のアドバイスにも健常時に戻る努力を続けていきたいと胸を張った。区役所主催の同病会に参加した。参加者の障害程度は千差万別であるが月日を重ねるにつれ本音で話し合える場になっていき、自分たちで運営することで各自積極的になり、コミュニケーションがお互いに内外面のレベルを上げていた。水泳教室、スポーツ教室等に参加しても最初は出来ないことが多かったが習慣にした結果、前回より必ず一歩進んでいた。諦めずに続けていく大切さと、加齢に伴う不具合を先取りしてしまったと考えると少しは気分が楽になった。これも受容の手掛かりと思えた。最近友人が癌で亡くなりお悔やみの際に奥様から「少し位の不自由さを与えられたとしても長生きして下さいね。奥様の為にも!!」と励まされた。どんな状況でも強く・前向きに生きることは義務であると思い直した。

次週に続きます。ご感想をこのブログにお待ちします。
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