スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

亡き森山志郎さんに伝えたい『お礼の言葉』(後編)

2022-04-02 09:00:00 | エッセー「スマート詩吟は面白い」

前回に続いて、森山志郎さんを偲んで、お礼の手紙の続編です。

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貴方の言葉「中途障害になり人生を2回送ります!!、

指方さんも新しいステージにいらっしゃい!!」

に目から鱗が落ち、その後も「森山語録」に共鳴しました。

  • リハビリ6ケ月壁を加齢に伴う不具合の先取りと考えると良い。
  • 中途障害で出来ないことはあるが、夢が無くなる訳ではない。
  • 指方さんが出来ることを苦労している方と一緒に行動すると良い。

私も気づき始めていました、「身体のどこか一つ不自由があるだけで、

皆さんに支えられている、私も優しさ・思いやりを持って行動しよう」と。

 貴方を尋ねて1年経った頃、書作品を頂戴しましたネ。

書は広瀬淡窓が弟子を想う「桂林荘雑詠」の七言絶句でした。

貴方はその数ケ月後旅立たれ、

2年足らずのお付き合いがとても濃密でした。

淡窓の詩の心を貴方に感情移入し、発表会で師範位の力を発揮し、

その漢詩を吟じました。

市社会福祉協議会協賛の基、みんなの幸せを目指す意味を込めて

『福祉吟詠教室』を主宰すると、

片マヒ、失語症、注意・記憶障害等10名強の参加を得て、

6,7年継続しています。「森山語録」実現の第一歩です。

 「森山志郎さんありがとう。私は夢を追いかけ、

新しいステージに立ち、福祉吟詠仲間と一緒に、

みんな幸せに、2回目の人生を送っています」 (終わり)

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森山志郎さん、私のお礼の手紙届きましたね。

では皆さんとは次回またお会いしましょう。

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亡き森山志郎さんに伝えたい『お礼の言葉』(前編)

2022-03-19 09:00:00 | エッセー「スマート詩吟は面白い」

今回は詩吟から離れて、

10年前、2012年3月22日に亡くなった森山志郎さんを偲んで

改めて、お礼を天国に届けと纏めました。

私は2010年12月に脳内出血発症し、半年後2011年5月に退院し、

ネット検索で知った森山さんの著書「歩けた!!手が動いた」を手に

お尋ねしました。森山さんとは、1年のお付き合いでしたが、

とても濃密なお付き合い頂き、私を前向きに、導いて頂きました。

2014年1月に発刊した「スマート詩吟は面白い」では次の様に紹介。

*****「スマート詩吟は面白い」より一部転記*************

さて、入院中の目標達成や友人との会話等の感激は瞬間的なものでしかなく、

入院中の殆どは落ち込むことばかりでスマホによるインターネット検索で

気を紛らわす毎日であった。

『脳卒中・リハビリ・片マヒ』等のキーワードから

森山志郎氏著書「歩けた!!手が動いた」及び「心が動く」

並びにホームページ『森山志郎記念館』に出会った。

森山氏は50歳代の現役ビジネスマンでの発症で、

しかも右片マヒ、言語障害も合わせての症状ということで

定年後発症の私と比べ物にならないくらい無念さがあり

苦労されたことが想像できた。

・・・・・中略・・・・・・・・

入院中に希望を持てない毎日を過ごしている私にとって、

とにかく退院したら森山氏にお会いしたい、森山氏の指導を仰がねば、

森山氏に助けてもらわなければ、・・・ということで連絡を取った。

***********************************

 

その森山志郎さんの命日3月22日が近づいています。

この機会に私の伝えたい想いを

『2回目の人生をみんな幸せに送っています』とお礼を込めて。

前編です。   

森山志郎さんへ『2回目の人生をみんな幸せに送っています』 

65年間の私の人生は脳卒中発症で幕を閉じた、と思いました。

その救急病院で貴著「歩けた!!手が動いた」に出会いました。

そこには私より20年前に同じ発症をして、その後の努力が綴られていました。

退院後、貴リハビリ会に参加した所、

障害者の愚痴の言い合いと思っていたのに、

会員の前向き体験発表に何と驚いたことか。

歩けないのにゴルフラウンドした人、手が動かないのに書道を披露した人、

小学生国語で音読訓練中なのに漢詩を創作した人、

微かな声で一生懸命自己紹介した人等、

『どこが障害?』とビックリしました。 

貴方の言葉「中途障害になり人生を2回送ります!!、

指方さんも新しいステージにいらっしゃい!!」に目から鱗が落ち、

その後も「森山語録」に共鳴しました。

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以下後編として次回に続きます。

 

 

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亡き師匠に伝えたい『師匠の節調は引き継いでいます』と(後編)

2021-09-25 09:00:00 | エッセー「スマート詩吟は面白い」

前回の続き後編です。

師匠に病気の前兆をアドバイスしようとしたにも拘らず、

約10年後、私も師匠と同じ脳卒中を発症しました。

私は運良く生還出来ました。

そこで師匠に説いて頂いた「みんなの福祉(幸せ)」を実現すべく、

横浜市社会福祉協議会に認可された「福祉吟詠教室」を主宰しました。

私は脳卒中を発症した際、発声に苦労しました。

詩吟の発声訓練が後遺症リハビリに有効と気づき、

先ず私が出来ることを同病の苦労している方と共有して

一緒に練習することから始めました。

師匠の夢「みんなの幸せ」を私が引き継いでいます。

色んな障害を抱えた方を含め約20名の方が会員です。

横浜ラポール秋の芸術劇場で5年連続発表しています。

舞台、会場そして参加出来なかった方も「みんな幸せ」です。

「良く頑張っている!!」と誉めて下さい。

何せ師匠の第一号弟子ですからね。師匠の口伝は忘れません。

そっちに行ってもまた弟子にして下さい。

栄えある第一号弟子は私です、席を空けておいて下さい。

今日は師匠とお話しできて、清々しい気持ちになり嬉しいです。

とても「幸せ」です。

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以上が故古角安祥師匠への想いです。(合掌)

 

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亡き師匠に伝えたい『師匠の節調は引き継いでいます』と(前編)

2021-09-18 09:00:00 | エッセー「スマート詩吟は面白い」

約40年前に私を詩吟の世界に誘って頂いた

故古角安祥師匠の二十三回忌が近づいています。

この機会に私の伝えたい想いを

師匠の節調は引き継いでいます』と纏めてみました。

前編です。                     

約20年前、詩吟師匠古角安祥さんにお電話した際に、

「指方君、最近視力が合わない、眼鏡屋に行くよ」と。

「師匠、それは脳と関係があると思います。

すぐ病院に行った方が・・・」と続けましたが、

私の昇段審査を心配され、アドバイスが延々と続きました。

実はその前年に、父の脳卒中を体験していましたので、

「病院に行って・・・」となったのですが、

この時の会話が最期になりました。

詩吟は口伝で教わるものです。

昇段審査は、師匠の師匠に当たる高橋修神先生の前で吟じました。

「君は古角君の節調そっくりだね」と評価を受けました。

「私は古角師匠の栄えある第一号弟子です」とお返事しました。

後日昇段認許証が授与されました。「師匠ありがとうございました。

喜んで下さいね、師匠の節調は私が引き継いでいます。」

正直言いますと、弟子に誘って頂いた時は、

あまり乗り気ではありませんでした。

しかし、師匠が「詩吟はみんなの福祉(幸せ)の為にあるべき」と

伝授されてから、私の姿勢が変わりました。

詩吟はネクラでない、未来を拓くものだと。

師匠のお気持ちを忘れていません。

弟子になった時、師匠の雅号は「祥」でしたが、

私も「祥」、その上の「龍」と昇段し、

今は「龍順」となり雅号では師匠を超えました。

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後編は次回に続きます。

 

 

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スマート詩吟は面白い「1.詩吟との出会い(1)居酒屋道場」5回連載の内その5最終回

2016-07-23 09:00:00 | エッセー「スマート詩吟は面白い」

 著書「スマート詩吟は面白い=趣味の詩吟が脳内出血を癒してくれた=」の最初のサワリ5回連載の最終回第5回目です。

年が明け、予定通りかどうかわからないが、昇格試験は2倍程度の競争率だったが合格した。3~4年後、私が部長と呼ばれる頃、会社の部下2名が参加し、居酒屋道場は5名で吟じていた。食堂に集合してパートさんも積極的に詩吟に参加し、その後、お酒がついているとなると足を運ばない理由は特になかった。漢詩重点の詩吟練習は、吟道範典第一巻の最初に載っている

「川中島」と「九月十日」の七言絶句を繰り返し練習した。

パートさんは当初から和歌をマスターしたいという気持ちだったので

菅原道真「こちふかば・・・」と

紀友則「ひさかたの・・・」

の二つを繰り返し練習していた。

 

アクセントについては、私は長崎の田舎の出身だったので、方言特有の強弱・調子が染みついており、どうにもこれだけは修正のやりようが無かった。簡単な文章「ニワニワニワニワトリガイル」はアクセントの取り方でいくつかの異なる文意になる。どうですか。皆さん試してみて下さい。最終的にはその個人ならではの味わいを出せば良い訳で、その方言が持つ独特な言い方は問題にならなかった。音符とか詩吟の理論的声調教育は特に無く、全てが口伝での練習なので師匠のモノマネを続けた。

 

5回連載はこれで終わりです。ご愛読ありがとうございました。

 

 

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