スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

再開、闘病記 7/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-10-26 19:30:31 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

数日後点滴が取れ病院内リハビリ室に車椅子で連れて行かれた。歩くとか手で掴むとか当たり前のことが全く出来ない。「何だろうか、この感覚は?」ということで段々と自分が大変なことに陥っていることを自覚した。

 

ベッドや車椅子に座っていて自分が歩くというイメージを描いた時に歩けるという実感が全く得られなかった。

 

リハビリ室には多くの人が私と同じ様に車椅子で連れてこられた。皆暗い表情である。私より若い人を見ると「彼はこれから大変だなあ」と思い、70歳代以上の人を見ると「もう良い加減頑張らなくて良いのでは?リハビリしないで車椅子で満足すれば楽だろうに」と勝手に呟いていた。

 

私は主治医から運動機能は傷害を受けていないが、左半身の感覚がない感覚障害であると言われた。だから私はこの人達とは異なり、私だけは回復するのだと一線を画していた。しかし、もの心付いた時から「座って立つ・立って歩く・歩いて走る」という何の違和感もなく何のハードルも無い単純な本能的な動作を実行するということが出来るイメージが湧かないことは私の身にとって一大事であった。

 

学生時代にロボットについて勉強したことがあった。ロボットで一番難しいことは、ロボットはドアの取っ手を引っ張るとドアが壊れてしまうほど力を込めて引っ張るという具合に取っ手を掴んだ時、力の入れ具合を加減して操作することが出来ない、また生卵を掴むとぐしゃと潰してしまう様に生卵を優しく持つことが出来ないことを知っていた。これはロボットの動作の問題ではなく、人と比べてセンサーが極端に少ないので人間の様に出来ないのだということを理解していた。私もその感覚がないのだから止むを得ないと勝手に納得していた。

 

感覚はどうすれば回復するのだろうか?爪楊枝の束で作った剣山で左半身を何度もつついてみた。全く痛みがなかった。特に左腕を何度も何度も「感覚よ蘇れ!!」と念じながら強くつついたので朱色の痣となって残った。

 

感覚の無さは一過性のもので必ず蘇ると信じていた。ただ看護師からその痣の理由を問われ、その翌日から止めざるを得なかった。熱い・冷たい・痛い等の感覚は65年間に染みついて削げ落ちないものだから、必ず感覚は戻らないはずはないと思うことは当然であった。

 

コメント
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