スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

プリンター故障で分ったこと(あなたは知っていますか?)

2022-01-29 09:00:00 | エッセー

C社のインクジェットプリンターを量販店で購入して5年弱。

普段通り起床してパソコン、周辺機器の電源をONにしたところ、

プリンターが紙詰まりのエラー表示、昨晩迄しっかり動いていたのに、何故?

プリンターをどんなにひっくり返しても紙小片すら無い。

その日の奮闘で分ったことがいくつかあります。

(1)どうしても当日印刷しなければならないワード文書がある、さてどうする?

①自宅のFAXに送信して印刷できないだろうか?

②近所の方にメールして印刷してもらおうか?

③コンビニ、量販店に印刷サービスは無いものだろうか?

ネット知恵袋で検索すると、私みたいに苦労された方がいらっしゃいますね。

コンビニのネット印刷サービスがお勧めとのこと、

スマホにアプリダウンロードして、ワード文書を指定して送信、

コンビニに行って簡単に解決。良かった!! A4印刷1枚20円で。

①②は試さず、いずれということにして、次は修理対応せねば。

(2)C社プリンターを量販店で購入する時、

5年延長保証サービスに加入していたので、

費用0円であれば、修理日数掛かっても良いや、というつもりで量販店に電話。

量販店店員曰く

「お客様のプリンターは購入3年目に、プリンターヘッド修理しているので、

今回は実費全て掛ります」とのこと。

量販店延長保証サービス契約書を熟読したら、確かに5年間で一度きり有効と。

3年目の修理は確かに0円であったが、私は5年間無償と勝手に勘違いしていた。

(3)それでは、とC社お客様相談係に電話、

サポート番号からリモート指示通りに対応しても、紙詰まりエラー表示のまま。

結論は、プリンター本体故障しているようで、修理に出して、とのこと。

(4)量販店に再度電話 

私:「修理に出したいので引き取りに来て!!」

店員:「引き取り料金がかかるのでメーカに直接頼んだ方が安く済みますよ」

私:「確かにその通りかもしれない!!」

(5)次にC社へ電話

私:「修理に出したいので引き取りに来て!!」

C社:「修理費用は◎◎円かかります。引取り料は無料ですが」

私:「えっ!!新品よりちょっと安いだけでは?

C社:「それで特典付き買い替えサービスがございます」

暫く電話口で、費用・特典・納入条件を頭の中で復唱・検討。

私:「よし!!その買い替えサービスを利用します

(6)2日後、新品プリンタが到着、スムーズに稼働開始。すべて解決!!

(7)今回分かったこと

①コンビニネットプリントサービスは便利

量販店延長保証サービスは、期間中1回のみ利用可、大きな勘違い。

③プリンタは5年または1万枚印刷が限度みたい。(1日5枚印刷)

プリンタは消耗品と考えた方が気が楽。 

突然プリンタが故障して困りましたがが、数時間奮闘した結果、

2日後新品プリンタに置き換わりました。

従来のプリンターに「良く5年間頑張ってくれたね!!ありがとう!!」

 

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「すぶくれ饅頭が美味しかったこと後編」、故郷大村で、幼児の頃の思い出

2022-01-22 09:00:00 | エッセー

今回も詩吟から離れて。

亡くなった母の一連の法要の為、故郷大村で約2ヶ月過ごした。

久しぶりの墓参りで、幼児の頃、祖母が作ってくれたすぶくれ饅頭を思い出した。

「すぶくれ饅頭が美味しかったこと」として纏めてみました。今回は後編。

 レシピ見ながら女房手製のすぶくれ饅頭

 

 それが郷土名産「すぶくれ饅頭」と後になって知ったが、

この記憶を長く留めていた訳ではなかった。

社会人では辛党で、甘いものとは縁遠かったが、

約10年前65歳の時、脳卒中発症を機に甘党に転じた。

甘党初心者として色んな菓子を手にする内に、

横浜在住の私は大村帰省の折、青空市場ですぶくれ饅頭に出会った。

その瞬間喧嘩した幼馴染の面影が浮かび、従兄弟にその時のシーンを話した。

彼は喧嘩事件後の生まれで、「多分この前の町内会長だろう」と。

幼馴染と60有余年ぶりに再会した。私のノスタリジアであるが、

「あんときゃ何で喧嘩ばしたんじゃろうか?ばってん、

あん時のすぶくれはうまかったばい、喧嘩ば忘るごったもん。」

(あの時どうして喧嘩したのだろう、しかしあのすぶくれは美味しかった、

喧嘩を忘れてしまったものね。)とお互い当時を懐かしんだ。

遊んでくれた叔父も叔母も逝き、堤は埋め立てられ川の流れは変わり、

広い縁側に一列になってすぶくれを食べた当時の家跡地は高速道路になり、

遊び場は心に刻まれるだけになった。

関東出身の妻はレシピを見て「これは簡単よ」と言ったが、

あの味とは違う。終戦から数年後の田舎のこと、

あの味を言葉で表すことが出来ない。

あのすぶくれにはどんな隠し味が入っていたのか?

あの頃だけしか遊んだ記憶がない幼馴染との再会、

そのきっかけがすぶくれ饅頭、追憶を与えた祖母はやはり神様だったかも。

みんなで仲良く食べた祖母の「優しさ」が詰まった熱々のすぶくれ饅頭が

「わたしのおいしい記憶で、かつわたし遺産」と言えるものです。

あなた方にもきっとありますよね。(おわり)

 

 

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「すぶくれ饅頭が美味しかったこと前編」、故郷大村で、幼児の頃の思い出

2022-01-15 09:00:00 | エッセー

今回は詩吟から離れて。

亡くなった母の一連の法要の為、故郷大村で約2ヶ月過ごした。

久しぶりの墓参りで、幼児の頃、祖母が作ってくれたすぶくれ饅頭を思い出した。

「すぶくれ饅頭が美味しかったこと」として纏めてみました。先ずは前編。

 レシピ見ながら女房手製のすぶくれ饅頭

 

 「はよこんね、すぶくれふけたけん、おいしかよ、食べんしゃい」

(早くおいで、すぶくれ蒸れたから、美味しいよ、食べて)、

約70年前の懐かしい長崎県大村市祖母の声である。

小学生低学年の夏休みを母の実家で過ごした。

祖母の家では少し年上の叔父、叔母に終日遊んでもらった。

更に近所の同い年の幼馴染も遊びに来た。

近所といっても隣家は数百メートル離れている山あいである。

5,6人で釣りや泳ぎ等川・堤で遊んでいたが、何かのきっかけで

幼馴染と取っ組み合いの喧嘩になった。

たんこぶやひっかき傷があちこち出来た様だ。

そんな時祖母の呼ぶ声、当時「おやつ」の習慣があったかどうか?

外で食べるものは川で捕まえたハゼやエビを焼き、

アケビ、野イチゴ等体中にあざ作りながらのご馳走だった。

子供仲間の内には、火やモリの使い方、食べれる・食べれないものの違いを

教えてくれる上級生が必ず居て、叔父がその役割だった。

そんな中での祖母の饅頭。

「ばあちゃん、うまかあ!!」あんこも何も入ってないのに、とてもおいしい。

祖母はお菓子作りの神様と思った。

喧嘩していた幼馴染とはいつの間にか縁側で笑いながら一緒に食べていた。

山あいの遊びは初めてづくし、きっと私が我を通していたと思う。

祖母はそれが分かっていたのだろう。

喧嘩やこぶ・傷は気にならず、

仲直りして「もっと食べたかあ」と声を張り上げていた。

前編はここまで、以下次週に続きます。

 

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失語症の認知度を高めたい(後編)

2021-11-27 09:00:00 | エッセー

前回からの続きでの後編です。

A氏は「自分が降りるN停留所迄どの位時間かかるだろうか?」

と尋ねた様だ。

その質問にB氏は「そうだなあ、C停留所だろ、D、E、・・・。

だからN停留所は・・・。」という具合に答えた様だ。

その返答をA氏は理解できず、「私はしゃべれません」になった訳である。

これではB氏の返答を理解できないだろう。A氏とB氏の会話を仲介した。

A氏には「私はしゃべれません!!ではなく

一つずつカードを使ってゆっくりしゃべって!!とお願いしてネ」

とメモ、カードを併用して話した。

B氏はA氏と私のやり取を黙って見ていた。B氏には「スミマセンが短文で、

メモ書きを併用しながらお話して欲しい」とお願いした。

私の「注意障害」も二つのことを同時に行うことが難しい後遺症であるが、

失語症にはその傾向が顕著に表れる。

セミナーを受講した経験により私は対応出来たが、

失語症に対して殆どの方は私の受講前と同じ認識しかないと思う。

予定通りA氏はN停留所で降り、その後、私はB氏の隣に移った。

B氏は声高を詫び、ヘルプマークを解って貰い、

私からは改めて対応頂いたお礼を申し上げた。

失語症は解りにくい病気である。

ヘルプカードで相手の気持ち・立場に寄り添ってあげたいと思う。

今回のエッセーはこれで終わります

 

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失語症の認知度を高めたい(前編)

2021-11-20 09:00:00 | エッセー

今回は詩吟から離れて、

今年バスの中で経験したことを「失語症の認知度を高めたい」として纏めてみました。

横浜の路線バスに始発から乗車、ほぼ満席であった。

私は身障者手帳2級所有者であるが、あえて優先席には座らず、

後方普通席に座るのが常である。

左片麻痺の為、右側二人席通路側がベストポジションである。

発車数分後、

相席同士男性二人(A氏:50歳台、B氏:70歳台)が言い争う声が聞こえた。

はっきり聞こえたことは次の会話。

A氏:「私はしゃべれません」

B氏:「あんた!!しゃべってるじゃないか。あんたが聞いたんだぜ。

俺を馬鹿にするのか」

彼らの席は私の後方で振り返ると、

通路側A氏の首からヘルプマークと名札が下がっているのが見えた。

その名札には、『私は失語症です』と記載されているのが解った。

私は10年前、脳卒中による後遺症を負い、呂律が回らない、

高音が出ないと症状を訴え、発声訓練に取り組み、

失語症セミナーも受講し、その後当事者と一緒に訓練する経験もした。

私は受講する迄、失語症のイメージは『話せない人』と思っていたが、

受講後『相手の言葉を理解し難い、

しゃべろうと思っても声を出し難い人』と理解した。

だから『失語症』名札を見た時、トラブルの原因は大まかに理解できた。

以下は次回後編に続きます。

 

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