スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

月刊日本吟道への投稿原稿から(4回連載中その4最終回)

2022-11-05 09:00:00 | 月刊吟道への投稿原稿

今回が、このテーマの最終回です。(3回目投稿から少し離れましたが、今回が最終回です。数年前に持っていた夢ですが・・・)

タイトル:「高橋修神生誕100年・創立50周年修神会吟道記念大会を終えて」

 私事ではありますが、終演の際一般席に私は友人の顔を見つけ聴吟のお礼に出向いた所、逆に彼のほうから「初めて詩吟に触れましたが、決してお世辞ではなく、詩吟そのものもシナリオも舞台演出も入場前に想像していた何十倍も素晴らしいと感動しました。」と申し述べられました。私は「感動しました」と聞いて、日頃から詩吟は聴いて頂く方に「感動を与えるものでなければならない」と言っていた手前落涙を禁じ得ませんでした。

大会時の名吟と懇親会時の美酒に酔い心地良い気分の高揚の中で、翌日の新聞記事に『吟道が日本伝統芸能として教育に取り上げられました』、『吟界から人間国宝誕生しました』及び『修神会が国民栄誉賞を受賞しました』の見出しが目に飛び込み、万歳を挙げたところで眠りから覚めました。この夢を正夢とすべく起床して身を引き締めました。翻って修神元会長が日本吟道学院副総裁時代に制定された学院憲章の中にあります『世界の平和と人類の福祉に貢献』と目指された言動を表敬致します。戦後70年として議論されている諸々の中で私たちは正に吟道の役割が重いことを再認識する次第です。(指方順龍)                      

これでこのテーマはオシマイ、脳卒中発症して5年後に書いた記事でした。

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月刊日本吟道への投稿原稿から(4回連載中その3)

2022-09-24 09:00:00 | 月刊吟道への投稿原稿

本日は前回に続き第3回目です。

タイトル:「高橋修神生誕100年・創立50周年修神会吟道記念大会を終えて」

 進行は会員全員による宮沢賢治作「雨にも負けず」の大合唱で幕を開けました。午前中は23組の会員吟詠及び7組の賛助吟詠で盛り上がりました。午後の式典では福田紀彦川崎市長から「2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて、スポーツだけでなく文化芸術の振興も図り、『音楽のまち・かわさき』をはじめとする川崎市が誇る文化芸術を全国に向けて積極的に発信していきたいので、来場された方々に伝統文化の素晴らしさ、奥深さを存分に伝えて頂きたい。」とご祝辞を頂戴いたしました。さらに森豪神最高顧問のご祝辞の後、宇波千神理事長より井上会長に感謝状が贈呈されました。「夢のひととき」のコーナーでは尺八とヴァイオリンの楽器演奏による唱歌、クラシックを楽しみ、その後30名の全国認可団体会長の方々からの模範吟詠に感動いたしました。構成番組は「漢詩歴史探訪」をテーマとして中国及び日本の悠久の詩情を詠い上げました。全員による「朗吟讃歌」は高橋修神先生の御許に届かんばかりの迫力がありました。修神会会長・副会長の役員独吟の後、万歳三唱で予定通り記念大会は終了し、懇親会場に場を移しました。

では次回が最終回です。

 

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月刊日本吟道への投稿原稿から(4回連載中その2)

2022-09-17 09:00:00 | 月刊吟道への投稿原稿

前回から続いて第2回目です。

タイトル:「高橋修神生誕100年・創立50周年修神会吟道記念大会を終えて」

 高橋修神元会長は当時社団法人(現公益社団法人)日本吟道学院創立時から同法人常務理事として吟界全体を導いてこられました。創立45周年の際はお元気な吟声をお聴きすることが出来ましたが、病魔には勝てず50周年は残念ながら肉声をお聴きすることが出来ませんでした。しかし最新の情報技術を駆使した舞台演出により、修神会長100年間の歩みの感動を肌身で享受することが出来ました。登壇者の方々から随所に龍神語録、修神語録をご披露され会場ではそれら一つ一つに頷き、先人の教えが今も光を失っていないことに改めてみんなが感銘を受けた次第です。

投稿原稿以外の今回追記事項

思い出すのは創立45周年大会の時は高橋修神会長はお元気でした。私もこの時は脳卒中発症前で舞台に立ちました。会場担当として横浜みなとみらいのはまぎんホールに決め、何回も支配人の方と打ち合わせさせて頂いたことも懐かしい思い出です。その45周年記念大会終了後の原稿を書く様に命じられていました。ところが年末発症し、ベッドの中で45周年記念大会の様子を書いた記憶があります。私は約4か月入院しましたが、その間に高橋修神会長は亡くなられ、やはりベッドの中で訃報を聞きました。葬儀に駆けつけることがどうしても出来ないと、事務局にお願いしました。創立45、50周年という文言で思い出しました。

では次回3回目の記事を。

 

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月刊日本吟道への投稿原稿から(4回連載中その1)

2022-09-10 09:00:00 | 月刊吟道への投稿原稿

私は公益社団法人日本吟道学院が毎月発行している月刊日本吟道雑誌は読んだ後も約20年前位から保存しています。詩吟に関する内容が全く陳腐化してなく、改めて読むと新鮮味を覚えます。たまたま本棚から取り出した吟道雑誌に私が投降した記事が載っていました。私はこんなことを考えていたのかと、皆さんにも読んで頂きたく、ブログで紹介します。

私が脳内出血を発症したのが平成22(2010)年12月ですが、投稿記事は平成27(2015)年なので発症から5年後でした。投稿記事最後のところにホント、夢を語っていました。では4回に分割投稿します。

タイトル:「高橋修神生誕100年・創立50周年修神会吟道記念大会を終えて」

 私たち修神会(井上邦神会長 神奈川)は平成27年10月18日川崎市総合福祉センターエポックなかはらにて福田紀彦川崎市長及び公益社団法人日本吟道学院宇波千神理事長並びに同学院幹部の方々をお迎えして「高橋修神生誕100年・創立50周年修神会吟道記念大会」が盛大に開催されました。

 本年(平成27年)は戦後70年という節目に当たり、国会から草の根に至るまで歴史の再認識として平和・憲法等安全保障関連法が議論されています。政治の主導、経済の方向性等を鑑みますと歴史の転換点に立っている気がします。吟道を愛する私たちはこの記念大会で高橋修神元会長の歩みを振り返り、その足跡を学び未来に向かって大きく羽ばたく意識の高揚を図ったわけであります。また全国から馳せ参じ登壇頂きました招待吟詠、賛助吟詠の皆様方のお蔭で盛大かつ成功裏に終わりましたので、謹んで御礼申し上げます。高橋修神先生も草葉の陰で感激しておられることと思います。また一般の方を対象にしました座席は満席に近い状態で温習会の成果を披露するに感慨深いものがありました。

続きは次回で。

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柳田泰水さん投稿記事の紹介(後編)

2022-03-12 09:00:00 | 月刊吟道への投稿原稿

オミクロンウイルスに対し、一人ひとりが自粛・注意し乗り切りたい、いつも通りブログ発信します。

ウグイスぎんえい教室のAさん、Kさんの笑顔

私たちは、横浜市障碍者文化センターラポールで

「福祉吟詠教室(愛称ウグイスぎんえい)」を開催し、

吟詠を楽しんでいます。その仲間で、青空吟詠教室を開催しました。

その様子を、柳田泰水さんが日本吟道月刊誌「吟道」に投稿、

2022年(令和4年)3月号に掲載されました。

ウグイスぎんえい教室の楽しいひと時の記事「青空吟詠教室」

今回は後編第2回目です。

 

第2回「ウグイス吟詠青空教室」開催しました 神奈川・修神会 柳田泰水

前回よりの続き

教室の内容

「港の見える丘公園」ローズガーデン付近は、

コロナ禍にも拘わらず観光客多数!

7名は「お口の準備運動」と、

課題吟「はばたけ吟のつばさで」を片手に・・・

時計は3時を過ぎていました。

『富士山』 石川丈山

仙客来り遊ぶ雲外の巓

神竜棲み老ゆ洞中の淵

雪は紈素の如く煙は柄の如し

白扇倒に懸る東海の天

 

『なせばなる』 上杉鷹山

なせばなる

なさねばならぬ何事も

ならぬは人の なさぬなりけり

おわりに

「カフェ・ザ・ローズ」は大佛次郎記念館の裏手にあり、

「ローズガーデン」を独り占めしたような素敵なお店でした。

7名はコロナ禍で二つのテーブルに分散。

第2回青空教室の総括タイム、7名の絆は更に深まり、

新たな「ウグイス吟詠」が明日へと・・・

先ずは一歩前進した成果が、

二人の仲間の素敵な笑顔に表れているでしょう⁉

次回は春、また新たな「青空ウグイスぎんえい」を計画します。

 ウグイスや

 不撓(ふとう)不屈(ふくつ)で新世界

第2回後編はこれでオシマイ

次回違うタイトルでまたお会いしましょう。

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