私は3年前文芸社募集の闘病に関するエッセーコンテストに応募した。
その内容は発症2.5年後の状態で「脳卒中後遺症の受容と回復」というタイトルで纏めた。
その作品は最優秀作品として、「闘病記Ⅳ=日々是好日=」(H25.12.25文芸社発刊、1600円)に掲載された。
今回はその応募作品を基に、現在の5年目では「どういう気持ちで書くことになるかなあ」と思い手を加えてみた。
下記URLは当時の文芸社のコンテスト応募並びにその結果である。
http://www.bungeisha.co.jp/tobyo/result04.html
2.5年目の状態でも5年目の状態でも症状は変わっても気持ちは変わっていないことに気付いた。
「 5年目の脳卒中後遺症の受容と回復」のタイトルで5回に分けて連続掲載していきますので
どうぞ最後までお付き合い下さい。
では第1回目の始まりです。
生涯現役を標榜し大手企業の技術者として勤務する傍ら、中小企業診断士として異業種交流コーデイネータのボランテアに精を出し、60歳の定年後も5年間子会社で勤務し、その後関連協会の事務局長に就職した矢先の脳内出血の発症だった。救急病院で65年間の生き様が全て否定された気になった。痛い目に合って人間初めて気付くものだと指摘されたが、全て後の祭りで無念さばかり残り、私の人生は終わったと思わざるを得なかった。殆ど休みなしに走り詰めの日常が急に何も出来なくなった訳で、何をどのように考えれば良いか答えがあるはずは無かった。
何の目標も持たず、悶々として1ヶ月過ごした救急病院から転院したリハビリ専門病院で、主治医との最初の面接で「現在私は全く歩けません。利き腕の右手だけはしっかりしているから、左手・左足は特に要らないのです。」と言ったが、とんでもない間違いに直ぐに気付くことになる。理学療法士の第一声は、全く歩けなかった私に「この訓練室は1周50mです。2周歩いてごらんなさい!!」である。無理と思いつつ、しかし久し振りに自分自身を鼓舞しながらよちよち歩きで歩き始めた。何とか2周歩いた時にはもう全ての蟠り(わだかまり)がなくなったとさえ思った。とてもうれしかった。こうして最初のきっかけから理学療法士と目標を共有することが出来一切を信頼した。そして彼女に「私は現役時代、何事も目標を掲げその目標を達成する為に、毎日・毎週何を成し遂げておかねばならないかを決めていました。どんな高い目標でも辛いリハビリでも構いません。」と訴えた。理学療法士とのやり取りが受容の第一歩であったと思う。3ケ月の退院目標までのマイルストーンが出来上がった。理学療法士と趣味の話になり師範取得している詩吟を披露し、聴き入ってもらったことが自信になり受容の背中を押してくれた様だ。
第1回目はここまでです。