スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

脳卒中後遺症の受容と回復(その3)

2013-07-31 21:18:06 | エッセー「受容と回復」

前回から続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

先輩から「中途障害になったことで人生を2回送るのですよ!!新しいステージに上ってきなさい!!」のアドバイスにも健常時に戻る努力を続けていきたいと胸を張った。区役所主催の同病会に参加した。参加者の障害程度は千差万別であるが月日を重ねるにつれ本音で話し合える場になっていき、自分たちで運営することで各自積極的になり、コミュニケーションがお互いに内外面のレベルを上げていた。水泳教室、スポーツ教室等に参加しても最初は出来ないことが多かったが習慣にした結果、前回より必ず一歩進んでいた。諦めずに続けていく大切さと、加齢に伴う不具合を先取りしてしまったと考えると少しは気分が楽になった。これも受容の手掛かりと思えた。最近友人が癌で亡くなりお悔やみの際に奥様から「少し位の不自由さを与えられたとしても長生きして下さいね。奥様の為にも!!」と励まされた。どんな状況でも強く・前向きに生きることは義務であると思い直した。 

 

ライフワークにしていたボランテアの異業種交流コンサルタントや趣味の詩吟同好会には従来通り参加した。ほぼ毎週定期的に出席することで行動リズムが出来上がり、少しずつ社会参加している実感も得ることが出来た。健常時何の制限も無い活動から真逆の別世界に落ち込んだ訳であるが、私は障害者になって思うことは健常時のままだったら既存の枠を出て自分から別世界に対し「相手の悩みを聞き気持ちを和らげてあげる」ことは多分無かったと思う。身体のどこか一つ不自由があるだけで他人への優しさ・思いやりがこれ程変わるものかということを肌身に感じ、私自身が逆に助けられていることで受容・回復につながっていると思う。

 

次回に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これも京都旅行の一コマ

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脳卒中後遺症の受容と回復(その2)

2013-07-25 14:11:57 | エッセー「受容と回復」

 

前回から続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 退院時、主治医に「私はどの程度まで回復するでしょうか?」という質問を投げかけた。私の最大の関心事であった。主治医から「人それぞれ全く異なるので何も言えない。リハビリには6ケ月の壁というのがあり、それ以上は回復しないので十分理解して生活して欲しい。」と指導を受けた。その時は6ケ月の壁とはそんなものかと頷いたが、自分としては「きっと健常時と同じ位に行動できる迄努力してみる。」と心の中で反復していた。初めて見る身体障害者手帳には「左片マヒ第13級」とあった。

 

退院翌日から毎日8000歩をノルマに課した。入院中気にならなかった歩行時の左足指の痺れ、物を掴もうとする時の左手指の痺れ、うがいする時の首の痛み等に対して主治医の診察を受けたが「気にし過ぎる!!」と一蹴されたことで、私は反って健常時に一歩近づいたと思い直した。インターネット掲示板の投稿で「痺れ、痛みがあることは良いことだよ!! それは神経が戻っている証拠だ。」に同調した。反面「ネクタイを結ぶ、タオルを絞る、缶ジュースの蓋を開ける等は、健全な手足を使って出来る様に工夫していくことだよ。」という意見には反論していた。マヒ側の手足を健常な時の状態に少しでも近づける努力が大切で、常に両手両足で生活するイメージを持ちながら行動するべきです。最初の段階ではバランスが取れずマヒ側は思う様に動かないので出来なくても良い、一進一退はあるが月日の経過と共に少しずつ出来ていくので諦めないことである。健全な手足にのみ頼ることはマヒ側は廃用になっていくと思っている。最初の理学療法士の言動を強くかみしめた。

 

 

次回に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

退院2年後、友人と京都旅行を楽しんだ(清水寺で)

 

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次回に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

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脳卒中後遺症の受容と回復(その1)

2013-07-23 23:13:59 | エッセー「受容と回復」

私は平成22年12月に脳内出血を発症し、救急病院1ヶ月、リハビリ病院3か月入院し、平成23年4月末に退院しました。

ある雑誌社が闘病記を募集していましたので、短編部門に投稿しました。私の気持ちを凝縮して纏めてみました。

脳卒中後遺症の受容と回復(その1)~(その4)として、4回に分けてこのブログで紹介しますので、最後までお付き合い下さい。

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・・・・・・・・・・ここから始まりです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

脳卒中後遺症の受容と回復

 

 生涯現役を標榜し大手企業の技術者として勤務する傍ら、中小企業診断士として異業種交流コーデイネータのボランテアに精を出し、60歳の定年後も5年間子会社で勤務し、その後関連協会の事務局長に就職した矢先の脳内出血の発症だった。救急病院で65年間の生き様が全て否定された気になった。痛い目に合って人間初めて気付くものだと指摘されたが、全て後の祭りで無念さばかり残り、私の人生は終わったと思わざるを得なかった。殆ど休みなしに走り詰めの日常が急に何も出来なくなった訳で、何をどのように考えれば良いか答えがあるはずは無かった。

 

何の目標も持たず、悶々として1ヶ月過ごした救急病院から転院したリハビリ専門病院で、主治医との最初の面接で「現在私は全く歩けません。利き腕の右手だけはしっかりしているから、左手・左足は特に要らないのです。」と言ったが、とんでもない間違いに直ぐに気付くことになる。理学療法士の第一声は、全く歩けなかった私に「この訓練室は1周50mです。2周歩いてごらんなさい!!」である。無理と思いつつ、しかし久し振りに自分自身を鼓舞しながらよちよち歩きで歩き始めた。何とか2周歩いた時にはもう全ての蟠り(わだかまり)がなくなったとさえ思った。とてもうれしかった。こうして最初のきっかけから理学療法士と目標を共有することが出来一切を信頼した。そして彼女に「私は現役時代、何事も目標を掲げその目標を達成する為に、毎日・毎週何を成し遂げておかねばならないかを決めていました。どんな高い目標でも辛いリハビリでも構いません。」と訴えた。理学療法士とのやり取りが受容の第一歩であったと思う。3ケ月の退院目標までのマイルストーンが出来上がった。理学療法士と趣味の話になり師範取得している詩吟を披露し、聴き入ってもらったことが自信になり受容の背中を押してくれた様だ。

 

次回に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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私の詩吟動画をYouTube に登録しました。

2013-07-21 15:30:30 | お口の準備運動等


私はブログを始めましたが、なかなか進んでおりませんでした。

ご覧頂いていた方には、長い間申し訳ありませんでした。

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最近少し頑張って、先般、「YouTube」に詩吟を登録しました。
動画も初めての体験なので、まだ恰好はついておりませんが、3~4の詩吟をご覧ください。

皆さんとこの様なツールを利用して共有し、練習したり意見交換したりして、詩吟を楽しみたいと思います。

各動画は無編集ですから、見苦しいところがあると思いますが、初めての投稿としてお見過ごし下さい。

詩吟をより身近なものにしていく為、皆さんから積極的なご意見をお願い致します。

①すずめの子
   http://youtu.be/GDpPreE9gl4
 
②海南行
   http://youtu.be/fK6gmYp0VN4
 
③一葉日記抄
   http://youtu.be/3wwNwEutSRo
 
④詩吟 金子みすず 私と小鳥と鈴と (これは、H24年秋の大会です)
   http://youtu.be/6yWUZMP0X4k
 

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とりあえず、以上です。

言い訳がいくつかあります。

①脳卒中発症後2年~3年の為、詩吟の姿勢・歩行が悪いです。

②金子みすずの詩吟は大会舞台上ですが、それ以外は、自宅での動画撮影の為、普段着のままです。

 これらを承知の上で、ご理解頂けたら、私のこれらメール・ブログ・動画等全て、他の方への転送・リンク・紹介等、全てOKです。

詩吟を楽しみましょう。

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