スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

闘病記24/24回(竜宮城への旅が終わって) 最終回

2012-12-25 15:08:41 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

参考図書類:括弧内は登場項

 

1.本稿中参考にした図書
 

(1) 中村天風「いつまでも若々しく生きる」(3)
 

(2) 日本吟道学院「吟道範典」(4)
 

(3) 森山志郎「歩けた!!手が動いた」 
      (主婦の友出版サービスセンタ1991)(6項、第11)
 

(4) 森山志郎「心が動く」(荘道社 2001)(6項、第11)
 

(5) 成田真由美「私、泳げなかったのに」(神奈川新聞社1997)(7)
 

(6) 吉川英治「宮本武蔵」(8)


(7) 
石川達三「稚くて、愛を知らず」(10)
 

(8) 穂村一彦「タナトピア」
(ビットウエイブックス電子書籍ダウンロード販売)(10)
 

(9) 金子みすゞ詩集(11)
 

2.本稿中参考にした映画、TV
 

(1) 寺尾聡主演「博士の愛した公式」(4)
 

(2) NHKTV「薄桜記」(7)
 

3.本稿中参考・紹介したホームページ
 

(1) 森山志郎記念館(6)http://www.saiken.jp/mshiro/
 

(2) 障害者スポーツラポール(7)http://yokohama-rf.jp/shisetsu/rapport/
 

(3) 劇団無題(10)http://mudai.kt.fc2.com/index.html/
 

(4) さしかた中小企業応援事務所(11):開設準備中
 

 http://jsashikata.blog.ocn.ne.jp/blog/
 

 http://ameblo.jp/jsashikata/


鎌倉の丘から見た遠景

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闘病記23/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-12-25 15:02:20 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

私は税務署に「さしかた中小企業応援事務所」設立の届け出を行った。

実家の母は「まだ元気なので独りで大丈夫!!子供孝行するから!!」と言ってくれている。その言葉に少し甘えてしまうが、不自由な身体であっても出来ることはいくつもある。

現段階で例えば東日本大震災後の企業再生とか大仰に構えないで「中小企業へのお手伝い」をテーマに出来る所から頑張ってみるつもりである。

こうして今まで全く知らなかった竜宮城に行ってきた。


私が経験した竜宮城には着飾った乙姫様も居ないしおいしい御馳走も無かった。楽しい世界ではなかったが、私は竜宮城への旅立ちを終え、旅立つ前の世界に戻ってきた。

戻ってきた周りの世界は何も変わっていなかった。多分変わっていないだろう。私が少しだけ変わっていたのだ。しかし不意に遭遇した竜宮城から戻った時、少しだけ郷愁を感じた。だからといって決して私は持ち帰った心の玉手箱を開けようとは思わない。この執筆が終わりになるにつれ玉手箱を開けないで頑張れる気がしてきた。

 

私が退院してからもサッカー・野球選手、俳優、ミュージシャン等有名人の脳卒中による訃報が途絶えることは無い。彼らのリハビリ姿を見ることが出来ると大いに励ましになると思うが残念ながら叶わない。私は退院時、半年後、1年後そして現在と確実に回復していると思う。


6ケ月の壁は必ず越えられると思って行動してきた。

今後もそのつもりである。本稿が少しでも、不幸にも後に続くであろう同病の方への応援メッセージとなると嬉しい限りである。


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闘病記22/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-12-24 21:52:16 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

11.これから

 

24時間妻と殆ど一緒である。この様なことは現役時代全く無いし考えてもいなかった。

森山氏から「人生は二度生きる!!及び「新しいステージにいらっしゃい!!ということを未だ素直に受け取れていない。

発症当時目標も希望も殆ど失くしてしまっている自分に対して障害の受容は未だ未だ出来ていない。

健常時と比較すると全ての活動を金銭に換算した経済活動から全く稼げない違う世界に落ち込んだ訳であるが、私は障害者になって強く思うことは健常時のままだったら

サラリーマンの枠を出て自分から「何かを始める」、「何かを止める」及び「何かを変える」ことは決して無かったと思う。

森山氏は「出来ないことは出来ない。それでも新しいことを発見していけば良い。
これが障害の受容かもしれないと思った」と述べている。

身体のどこか一つ不自由があるだけで他人への優しさ・思いやりが変わるものかということを肌身に感じている。何かのきっかけで受容できると思う。

 趣味の詩吟では本年春の大会に練習している仲間67名と一緒に舞台で新島襄作「寒梅」を吟じた。こ
の詩は全てに先駆けて咲く梅の精神の大事さを説いたもので、現役時代好きな漢詩の一つであった。自分自身への懐かしさを感じると同時に、退院して1年目のことで皆なと同じ世界を共有出来たことは胸に迫るものがあった。秋の大会では独吟にも挑戦するつもりである。「仲間」とか「絆」とか「思いやり」とか私の心の奥底には幼少の頃から存在していた気持である。

最近これらの気持ちは全ての場面で具現化しようとしている。晴れ晴れしく、すごくうれしい気持ちである。その様な気持ちから「みんな違ってみんな良い」という金子みすゞのメッセージ「私と小鳥とすずと」を吟じるつもりである。

趣味の詩吟が受容のきっかけを与えてくれる気がする。秋の大会が楽しみである。また執筆最中に地区の夏祭りでこの詩吟を皆さんに聞いてもらえたので、なお一層精進する気持ちを持った。

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闘病記21/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-12-24 21:51:01 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

10.家族

 

 妻は今回の病気に接し気丈に献身的に尽くしてくれた。思い起こせば健常な時も同様であった。病気になってから改めて妻の有難みを深く認識した。

妻の友人がお見舞いに尋ね私独りの時に

「彼女は私の前で泣いているのよ!!頑張っている様に見えるけど・・・」と言った。

気持ちを込めて妻に恩返しは出来ないが、今は元気になることだけである。

 

 長男は近くのマンションに独り暮らしで会社勤めの傍ら、演劇のシナリオ創作に夢中である。

3回ほど観劇の機会があった。ペンネーム穂村一彦作「タナトピア」は今まで経験したことが無い別世界を私に紹介するが如くオリジナリテイがあって興味を持った。これも竜宮城の一つかもしれない。もっと連続して公演すると良いと思うが素人集団の趣味の域だから無理からぬことであろう。長女は私達の自宅に居候している。20歳代で読んだ石川達三「稚くて愛を知らず」と似た様なトレースである。失うものの大きさを知り、早く自立して欲しいと思う。

私の年齢になると孫がいるのが普通であるが、二人とも未婚の為未だその芽は見ない。

この病気になってから尚更その芽を早く出してもらいたいと思う。

病気は精神的、気持ちの問題でもあるから芽が出ると症状が和らぐかもしれない。

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闘病記20/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-12-23 21:26:48 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

9.社会参加

 

中村天風師の考えを教授した友人が定期的に食事、散歩、講演会等に連れ出し積極的に社会参加の扉を開ける手助けをしてくれた。

もう縁が無くなったと思った隠れ家の居酒屋にも同行してもらい以前の1割位であるがお酒を嗜む(たしなむ)ことが出来た。

退院時に「お酒」は無理と思ったのでお酒の好きな私には感慨深いものがあった。私の再来を歓迎した常連客のカウンター並びは変わらず、私の指定席もあった。

但し、妻も同行したのでもう隠れ家ではなくなった。

 

発症する前は生涯現役を標榜していた。それが当たり前と思っていた。会社を定年になったとしても何か仕事が出来る様に現役中から興味あった「企業の倒産・再生・継続」について勉強し中小企業診断士の資格を取得した。

定年後でも生涯現役の実感が得られる様に休日を利用してボランテアの経営相談で腕を磨いていた。

この資格を取得しようと思ったきっかけは知り合いの会社が倒産し社員の苦労を見聞きした時、純真な気持ちで勉強したことではなかったのか。

この資格を利用して定年後も稼ごうと少し欲張りで邪な(よこしまな)考え・行動があった。この機会にすべての行動はボランテアをベースにした。

従来から所属していた神奈川県異業種連絡会議内コンサルタントグループに退院直後妻に同行してもらい顔を出した。皆から温かく迎えてもらった。

従来と同じ様に詩吟の会にも参加した。ほぼ毎週定期的に出席することで行動リズムが出来上がり、少しずつ社会参加している実感も得ることが出来た。月日を経るに従って参画範囲、出席日数を増やしている。

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